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夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

倉田松濤は平福穂庵の門下 月ニ鷲図 倉田松濤筆 明治21年 その

2025-08-09 00:01:00 | 掛け軸
今年の夏季休暇の帰省では「男の隠れ家 その4」のリフォーム進行状況の確認があります。



吹い抜けに新設した3階までの階段も形になってきました。3階に新設した南側のコーナーも出来上がりつつあります。天井はすべて木板貼りです。檜、杉、松、タモ、欅、赤松と様々ですが木をふんだんに使っています。



さて本作品でたびたび紹介している倉田松濤は秋田県出身ですが、同郷の画家である平福穂庵の門下でした。幼い時から平福穂庵に師事していたようですが、画風からはその門下生とはなかなか結びつきませんが、それは門下生であったと同じ画風の作品があまり遺っていないからでしょう。今回その証左となる初期の作品を入手しましたので紹介します。



月ニ鷲図 倉田松濤筆 明治21年 
紙本水墨淡彩軸装 軸先骨 誂箱 
全体サイズ:横656*縦1900 画サイズ:横482*縦1267

 

倉田松濤は慶応3年(1867)に生まれて、昭和3年(1928)に歿していますが、秋田県出身で幼い時から同郷の角館(現在の仙北市角館)出身の平福穂庵(ひらふく すいあん)に師事しています。ただし師と同様に少年時代から各地を放浪していたようです。



少年時代から各地を転々とした後に、大正期初の頃には東京牛込に住んだようですが、各地を転々とした経歴は不明です。東京牛込に住んだ頃より尾崎紅葉らと親交を深め、帝展にも数回入選し世評を高くしたようです。宗教画の他に花鳥も得意とし、俳画にも関心が高く「俳画帳」などの著作もあります。



本作品はいかにも平福穂庵門下といった画風ですが、いかにして平福穂庵のこの画風から一転して匂いたつような濃厚な筆で一種異様な宗教画(仏画)に変遷したかは不明ですね。



落款部分には「穂庵先生之図意 明治戊子松濤寫 押印」とあります。この記述から本作品は1888年(明治21年)の作(倉田松濤 20歳頃)と推定され、平福穂庵が1890年に亡くなっているのでその2年前の作となるのでしょう。

 

この作品と共通する作品で平福穂庵の作品には本ブログで紹介した下記の作品があります。

大鷲図 平福穂庵筆 明治7年(1874年)
紙本水墨軸装 軸先骨 合箱
全体サイズ:横1000*縦2200 画サイズ:横875*縦1650
*分類第2期:職業画家をめざして(明治1年~10年)



この作品の落款には「甲戌夏月 穂庵寫 押印」とあり、1874年(明治7年)の作と思われます。明治5年に知人を訪ねて北海道浦河に渡り、その後函館に数年滞在して、この間北海道の各地を漫遊し、アイヌの生活を観察して漁猟図などを描いていますが、その頃の作となります。



他にも平福穂庵が描いた鷲の作品は本ブログに紹介していますし、さらに他にも多く鷲の作品を描いていたと思われます。倉田松濤は若い頃に平福穂庵のもとで早い筆致や奔放な描き方など基本をマスターしたものと思われます。

なお倉田松濤は曹洞宗との関連が深く、永平寺や総持寺の賛助を得て、自ら俳画禅寺を建立する計画を立てていたようですが、目的を果たせずに他界しています。なお永平寺には「釈迦図」や「達磨図」という作品が所蔵され、展覧会で公開されています。

いずれにしても本作品は平福穂庵との師弟関係を知る上で貴重な作品であることには相違ないでしょう。

このような郷里に関連のある作品は郷里の「男の隠れ家」に保管したいと思っています。

























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