私は「楽毅」をよく読むのだが「沙中の回廊」も良いなと思っている。両方共「名将」と呼ばれた人の話である。
宮城谷正光氏は「重耳」や「介子推」に続く「沙中の回廊」で晋の話が一応終わる。
この「沙中の回廊」は宮城谷正光氏の話の中では、始まりが盛り上がり、終わりに至って混乱を深めるという、逆のパターンである。
この「沙中の回廊」の主人公「士会」は、最初武張っている軍人だったが、後に兵法と法学、そして外交を学んだと言う成長物語となる。しかし、その後「趙盾」と言う一方的な正義を主張する独裁者の保身の政治の為に国家が徐々に衰退する姿を描いている。
その「士会」の姿は「重耳」の政治に関して「大功」があったのに、遁世して「無言の批判」をした姿に准える姿を取っている。これも即ち「介子推」なのである。
宮城谷正光氏の話は往々にして「敗者」の話である。
中国の英傑と言う者は、どのような形であれ「滅亡」への道を歩む。その後春秋戦国と続き、国家統一した秦ですら滅亡している。
結局栄華を望むのは虚しいことと言いたいのか?それとも理想を求めても無駄だと言いたいのか?
さて、その一方私は「鄭問」さんの「東周英雄伝」も好きなのだが、この東周英雄伝では[金且]麑(しょげい)が出てきて「趙盾」を屠岸賈に命令されて殺そうとする。良い宰相とわかった[金且]麑は自殺して、「趙盾」を生かした。この「鄭問」さんの「東周英雄伝」は清廉潔白となっているが、私も「趙盾」は保身の鬼のような感覚で見ている。「鄭問」対「宮城谷正光」では「墨子」が「空想家」見たいに扱われており、それには私は反対する。一方で「宮城谷正光」は孫子を高く評価している。
この中で、まぁ色々細かい点で宮城谷正光氏がおかしいとは思うが「鄭問」対「宮城谷正光」では、文化が違う事を思い知る。それは「伍子胥 」の所で「鄭問」さんが、旗を持った兵士をジャンプさせたり、宮城谷正光の小説では出てこない細かい衣装の記述が「流石大陸的」と思わず、びっくりした。
所詮宮城谷正光は日本の目で見た中国の歴史を見ているのだ。その一方で、「鄭問」さんは、自分の中の中国で描いているのだろう。
宮城谷正光さんは今も執筆中だが、「鄭問」さんは、東周英雄伝を描いていない。ちょっと残念だ。
何より、この日本と台湾の中国の歴史小説対決は、大陸中国では、過去の人間を称揚すると言われて出来ない。
つまり、中国大陸より中国の歴史を自由闊達に語れるのは台湾と日本だ!
何か、優越感!