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いよいよ、年も押し詰まったという感じがする。
四角四面の記事ばっかりで、どうも、きまじめな性格は直せないかも
しれないなぁ。
予感というか、悪寒というか。
ブログくらい、楽しもうよっ、と思ったのだったが。
ブログ作成にあたって「まじめな記事を、記事には責任をとって」という
お達しのあったせいか、まっすぐ反応してしまう。
友人に言ったら
「そんなん、気にすること、無いっしょ?
元からまじめなんだから、羽目を外したくらいでちょうど良いんだよっ。」
と、励まされた(のだ、と思う???)
マジな話。
あたしぃ、半分は、乳母に育てられたんだ。
母親が、あたしが小さいとき、ずっと入院してたからさ。
三才になってなかった、と思う。
父親は、遠くに入院している母親のところへ、電車で行った。
なんで電車か、というと、小さな町医者で、駐車場が無かったから。
でも、駐車場は無かったが、腕は良かった。
父は、いつも、あたしに振り袖を着せて行った。
母が指摘したら、「洋服だと、前と後ろが解らないから。」と答えたそうだ。
そういえば、今でも、たまーに、自分のセーター、後ろ前に着てます>父
夏場は、田舎のこととて、蚊帳をつって寝ていた。
乳母さんは、いびきをかく人で、あたしはよく布団から転げ出して、すみっこで
丸くなって寝ていた。うるさかったんだもんで(-_-;)
でも、蚊に刺されるから、と、いつも、真ん中に連れ戻されたっけ。
母親が退院してきて、傍にいられると思ったら、あたしは保育所に入れられた。
うーん、うまくいかないもんだ>人生
と、幼な心に思ったもんだよ。
あんまり丈夫でなかった母のために、乳母やは、ずっと家にいてくれた。
掃除したり、料理を手伝ったりしてくれてた。
あたしは、この乳母やから、端唄や小唄、三味線や踊りを習った。
親は、それはあんまり面白くなかったみたい。
少しだけ教わっていた「着物の着方」や「縫い方」などを、意地になったように
あたしにたたき込んだ。「自分(母親)が教えた」と言いたかったらしい。
料理や家事一般、物差しで叩かれながら、教え込まれた。
抜けている年数を、仕込もうというように見えた。厳しかった。
そのほかは、ピアノやお習字、英語塾、スイミング、バレエなどを習わされてた。
そんなの、今になっては、「どーでもいいこと」ばっかり、だよ。
あたしは、端唄とか、お座敷芸の方が、ずっとずっと面白かった。
乳母やは、どっかの料亭の芸者さん上がりだったそうだ。
あたしが大学二年の時に、亡くなったけどね。
雪が降ると、ふっと思い出すの。
雪の降りしきる庭で、乳母やが、目に涙をためて、ぼんやり雪を眺めていたこと。
素足に庭下駄で、寒そうだった。
子供心に「見てはならないものを見てしまった」気がして。
誰にも言わなかった。
もう、遠いとおい思い出。
四角四面の記事ばっかりで、どうも、きまじめな性格は直せないかも
しれないなぁ。
予感というか、悪寒というか。
ブログくらい、楽しもうよっ、と思ったのだったが。
ブログ作成にあたって「まじめな記事を、記事には責任をとって」という
お達しのあったせいか、まっすぐ反応してしまう。
友人に言ったら
「そんなん、気にすること、無いっしょ?
元からまじめなんだから、羽目を外したくらいでちょうど良いんだよっ。」
と、励まされた(のだ、と思う???)
マジな話。
あたしぃ、半分は、乳母に育てられたんだ。
母親が、あたしが小さいとき、ずっと入院してたからさ。
三才になってなかった、と思う。
父親は、遠くに入院している母親のところへ、電車で行った。
なんで電車か、というと、小さな町医者で、駐車場が無かったから。
でも、駐車場は無かったが、腕は良かった。
父は、いつも、あたしに振り袖を着せて行った。
母が指摘したら、「洋服だと、前と後ろが解らないから。」と答えたそうだ。
そういえば、今でも、たまーに、自分のセーター、後ろ前に着てます>父
夏場は、田舎のこととて、蚊帳をつって寝ていた。
乳母さんは、いびきをかく人で、あたしはよく布団から転げ出して、すみっこで
丸くなって寝ていた。うるさかったんだもんで(-_-;)
でも、蚊に刺されるから、と、いつも、真ん中に連れ戻されたっけ。
母親が退院してきて、傍にいられると思ったら、あたしは保育所に入れられた。
うーん、うまくいかないもんだ>人生
と、幼な心に思ったもんだよ。
あんまり丈夫でなかった母のために、乳母やは、ずっと家にいてくれた。
掃除したり、料理を手伝ったりしてくれてた。
あたしは、この乳母やから、端唄や小唄、三味線や踊りを習った。
親は、それはあんまり面白くなかったみたい。
少しだけ教わっていた「着物の着方」や「縫い方」などを、意地になったように
あたしにたたき込んだ。「自分(母親)が教えた」と言いたかったらしい。
料理や家事一般、物差しで叩かれながら、教え込まれた。
抜けている年数を、仕込もうというように見えた。厳しかった。
そのほかは、ピアノやお習字、英語塾、スイミング、バレエなどを習わされてた。
そんなの、今になっては、「どーでもいいこと」ばっかり、だよ。
あたしは、端唄とか、お座敷芸の方が、ずっとずっと面白かった。
乳母やは、どっかの料亭の芸者さん上がりだったそうだ。
あたしが大学二年の時に、亡くなったけどね。
雪が降ると、ふっと思い出すの。
雪の降りしきる庭で、乳母やが、目に涙をためて、ぼんやり雪を眺めていたこと。
素足に庭下駄で、寒そうだった。
子供心に「見てはならないものを見てしまった」気がして。
誰にも言わなかった。
もう、遠いとおい思い出。