goo blog サービス終了のお知らせ 

織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

南ア・鳳凰三山紀行(25) 「賽の河原」

2012年06月11日 | 南ア・鳳凰三山紀行
.




南ア・鳳凰三山紀行(25) 「賽の河原」 .




甲斐駒と稜線上地蔵


お地蔵さんと甲斐駒


オベリスクと地蔵尊




突き抜けた向こうに甲斐駒の勇姿がデーンと座っている。 
そして、左には仙丈ケ岳も。
最後のピーク地蔵岳に向かう鞍部に異様な光景を見た。
足元にはおびただしいお地蔵様が立ち並ぶ。
白砂の一間四方位のスペースに、20~30CM位の地蔵仏が、何十体も縦横に安置されているのである。 
風雪極まりない3000m近くの高峰においては、特に異なる光景である。
子授けに霊験があり念願成就したら、お礼にお地蔵様を担ぎ上げる習わしでもあったのだろう。
オベリスクの地蔵岳、最高峰の観音岳、薬師岳へと続く鳳凰三山は尊佛の名前が付され、この山域が仏教と深く結び付いた修験の場であることは明らかだ。

いつごろか、お地蔵さんを担いで地蔵岳へ登る様子が、NHKでも放映されたという。



賽の河原の急斜面




砂礫が広がる漠々としたこの辺り一体は、「賽の河原」とも言うらしい。
賽の河原は死んだ子供が行く所といわれる冥土の途中にあたる三途の川の河原である。

因みに、賽の河原とは、一般には死んだ子供が行く所といわれる冥途(めいど)の途中、つまり三途の川の河原のことで、普通、荒涼たる風景が広がっているところである。
ここで子供は父母の供養の為に小石を積み上げて塔を作ろうとするが、絶えず鬼にくずされる。 そこへ地蔵菩薩が現れて子供を救うという。 
別の例えでは無駄な努力の例えとも言われ、伝説では、現世と冥土の間にある三途の川の河原に「賽の河原」があり、親より先に亡くなった幼児達は極楽に行けず、本来なら不幸の罪によって地獄に行くところが、幼少の為この賽の河原にとどまり一つひとつ小石を積み上げるというならわしなのである。
この地蔵さんはまたの名を子授け地蔵といい、子供が出来るようにと、地蔵さんを彫ってもらい、この場所まで重い地蔵を背負って登ってくるという。

「賽の河原」について民間信仰の間では、賽の河原で自らと親の供養のために積み石(ケルン)による塔を立てて供養すると言う。 しかし、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうという俗信もある。 そのことから「賽の河原」の語は、「報われない努力」、「徒労」の意でも使用されるともいう。 
更に、子授け地蔵の伝説は、登拝した夫婦が地蔵一体を持ち帰り、その地蔵尊を自宅で祀って参拝祈願し、願いが叶うと二体にしてお礼の登拝をするという伝えもあり、又、賽の河原では、朝になると一面の白砂に小児の足跡が無数に現れ、消しても翌朝はまた現れるという伝説もあるようだ。
いずれにしても、現世にいる父や母を慕う亡くなった幼児たちの亡霊が、成仏できずに賽の河原をさまよっている、哀れな物語りである。
しかし、その子供たちは最終的には「地蔵菩薩」によって救済されるとされる。



次回、 「賽の河原地蔵





【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉

東北紀行2010内陸部    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」







南ア・鳳凰三山紀行(24) 「地蔵岳」

2012年06月09日 | 南ア・鳳凰三山紀行
.





南ア・鳳凰三山紀行(24) 「地蔵岳」



標識(鳳凰)




未だ夕刻前なのでこの後、天気も先ず先ずなので相棒と相談して「地蔵岳」まで空身で往復することにした。
小屋を出て真西へ、再び疲れた身体に鞭打ってひたすら登る。
青空が見えていたが、やはり地蔵岳までの登りはきつかった。
歩き疲れた足は、更に400メートル近い高度を登るのに、遅々としてはかどらなかった。御座石鉱泉から地蔵岳まで1700メートルの高度差を考えると、足の重いのも無理はない。

樹林帯を抜けて白砂のザレに出ると、紺碧の青空にオブジェのような花崗岩がそそり立っていた。
砂礫に足を取られながら巨岩を目指す。
観音岳の勇姿が一段と高く見える。
先ず、地蔵岳と赤抜沢ノ頭へのシラビソの多い樹林の道を稜線へ向けて登る。
30分ほど歩くと樹林が薄くなり、木々の間からオベリスクが見え始める。

