本日は荒木十畝の作品の紹介です。
荒木十畝は以前に入手した作品を贋作と判断してから、しばらく触手を伸ばさずにいた画家の一人ですが、この度再チャレンジして作品を入手しましたので本ブログにて紹介します。玉石混合?の本ブログにお付き合い頂いている方にいい作品を紹介したいのですが、資金的に余裕のない当方では金銭的に難しいハードルがあります。模作中のコレクターですので懲りずにお付き合いしてください。
リベンジ 怒涛雙鵆 荒木十畝筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱二重箱
全体サイズ:縦2060*横485 画サイズ:縦1380*横360
「怒涛雙鵆」の「鵆」は千鳥のこと。昭和に入ってからの晩年の作と思われます。
当方の入手判断は落款や印章というよりも第六感・・。
理屈ではないものが、骨董にはあるように思います。理屈を捏ねる人ほど鑑識眼がないのが通説。
ただちなみに本作品の箱書きなどの落款、印章は下記のとおりです。
下記の売買伝票から推察すると井上辰九郎が昭和6年(1931年)12月、黒須廣吉から63歳の頃購入したと推察されます。荒木十畝は昭和19年まで生きていますので、現役の画家の買取となっていますが、当時の35,000円は現在に換算すると億を超える?破格の数字になります。
荒木十畝は今では知る人ぞ知るというマイナーは画家ですが、当時はかなり高名な画家の一人であり、このくらいの評価は普通であったようです。
黒須廣吉:美術院所属で大観会、観山会の幹事
井上辰九郎:1868-1943 1868年生まれ 1897年日本銀行 1902年日本興業銀行理事 1917年 若尾銀行副頭取
参考作品
鳳凰
長崎県美術館所蔵 昭和4年
参考作品として取り上げた上記の作品は第10回帝展に出品された十畝晩年の作品です。この作品に対する評は下記の記事があります。
*************************************
百鳥の王である鳳凰二羽が、その枝にしか止まることがないといわれる梧桐とともに描かれ、鳳凰は画面全体にその尾羽を拡げたかたちで描かれており、荘厳な雰囲気を醸し出しています。モティーフが鳳凰という空想上の動物であることにも因るのか、鳳凰の表現、金泥を多用した瑞雲の表現など、十畝作品にあって工芸作品を思わせる装飾性の高い特異な作例となっています。
この作品の前年に描かれた「鶴」において鶴の背後にうねるような大気を描きだし、本作品においては明確な形状で瑞雲を描き、さらに本作品の後に描かれた「寂光」(1932年、東京芸術大学美術館)、「玄明」(1933年、東京国立博物館)においては墨のぼかしと水面を表現する細線を介しての独特な気配を漂わせる表現を行なっています。
このような代表作の晩年における一連の作品を見ていくと、この時期十畝は、うねりを持った空気感を表現することによって「物心共に決定ならざる一歩手前に於いて余地を与え、自由、無限、神秘の境に誘致する性質のものである」(荒木十畝「観察と省略」『東洋画論』1942年より)という日本画の可能性を追求しようとしたことが伺えます。
*************************************
本作品を上記の代表作とは比べるべくもありませんが、本作品が上記の記述のような追及の姿勢が伺える作品といっても過言ではないかもしれません。
所蔵する作品を贋作と断定しても落ち込んで贋作に留まっていてはいけませんね。鑑識眼もそこで止まりますから・・。失敗しても懲りずに挑戦することが大切です。さて本作品の入手でリベンジになったか否か・・・。
展示室に飾って鑑賞していますが、我ながらいい作品を入手できた思います。人生は常にチャレンジ・・。
荒木十畝は以前に入手した作品を贋作と判断してから、しばらく触手を伸ばさずにいた画家の一人ですが、この度再チャレンジして作品を入手しましたので本ブログにて紹介します。玉石混合?の本ブログにお付き合い頂いている方にいい作品を紹介したいのですが、資金的に余裕のない当方では金銭的に難しいハードルがあります。模作中のコレクターですので懲りずにお付き合いしてください。
リベンジ 怒涛雙鵆 荒木十畝筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱二重箱
全体サイズ:縦2060*横485 画サイズ:縦1380*横360
「怒涛雙鵆」の「鵆」は千鳥のこと。昭和に入ってからの晩年の作と思われます。
当方の入手判断は落款や印章というよりも第六感・・。
理屈ではないものが、骨董にはあるように思います。理屈を捏ねる人ほど鑑識眼がないのが通説。
ただちなみに本作品の箱書きなどの落款、印章は下記のとおりです。
下記の売買伝票から推察すると井上辰九郎が昭和6年(1931年)12月、黒須廣吉から63歳の頃購入したと推察されます。荒木十畝は昭和19年まで生きていますので、現役の画家の買取となっていますが、当時の35,000円は現在に換算すると億を超える?破格の数字になります。
荒木十畝は今では知る人ぞ知るというマイナーは画家ですが、当時はかなり高名な画家の一人であり、このくらいの評価は普通であったようです。
黒須廣吉:美術院所属で大観会、観山会の幹事
井上辰九郎:1868-1943 1868年生まれ 1897年日本銀行 1902年日本興業銀行理事 1917年 若尾銀行副頭取
参考作品
鳳凰
長崎県美術館所蔵 昭和4年
参考作品として取り上げた上記の作品は第10回帝展に出品された十畝晩年の作品です。この作品に対する評は下記の記事があります。
*************************************
百鳥の王である鳳凰二羽が、その枝にしか止まることがないといわれる梧桐とともに描かれ、鳳凰は画面全体にその尾羽を拡げたかたちで描かれており、荘厳な雰囲気を醸し出しています。モティーフが鳳凰という空想上の動物であることにも因るのか、鳳凰の表現、金泥を多用した瑞雲の表現など、十畝作品にあって工芸作品を思わせる装飾性の高い特異な作例となっています。
この作品の前年に描かれた「鶴」において鶴の背後にうねるような大気を描きだし、本作品においては明確な形状で瑞雲を描き、さらに本作品の後に描かれた「寂光」(1932年、東京芸術大学美術館)、「玄明」(1933年、東京国立博物館)においては墨のぼかしと水面を表現する細線を介しての独特な気配を漂わせる表現を行なっています。
このような代表作の晩年における一連の作品を見ていくと、この時期十畝は、うねりを持った空気感を表現することによって「物心共に決定ならざる一歩手前に於いて余地を与え、自由、無限、神秘の境に誘致する性質のものである」(荒木十畝「観察と省略」『東洋画論』1942年より)という日本画の可能性を追求しようとしたことが伺えます。
*************************************
本作品を上記の代表作とは比べるべくもありませんが、本作品が上記の記述のような追及の姿勢が伺える作品といっても過言ではないかもしれません。
所蔵する作品を贋作と断定しても落ち込んで贋作に留まっていてはいけませんね。鑑識眼もそこで止まりますから・・。失敗しても懲りずに挑戦することが大切です。さて本作品の入手でリベンジになったか否か・・・。
展示室に飾って鑑賞していますが、我ながらいい作品を入手できた思います。人生は常にチャレンジ・・。
十畝は晩年に水墨画を多く描くようになり、紙本の作品がほとんどになります。
十畝作品はネットオークションにもちょくちょく出ますが贋作が多いと思います。描き込みも表具のあつらえも良い悪質な贋作も多いです。それだけ当時は大家だったということですよね。
桜谷・省亭あたりも贋作が多いので、出品されていたらまず贋作かと疑ってかかった方が安心です。
それに思っているほど贋作は多くないものです。観る眼さえあれば・・。