夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

ミコノス島の娘 平野遼画

2024-06-28 00:01:00 | 洋画
本日紹介する作品は「ミコノス島の娘」という題名の作品で、平野遼画によるものですが、展示室に南京赤絵の鉢と一緒に飾っています。



ミコノス島の娘 平野遼画
着色額装 タトウ+黄袋
F0号 額サイズ:横280*縦320 画サイズ:横139*縦179



前から気になっていた画家の一人、平野遼・・。人気があるようで、なかなか当方の懐具合と一致せず、ようやく0号の作品ですが入手できましたので紹介します。



平野遼の略歴は下記のとおりです。

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平野遼:昭和2(1927)年2月8日、大分県北海郡に生まれる。本名明。

昭和8年、戸畑市沢見尋常小学校に入学。3年生の頃から技法書等により絵を独学する一方、通信教育で挿絵を学びます。同14年戸畑男子高等小学校を卒業。3歳で母を、同15年13歳で父をなくして同年より徴用工として働いています。

同20年除隊後戸畑に帰りますが、
同24年に上京。ポスター、似顔絵の制作、ウインドウ装飾等で生計を立てつつ、
同24年第13回新制作派展に蝋画「やまびこ」で初入選。
同26年第15回自由美術家協会展に「詩人」で初入選し、以後同展に出品を続けます。
同28年第17回同展に「白い家」「兄弟」を出品して優秀作家賞を受賞。この頃より糸園和三郎、小山田二郎、瀧口修造らの知遇を得ています。
同31年第20回自由美術家協会展に蝋画「夜」を出品して佳作賞、
同32年第21回同展に水彩画「飛べない蝶」を出品して2年連続して佳作賞を受け、
同33年同会会員に推されます。
同34年第13回日本アンデパンダン展に「爆発」を出品。
同37年、第5回現代日本美術展に「修羅A」「修羅B」を出品するとともに、前年の第25回自由美術家協会展出品作「像」を第5回安井賞展に出品しています。
同39年9月、麻生三郎、糸園和三郎、森芳雄らと共に自由美術家協会を退会して同年10月主体美術協会を設立。
以後、同展のほかに、現代日本美術展、安井賞展等に出品しましたが、
同50年主体美術協会を退会して無所属となります。
同53年6月ヨーロッパへ旅し、スイス、イタリア、オランダ、東欧等を訪れています。
同54年7月には中央アジア、同年9月には、東独、チェコ、オーストリアへ旅行。その後も、トルコ、ギリシア、スペイン等を訪ね、晩年は海外への旅が多くなります。



画業の始めから一貫して興味の中心は人間、特に自己の内面にあり、最初期には写実的具象画も描いていましたが、昭和30年代に抽象的作風へと移行し、晩年にはデフォルメされた人体像による象徴的作風へと展開しています。

昭和61年12月、池田20世紀美術館で「平野遼の世界展」が、翌年6月北九州市立美術館で「平野遼の世界展」が開かれており、画歴は同展図録に詳しく記載されています。作品集には『平野遼素描集』(大阪フォルム画廊 昭和47年)、『平野遼自選画集』(小学館 昭和52年)等があります。文章もよくし画文集『地底の宮殿』等の著書があります。

九州小倉を拠点に活動し、現代の苦悩を卓抜な筆力であらわした洋画家平野遼は、11月24日午後11時48分、心不全のため北九州市小倉北区の新小倉病院で死去しました。享年65。

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「最初期には写実的具象画も描いたが、昭和30年代に抽象的作風へと移行、晩年にはデフォルメされた人体像による象徴的作風へと展開した。」とあり、さらに海外への旅行の時期から本作品は昭和50年以降の作でしょうか?



作品上のサインは上記写真のとおりです。題名は後で直したようですが・・。

 

ミコノス島は下記のようなギリシャの有名な観光地のようです。

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ミコノス島:エーゲ海中部・キクラデス諸島に属するギリシャ領の島。人口約6200人(2002年)。エーゲ海の代表的な観光地の一つで、サントリーニ島とともに人気がある。風車が人気の観光スポット。



紀元前11世紀初頭よりイオニア人が住みついたとされている。フテリア海岸(Ftelia)には紀元前3000年前後の新石器時代のカレスの遺跡も発見されたとも伝えられています。

ギリシア神話ではゼウスとギガースの戦いの地として知られ、島の名はアポローンの孫・ミコノスの名より取られたとされます。

古代では2kmに隣接している栄えた島デロス島への農産物供給地及びデロス人の休息地として栄えたと考えられています。

今日ではミコノス島は世界でも人気の高い有数の観光地、リゾート地で世界中より観光客が集まっています。特に多くのバーやクラブでの豊かで様々なナイトライフが楽しめることで知られます。8月になると多くのディスコがオープンし、特にパラダイス・ビーチのそばの洞窟内に位置するCavo Paradisoは世界的に有名なナイトクラブです。



ゲイタウンとしても高名であり、町中を歩いている洒落たゲイのカップルが多く見かけられます。またいくつかのビーチではビーチの半分がゲイ専用とされています。また、白砂の美しいビーチも人気のようです。



多くの有名人もここに別荘を構え、小道での散歩や高価なレストランでの食事をしているところが目撃されています。ギリシャでも富裕層が家や別荘や所有する場所柄、土地や建物は大変高価です。

また過度なリゾート開発を防止するため、伝統的な建築を保存する地域も決められています。「エーゲ海に浮かぶ白い宝石」と称されるだけあって、青空と海に包まれる白壁の家、丘の上に建ち並ぶ風車など美しい景色が魅力となっています。



真っ白な壁に鮮やかな色の扉や窓、ちょっと不規則な石を並べたグレーの石畳。細い石畳の小道はまるで迷路のよう・・・。



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当初の額ではサインが隠れてよく見えないので額装を取り換えています。0号の額は意外に豊富なバリエーションがあって面白い額が多いようで、当方ではインターネットオークションなどで探してストックしておいています。

0号やSMサイズの作品はいろんなところにときおり作品を変えて飾れてとても重宝ですね。日本画でいう色紙のようなものかな?



平野遼・・・、なかなかユニークな画家で楽しめますね。



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