上空の雲は晴れ始めていたが、後ろを振り返ると雲海が綺麗だ。
足元は砂地となり、賽ノ河原へと差し掛かる。
砂山の高度を上げるに従ってオベリスクが迫ってくる。
覗ったところ右手地蔵岳まで険しい岩峰が連続して不気味である。
鳳凰小屋から1時間かかって地蔵岳の巨岩、オベリスクの基部に至った。



後ろを振り返れば観音岳の左側に富士山がはっきりと見え始めた。
賽ノ河原を登りきると一面に地蔵が並んでいる。地蔵群の後ろには地蔵岳(オベリスク)がある
地蔵岳の左手には地蔵群の向こうに甲斐駒が少し雲をかぶっているが見えている。

徐々に急登から花崗岩が砕けた砂岩地帯に入ってくる。
木々を抜けると先にはオベリスクが強烈な形をしていてすごいの一語、しかも、でかい。
道はかなりの傾斜の砂場で歩きにくいことこの上ないが、一歩一歩、砂の足元を踏みしめながら高度を稼いでいく。
さすがに空身とはいいながら強烈なアルバイトをした後の急坂である。
急傾斜の砂場を登りきると地蔵岳の基部で、鳳凰小屋からキッカリ55分で地蔵岳に到着した。
そこには別天地が広がっていた。
そして、この山系の代表格である地蔵が、その特異な姿を誇らし気に見せる。
左の赤抜沢の頭から東斜面は樹林、西斜面はざっくりと切り落としたような花崗岩という特異な山様をしているが、それ以上にオベリスクと形容される地蔵の岩尖塔にはとてもかなわないであろう。
いかにもアルペン的、かつ宗教的な雰囲気が漂い、尖塔を形作る岩組みは、人工的に組み上げられた物でないだけに、一層、光背を持つ尊厳な石仏の重なりに見えなくもない。



次回、「賽の河原





【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉

東北紀行2010内陸部    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」







南ア・鳳凰三山紀行(23) 「ホウオウシャジン」

2012年06月08日 | 南ア・鳳凰三山紀行
.




南ア・鳳凰三山紀行(23) 「ホウオウシャジン」   .




岩場の鳳凰シャジン



鳳凰シャジン







地に生えるイワシャジンの高山変種とされ、南アルプス鳳凰三山のみで見られる固有種である。
岩の割れ目などに自生し、茎葉は細く、先端が鎌形にカーブし、7月から8月に紫色の釣り鐘形の花を数輪、枝垂れるように咲かせるのが特徴。


ところで、ホウオウシャジンとは通の御仁は既にお判りであろうが、中国の漢方薬「沙参」に由来するキキョウ科ツリガネソウの仲間で、葉が細く、紫色の釣鐘状に咲かせる高山性の植物である。
本州の中部-東海地方の一部に分布し、山地の沢や渓谷の湿り気のある岩壁などに自生する。

代表的なのが岩シャジンやヒメシャジンであるが、自生地によって草丈や姿に若干の違いがあり、産地の名前を付し、それらを変種として区別されている。
細い茎に釣鐘形の花をぶら下げるように付け、色は青紫色で先端が五つに切れ込み、茎葉は線が細く草姿は繊細な雰囲気を持っているがが、岩場などにしっかりと根を張る気丈な性質の植物である。

産地による変種の中で代表的なものに鳳凰山産のホウオウシャジンがよく知られている。 岩シャジンより更に草丈が低くて葉が細く、萼(花被の一番外側にあって花弁をかこむ部分)が大きく反り返るなどの特長があり、高山植物愛好家には特に人気がある。

小生も一時期そうであったが、野草の愛好家には「沙参に始まり沙参に終わる」と言う格言があるほどポピュラーであるが奥が深い種類です。
棚の上から見事に垂れ下がる紫色の花は実に魅力的でもある。


次回、 「地蔵岳






【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉

東北紀行2010内陸部    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」






南ア・鳳凰三山紀行(22) 「鳳凰小屋」

2012年06月07日 | 南ア・鳳凰三山紀行





南ア・鳳凰三山紀行(22) 「鳳凰小屋」


燕頭から登山道1


燕頭山からの道


小屋の前で若き女性がイソイソと体を働かしている。 何処から見ても、山が好きそうで一目でわかる山ガール派である。
「今日は、 今夜お世話になります」
「どうぞ、中へ入って受付してください」
小屋へ入ると外の女性とは対照的に宿の主人であろうか、チョット無愛想な語り口で
「うちは夜の食事はカレー専門ですから」
と前もって告げられてしまった。
どうも小屋の名物・・?は、自慢のカレーらしい。
小生たちは素泊まりをお願いするんで、特にカレーに関しては興味がなかったが、ただ、こちらの今夜のメニューもカレーの予定なので、果たしてどちらの味にぐんばいが・・?!。



