諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

113 幸福の種 #11 昇華の過程

2020年12月19日 | 幸福の種
富士山!🈡 春 御坂峠(太宰治が泊まったお茶屋さんがあるところです。)

幸福の種をテキストから拾う作業をしています。
少し単調ですがしばらく続けます。
今回は158~/288頁を見ていくことにします。

今回も7章「新しい生きがいをもとめて」からです。
しばらく、この読書の正念場といえるシリアスな部分続きます。
コロナ禍の中でもあり、ハードな内容ですが続けていきます。
お読みいただいてありがとうございます。


テキスト:神谷美恵子『生きがいについて』みすず書房

7 新しい生きがいをもとめて

肉体との融和 

【意識と肉体の相対化】
長い進化の歴史のなかで人間の意識は次第に肉体から分離して来た。そのため、ひとりの人間のなかで精神が肉体を眺め、これに対して隷属、陶酔、受容、反抗、排斥、無視、蔑視などさまざまの態度をとりうるようになって来ている。この分離はいろいろな機会に意識にのぼりうるが、難病にかかったときほど強烈に意識されることはないだろう。たとえばらいのひとならば、彼がこの病気にかかっているとわかったときに他人は彼のそばからあとずさりしただろうし、彼みずからも自分の肉体に対して恐怖と嫌悪を感じたにちがいない。

【肉体への不信】
肉体をうけ入れたといっても、みにくくなり、不自由になった肉体は、肉体としての価値が下落している。その下落した価値がそのまま自己の存在全体の価値を下げているものとしてうけとられれば、どうしても劣等感の生じることはまぬがれない。事実らい患者の間ではこの価値観はなかなかぬきがたいものらしい。これは病気の軽重ということにたくさんの社会的、経済的利害がむずびついているからでもあろう。

【昇華すること?】
人間の存在の価値というものは、人格にあり、精神にある、ともしひとがはっきりと考えるならば、自己の肉体の状況がどうあろうと、これにかかわりなく自己の精神の独立の価値をみとめていいはずである。病者が自己の存在に正しい誇りをもち、自尊心を維持し、積極的な生きがいを感じようとするならば、この道しかないであろう。
しかし、あたまで思想として、考えるのは簡単だが、生存感自体にまでしみこませるのは容易ではないらしく、そこに至るまでには、さまざまな迷路にまよいこむ


※下線は傍点を表す

星野富弘さんは中学校の先生でクラブの指導中の事故で頸髄を損傷、手足の自由を失い、入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始めた。描写する身近な花の絵には背景はなく、花そのものの生と対話するようにを直視しし続ける。

筋ジストロフィーの〇〇さんは、中学部の2年生だった。ステージも進んできて、ますます優しく、明るくなった。ずっとその子といた先生が「神様にちかづいちゃっていく」と言っていた。

病弱特別支援学校の若い先生から、「先日、亡くなった生徒があって、立ち会ったけど何も言えなくて……、どうしたらよかったのかと」と相談された。
「その子の先生として一生懸命そこにいたことに意味があったと思う」といった。それでよかったかわからない。

「生存感自体にまでしみこませるのは容易ではない」という中にある人は強い葛藤の背後にある種の崇高な精神がやどる。
その無垢な輝きはとてもせつなく感じるが、その青い輝きは皆の生を照らしつつこちらに伝わってくる。

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