
今週は東南アジアに出張となりますので休稿が金曜日から次の週の水曜日までです。
日本画の画題として自宅に帰る図柄・・帰牧もそのひとつ、が非常に好まれます。現代は電車や車で帰宅ですが、牧歌的な作品は平穏無事なことを感謝するにはもってこいです。この平穏が永遠ではないことを知りながら、感謝の念がうかがえます。現代はその感謝の念が薄くなっています。電車でくたびれたサラリーマン諸君、本日一日をなんとか無事過ごせたことを感謝しよう。
わたしも無事海外から帰国できることを・・
浅絳山水 渓山帰牧図 中西耕石筆
紙本水墨軸装 軸先木 合箱
全体サイズ:縦2040*横440 画サイズ:縦1322*横290

賛には「渓山帰牧辛未夏日写於 耕石斎□□下 茶岡生 押印」と記されており明治3年(1871年)、中西耕石が64歳の作と推察される。印章は白文方印で「西壽」と「耕石」の累印が押印されている。

中西 耕石:1807年(文化4年)~ 1884年(明治17年)1月9日)。江戸時代後期から明治時代の日本画家。文化4年生まれ、筑前(福岡県)出身。生家は陶工とも紺屋とも言われるがはっきりしない。

若くして上洛し、京都で松村景文に師事し四条派を学ぶと、大坂に出て漢学の篠崎小竹の門下となり、再び京都に戻ると小田海僊に南画を学び名声を得て、1882年(明治15年)には、京都府画学校の教授に就任した。

山水,花鳥にすぐれ,日根対山,前田暢堂とともに「対暢耕」とよばれた。

明治17年1月9日死去、享年78歳。名を寿平、後に寿。字は亀年。別号に竹叟、筌岡など。門下に巨勢小石、吉嗣拝山、木村耕巌など。






ちょとした軸先の加工にも面白みを感じることがあります。

平穏が永遠ということは残念ながら決してあり得ません。病気、事故、心の擦れ違い、さまざまのことから人生の波は打ち寄せてきます。とはいえくよくよして始まらないので、今この時間を感謝する心から、明日への活力を生み出しましょう。
日本画の画題として自宅に帰る図柄・・帰牧もそのひとつ、が非常に好まれます。現代は電車や車で帰宅ですが、牧歌的な作品は平穏無事なことを感謝するにはもってこいです。この平穏が永遠ではないことを知りながら、感謝の念がうかがえます。現代はその感謝の念が薄くなっています。電車でくたびれたサラリーマン諸君、本日一日をなんとか無事過ごせたことを感謝しよう。
わたしも無事海外から帰国できることを・・

浅絳山水 渓山帰牧図 中西耕石筆
紙本水墨軸装 軸先木 合箱
全体サイズ:縦2040*横440 画サイズ:縦1322*横290

賛には「渓山帰牧辛未夏日写於 耕石斎□□下 茶岡生 押印」と記されており明治3年(1871年)、中西耕石が64歳の作と推察される。印章は白文方印で「西壽」と「耕石」の累印が押印されている。


中西 耕石:1807年(文化4年)~ 1884年(明治17年)1月9日)。江戸時代後期から明治時代の日本画家。文化4年生まれ、筑前(福岡県)出身。生家は陶工とも紺屋とも言われるがはっきりしない。

若くして上洛し、京都で松村景文に師事し四条派を学ぶと、大坂に出て漢学の篠崎小竹の門下となり、再び京都に戻ると小田海僊に南画を学び名声を得て、1882年(明治15年)には、京都府画学校の教授に就任した。

山水,花鳥にすぐれ,日根対山,前田暢堂とともに「対暢耕」とよばれた。

明治17年1月9日死去、享年78歳。名を寿平、後に寿。字は亀年。別号に竹叟、筌岡など。門下に巨勢小石、吉嗣拝山、木村耕巌など。






ちょとした軸先の加工にも面白みを感じることがあります。

平穏が永遠ということは残念ながら決してあり得ません。病気、事故、心の擦れ違い、さまざまのことから人生の波は打ち寄せてきます。とはいえくよくよして始まらないので、今この時間を感謝する心から、明日への活力を生み出しましょう。