日々是迷走中

まったく同じ名前のブログがあるけど、gooのがあたしの。
自称永遠の八歳。
ただし他称、宇宙人。

師走に

2005-12-01 21:04:51 | 日常
いよいよ、年も押し詰まったという感じがする。
四角四面の記事ばっかりで、どうも、きまじめな性格は直せないかも
しれないなぁ。
予感というか、悪寒というか。

ブログくらい、楽しもうよっ、と思ったのだったが。
ブログ作成にあたって「まじめな記事を、記事には責任をとって」という
お達しのあったせいか、まっすぐ反応してしまう。
友人に言ったら
「そんなん、気にすること、無いっしょ?
 元からまじめなんだから、羽目を外したくらいでちょうど良いんだよっ。」
と、励まされた(のだ、と思う???)

マジな話。
あたしぃ、半分は、乳母に育てられたんだ。
母親が、あたしが小さいとき、ずっと入院してたからさ。

三才になってなかった、と思う。
父親は、遠くに入院している母親のところへ、電車で行った。
なんで電車か、というと、小さな町医者で、駐車場が無かったから。
でも、駐車場は無かったが、腕は良かった。
父は、いつも、あたしに振り袖を着せて行った。
母が指摘したら、「洋服だと、前と後ろが解らないから。」と答えたそうだ。
そういえば、今でも、たまーに、自分のセーター、後ろ前に着てます>父

夏場は、田舎のこととて、蚊帳をつって寝ていた。
乳母さんは、いびきをかく人で、あたしはよく布団から転げ出して、すみっこで
丸くなって寝ていた。うるさかったんだもんで(-_-;)
でも、蚊に刺されるから、と、いつも、真ん中に連れ戻されたっけ。
母親が退院してきて、傍にいられると思ったら、あたしは保育所に入れられた。
うーん、うまくいかないもんだ>人生
と、幼な心に思ったもんだよ。
あんまり丈夫でなかった母のために、乳母やは、ずっと家にいてくれた。
掃除したり、料理を手伝ったりしてくれてた。
あたしは、この乳母やから、端唄や小唄、三味線や踊りを習った。
親は、それはあんまり面白くなかったみたい。
少しだけ教わっていた「着物の着方」や「縫い方」などを、意地になったように
あたしにたたき込んだ。「自分(母親)が教えた」と言いたかったらしい。
料理や家事一般、物差しで叩かれながら、教え込まれた。
抜けている年数を、仕込もうというように見えた。厳しかった。
そのほかは、ピアノやお習字、英語塾、スイミング、バレエなどを習わされてた。
そんなの、今になっては、「どーでもいいこと」ばっかり、だよ。
あたしは、端唄とか、お座敷芸の方が、ずっとずっと面白かった。
乳母やは、どっかの料亭の芸者さん上がりだったそうだ。
あたしが大学二年の時に、亡くなったけどね。

雪が降ると、ふっと思い出すの。
雪の降りしきる庭で、乳母やが、目に涙をためて、ぼんやり雪を眺めていたこと。
素足に庭下駄で、寒そうだった。
子供心に「見てはならないものを見てしまった」気がして。
誰にも言わなかった。

もう、遠いとおい思い出。

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あっ (otikomi)
2005-12-01 21:08:14
写真のサイズ、また間違えた(^▽^;)>゛
返信する

コメントを投稿