夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

秋草 平福百穂筆 その24

2016-11-03 00:01:00 | 掛け軸
当方の蒐集対象の画家である平福百穂の作品ですが、わが地元の秋田でも贋作が多いのでは有名です。ようやく最近になって真贋がある程度解るようになってきました。平福穂庵、百穂の父子の作品は厳選しておきたい画家になります。

本日は平福百穂の大正時代の作品の紹介です。

秋草 平福百穂筆 その
紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱 
全体サイズ:縦2170*横520 画サイズ:縦1310*横450

床の右が島岡達三の作品で、左が古備前の壷です。掛け軸の正面に置かない飾りも面白そうです。どちらかひとつのほうがいいかもしれませんね。



掛け軸は秋の草花を描いた品格のある平福百歩の佳作といえます。



「丁巳晩秋」とあることから1917年(大正6年)、平福百穂が40歳頃の作品であると推察されます。

   

この年、大正6年には百穂が、大作「豫譲」を帝展に出品、特選を獲得し、大へんな評判となり名声を博した頃でもあります。



豫譲 (1917) 永青文庫 所蔵
屏風 六曲一双 絹本裏箔着色 各1720×3747



なお「豫譲」なる人物をご存じない方のために説明文の抜粋を記載します。ここに「知己」の語源が記載されていますのでご参考までに・・。

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豫譲(よじょう、? - 紀元前453年頃):中国春秋戦国時代の人物。予譲とも呼ばれる。敗死した主君の仇を単身討とうと試みたが、遂に果たせなかった。



晋に生まれる。初めは六卿の筆頭である范氏に仕官するが、厚遇されず間もなく官を辞した。次いで中行氏に仕官するもここでも厚遇されず、今度は智伯に仕えた。智伯は豫譲の才能を認めて、国士として優遇した。

数年後、智伯は宿敵の趙襄子を滅ぼすべく、韓氏・魏氏を従え趙襄子の居城である晋陽を攻撃した。三氏の連合軍に包囲された趙襄子は二人の腹心を秘かに韓氏、魏氏の陣営に赴かせて韓氏と魏氏を連合から離反させて味方につけた。韓氏と魏氏の裏切りにあった智伯は敗死し、智氏はここで滅ぼされた(紀元前453年)。

趙襄子は智伯に対して節年の遺恨を持っていたために、智伯の頭蓋骨に漆を塗り、酒盃として酒宴の席で披露した(厠用の器として曝したという説もある)。一方、辛うじて山奥に逃亡していた豫譲はこれを知ると「士は己を知るものの為に死す」と述べ復讐を誓った(これが「知己」の語源である)。やがてほとぼりが覚めると豫譲は下山し、趙襄子を主君の敵として狙った。

左官に扮して晋陽に潜伏していた豫譲は、趙襄子の館に厠番として潜入し暗殺の機会をうかがったが、挙動不審なのを怪しまれ捕らえられた。側近は処刑する事を薦めたが趙襄子は「智伯が滅んだというのに一人仇を討とうとするのは立派である」と、豫譲の忠誠心を誉め称えて釈放した。

釈放された豫譲だが復讐をあきらめず、顔や体に漆を塗ってらい病患者を装い、炭を飲んで喉を潰し声色を変えて、さらに改名して乞食に身をやつし、再び趙襄を狙った。その変わり様に道ですれ違った妻子ですら豫譲とは気付かなかったという。たまたま旧友の家に物乞いに訪れた所、旧友は彼を見てその仕草ですぐに見破った。旧友は「君程の才能の持ち主であれば、趙襄子に召抱えられてもおかしくない。そうすれば目的も容易く達成できるのに何故遠回りなことをするのだ?」と問うた。それに対して豫譲は「それでは初めから二心を持って使えることになり士としてそれは出来ない。確かに私のやり方では目的を果たすのは難しいだろう。だが私は自分自身の生き様を持って後世、士の道に背く者への戒めにするのだ。」と答えた。

やがて、豫譲はある橋のたもとに待ち伏せて趙襄子の暗殺を狙ったものの、通りかかった趙襄子の馬が殺気に怯えた為に見破られ捕らえられてしまった。



趙襄子は、「そなたはその昔に范氏と中行氏に仕えたが、両氏とも智伯に滅ぼされた。だが、その智伯に仕え范氏と中行氏の仇は討とうとしなかった。何故、智伯の為だけにそこまでして仇を討とうとするのだ?」と問うた。
豫譲は、「范氏と中行氏の扱いはあくまで人並であったので、私も人並の働きで報いた。智伯は私を国士として遇してくれたので、国士としてこれに報いるのみである。」と答えた。
豫譲の執念と覚悟を恐れた趙襄子は、さすがに今度は許さなかった。「豫譲よ。そなたの覚悟は立派だ。今度ばかりは許すわけには行かぬ。覚悟してもらおう。」



趙襄子の配下が豫譲を斬る為に取り囲むと豫譲は趙襄子に向かって静かに語りかけた。
「君臣の関係は『名君は人の美を蔽い隠さずに、忠臣は名に死するの節義がある』(賢明で優れた君主は人の美点・善行を隠さない、主人に忠実な家臣は節義を貫いて死を遂げる義務がある。)と聞いています。以前、あなた様が私を寛大な気持ちでお許しになったことで、天下はあなた様を賞賛している。私も潔くあなた様からの処罰を受けましょう。…ですが、出来ることでしたら、あなた様の衣服を賜りたい。それを斬って智伯の無念を晴らしたいと思います。」趙襄子はこれを承諾し豫譲に衣服を与えた。

豫譲はそれを気合いの叫びと共に三回切りつけ、「これでやっと智伯に顔向けが出来る。」と満足気に言い終わると、剣に伏せて自らの体を貫いて自決した。趙襄子も豫譲の死に涙を流して「豫譲こそ、またとない真の壮士である。」とその死を惜しんだという。この逸話は趙全体に広まり、豫譲は趙の人々に愛されたといわれる。

なお、横山光輝の漫画『史記』では、「義に殉ずる」として上げられている。

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骨董というのはありとあらゆる分野に知識を広げることになりますし、逆に知らないとなにも解らないということになるようです。



草花はいったい幾つ描かれているのでしょう。



萩、桔梗、羊歯、秋海棠、酸漿・・、ん~、植物は小生は苦手分野



なお作品を描いた年を記載した作品は平福百穂の作品では珍しいと言えますが、この頃の作品には年号が記されている作品が多いようです。

 

本作品と同一の印章もこの頃多く押印されており、印影は一致します。

本作品は平福百穂の佳作の部類に入ります。ようやくそのような判断に少し自信が持てるようになってきました。ほんの少し・・・  今までの平福百穂の作品を見直す必要があります。


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