夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

暁聲 福田豊四郎筆 その110 昭和25年頃

2020-06-12 00:01:00 | 掛け軸
息子の登校には最近、近所の年上の友達が同行してくれています。少し安心かな?



福田豊四郎は昭和20年代に軍鶏の作品を描いており、福田豊四郎と交流のあった父はこの時期に福田豊四郎と連絡取り合いながら軍鶏の作品を描いています。



図録に掲載されている福田豊四郎が「軍鶏」を描いた作品です。一般的にはこの作品が福田豊四郎が描いた「軍鶏」の作品として知られています。図録には昭和29年の作とされています。

福田豊四郎筆 軍鶏 昭和29年筆



父は療養中に東京に居る福田豊四郎氏の指導を受けながら日本画を描いおり、父の遺品に下記の作品があります。姉によると父が描いた作品に福田豊四郎氏に郵送し、福田豊四郎氏が筆を入れて作品を送り返すという指導であったようです。

父が描いた作品



本日は「暁聲」と題された作品で、箱の裏には我が郷里特産の「声良鶏」の記事が貼り付けられており、「声良鶏」を描いた作品と以前の所蔵者は勘違いされていたようです。本作品は上記の代表作より前の昭和25年頃の作と推定されます。

暁聲 福田豊四郎筆
絹本着色軸装 軸先象牙 共箱
全体サイズ:縦1254*横572 画サイズ:縦343*横415



この時期から福田豊四郎は抽象的な画風に移行する時期と思われ、色使いも試行錯誤しているように感じられます。



補色関係にある色彩を意識的に用いており、これが「軍鶏」を題材にした大きな理由かもしれません。



最初に紹介した「軍鶏」の作品のように、戦後の福田豊四郎の作品は抽象的な画風とともに太めの輪郭線を意識した作品が多くなっています。



この作品中の印章と落款は当方所蔵の「竹林」や「湖畔の冬」らと同一印章です。とくに「竹林」は共箱の印章も同一印章です。

  

共箱の誂えとなっています。「軍鶏」を描いた福田豊四郎の作品は少なく、画集以外では当方では見たことがありませんでした。

下記のように共箱の裏には「声良鶏」の記事が貼り付けられています。「声良鶏」特産の地元出身の画家であること、「暁聲」という題名から「声良鶏」を描いた作品と勘違いされたのでしょう。

 

本作品に押印されている印章と同一の印章が押印された作品数は少なく、同時期の作品に多いと推察されます、当方の所蔵作品で押印されている作品は下記の二作品が本ブログにて紹介されています。

竹林 福田豊四郎筆
P8号 絹本着色額装 共板入タトウ
全体サイズ:縦545*横615 画サイズ:縦355*横425



湖畔の冬 福田豊四郎筆
紙本着色軸装 軸先象牙 共箱太巻二重箱
全体サイズ:縦1344*横660 画サイズ:縦404*横509



この時期以降は福田豊四郎の作品は抽象的な作品になっていきます。ただ抽象的な作風と同時に在来の日本画風の作品も描いているので、一概に抽象的な作品ばかりとは言えません。

なお前述のように前の所蔵者は秋田の「声良鶏」を描いた作品だと思っていたようですが、この作品は「軍鶏」を描いた作品です。

実物の写真:「声良鶏」(下左写真)と「軍鶏」(下右写真)は下記の通りですが、明らかな違いは足にとげのような突起があるかないかです。

 

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声良鶏:江戸時代に秋田県北部の米代川流域(現在の大館市、鹿角市など)で飼育されるようになり、現在は北東北で飼育されている。

「越後の唐丸」と地鶏との交配によって作り出され、のち(明治20年頃以降)にプリマス・ロック種との交配が行われた。体重が3.5kg-5kgある大型鶏である。 長鳴き鶏としても有名で、調子をつけながら厳かに「ゴッゴ、ゴーオ」(国光郷王)と鳴く声に特徴がある。

1937年(昭和12年)12月21日 - 国の天然記念物に指定。
1982年 (昭和57年)- 秋田県鹿角市の「市の鳥」に選定。

秋田県声良鶏比内鶏金八鶏保存会(三鶏保存会、大館市)や、天然記念物全日本声良鶏保存会(鹿角市)などが、飼育や繁殖および血統種の保存活動などを行っている。

秋田県北部に生息する声良鶏・比内鶏・金八鶏(きんぱどり)を特に秋田三鶏(あきたさんけい)とよび、声良鶏と比内鶏は国の天然記念物に、金八鶏は秋田県の天然記念物に指定される。 また、秋田県大館市には大館市郷土博物館に隣接して秋田三鶏記念館がある。

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画面全体を薄い赤とし、色彩については冒険的な試みのように感じられます。画集に掲載された作品は構図もさらに冒険的になっていますが、本作品は予想よりも画集に掲載された作品を描いた時期に近い時期に描いたかもしれません。



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軍鶏:闘鶏用、観賞用、食肉用のニワトリの一品種。 本来は江戸期のタイからの輸入種と伝えられるが、伝来以来、日本国内で独自の改良育種を施され、1941年(昭和16年)「日本に特有な畜養動物」として国の天然記念物に指定された。日本農林規格における鶏の在来種ともされる。

本来は闘鶏専用の品種で、そのため「軍鶏」の字が当てられた。オスは非常に闘争心が強い。 三枚冠もしくは胡桃冠で首が長く、頑強な体躯を持つ。羽色は赤笹、白、黒等多様。身体の大きさにより大型種、中型種、小型種に分類されるが、系統はさらに細分化される。

シャモの名は、当時のタイの旧名・シャムに由来する。日本には江戸時代初期にタイから伝わったとされるが、正確な時期は不明。

闘鶏の隆盛とともに各地で飼育され、多様な系統が生み出された。闘鶏は多く賭博の手段とされたため、賭博が禁止されるとともに闘鶏としての飼育は下火になったが、食味に優れるためそれ以後も飼育は続けられた。現在は各地で食用として飼育されている(天然記念物でも、飼育や食肉消費は合法)。

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父の色紙は郷里の男の隠れ家にありますので、今回は並べての展示はできませんでした。



展示室に廊下に祖父の家訓と共に飾って愉しんでいます。父は家業と同業の仕事より、画家になりたかったのかもしれません。

人生は同じ道を目指す友がいると心強いもの、同じ道でなくても友を大切に・・・。




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