日々是迷走中

まったく同じ名前のブログがあるけど、gooのがあたしの。
自称永遠の八歳。
ただし他称、宇宙人。

3.11 四年目に思うこと

2015-03-11 14:08:45 | 非日常
また、あの日が来た。
今朝も吹雪で、庭先はまっ平ら。風に吹き飛ばされて、さらっさらの雪が絨毯のようだ。

三月11日。
今日も、あの日のように、スズメもカラスもどこにも居ない。
ざわざわとした恐怖感が、よみがえってくる。
地震の後の地盤のズレが、東北地方から北海道にかけての地域では解消されていない、とか。
まさか、まさか、また同じようなものが、来るのか?と・・・・あぁ、考えたくない。

本当に「考えたくない」と思っているからか、アノ頃の記憶は、ひたすら記憶の底に沈もう、沈もうとしてでもいるかのようだ。
心が、回復していない。
止まった時間、という言葉が、たぶん、誰にも当てはまるのではないか。
何か、していよう。何か、しなければ。
気ばかり焦って、空回りの感あり。

なにしろ、あの日自体は、恐怖もさほどではなく、ただ、いつものような地震が、「長かったね~」くらいだった。
恐怖は、情報からもたらされるもの。
情報の正確さとか、伝達の速さとか、必要なのに。
津波が来る、と言われて逃げた人だって、「まさか、ここまでとは」思ってなかっただろう。
大津波、という言葉すら、無かったんだもの。

文明に慣れきった果ての惨劇。
二度と、起きてはならないこと。

あたしたちは、知った。自然の恐ろしさとか、大きさとか、世界中から寄せられた深い友愛の気持ちとか。
感謝とか、助け合いとか、なにより、命のはかなさ、尊さとか。

その後の新聞やテレビのニュースを見ていると、本気で考えている人は少ないなぁ、と感じる。
誰もが身を持って知る必要は無いだろうけど、もっと、真剣に感じてほしいと思う。
災害に対する心構えとか、他人に対するいたわりの気持ちとか。
まるで、『何か起きても、自分だけは安全に違いない』という、無責任な自信があるかのようだ。
他人事ではない、いつわが身に降りかかるかもしれない、という真剣な気持ちが、見えてこない。


もうすぐ、その時間になる。
それぞれの胸に、それぞれの思いを持って。
黙祷。(-人-)


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