鳳凰小屋



鳳凰小屋入口

当小屋はゴールデンウイーク前にオープンしたばかりで、小屋入りしてまだ2日目だそうである。
受付・売店食堂、トイレの整備や水場を確保など、まだまだ準備段階らしく、戸は開けっ放しで室内も外並みに寒い。
寒さ対策など、果たして今夜は大丈夫なのかと、少々不安にもなる。
又、デッキやテント場、炊事小屋などのこれかららしいが、あちらノキャンプ場では数張りのテントが彩りを添えている。
炊事は炊事小屋を利用できそうであるが、天気の良い日などは外のデッキが良いであろう。
鳳凰小屋の庭にあるデッキからの眺めは先ず先ずで、思い思いに景色を楽しめそうである。





鳳凰小屋2

【鳳凰小屋のPR】
鳳凰小屋は、山梨県南アルプス鳳凰三山、地蔵岳(標高2780m)直下に位置する山小屋で、しらびその森の中にあり小屋の周辺は、初夏から秋にかけ「花の鳳凰小屋」と呼ばれるほど、美しい豊富な花々に囲まれます。 中でも鳳凰にしか咲かないその名も「ホウオウシャジン」が魅せる深い紫色はとても美しい。 秋には、鳳凰の森が競いあうように発色する豊富な色の紅葉が色づきます。 観音・地蔵岳から湧き出る天然水が、鳳凰の深い森で育まれ 季節を問わず一年中小屋の前を清らかに流れています。 鳳凰の自然が持つ豊富な花や森の変化をゆっくりと感じながら季節を変えて何度も登って欲しい。 鳳凰小屋は、小屋を訪れる登山者に、鳳凰が持つ山と自然の魅力、この場所にしかない雰囲気と出会い、ひと時のやすらぎをプレゼントしてくれる、温かく懐かしい昔ながらの山小屋です。



次回、鳳凰三山紀行 「ホウオウシャジン」






【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉

東北紀行2010内陸部    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」






南ア・鳳凰三山紀行(21) 「燕頭山」

2012年06月06日 | 南ア・鳳凰三山紀行
.




南ア・鳳凰三山紀行(21) 「燕頭山」 .













燕頭付近の様子や道程




燕頭山と書いて(つばくろやま)と読むらしい。
尤も、後で知ったのだが「燕頭山」の呼び名は、鳳凰山荘の主人が「地図には“つばくろあたまやま”と書いてあるがわれ等は“つばくらあたまやま”と呼ぶのが正しい」と言っていた。

ちょっと開けた尾根から御所山・千頭星山の方を見ると富士山の中腹が見えていた。
ただ、ここは山頂というよりもだだっ広い高原状で、あまり山頂らしくはなく、展望も今一といったところである。
だが、この地へ至って約1000メートルの高度を消化したことになる。
林床の笹原に見上げるようなダケカンバの大木、そしてサルオガセが風に揺れる景観に標高が高くなったことを実感する。

一瞬雲が切れて木々の間の彼方から観音、薬師岳が一段と峻峰を誇っている。
だが、すぐに雲の中に消えてしまった。
燕頭山から鳳凰小屋まではまだ延々とした道程が続くが、高度にするとあと300メートル程で、今までと比べて比較的平坦路と思ってもよいであろう。




燕頭から登山道2


燕頭山の山頂一帯は樹木に覆われていて栂や唐松の木には「サルオガセ」、(樹皮に付着して懸垂する糸状の地衣で霧藻、蘿衣ともいい、ブナ林など落葉広葉樹林の霧のかかるような森林の樹上に着生する)が沢山ついていた。
その樹林の間から観音岳、薬師岳の威容が眺められる。 まだかなりの高峰にあって、この後、あの高嶺に向かうはずであるが、この地から見ると別次元の山塊のようだ。 


確かに、燕頭山からは傾斜は幾分緩くなる。
安全のために作られた木道までも崩れてしまっているガレ場を通過し、鳳凰小屋を目指す。
ほっとした気分が、かえってだらけを誘ってこれからが長く感じた。



この辺りから南アルプス特有の深い樹林を、所々に残る残雪を踏んでだらだらと登る。
時折、合間より右手地蔵岳の裾から甲斐駒ケ岳が現れ出した。
ここから眺める甲斐駒は正三角錘で最高に格好がよい。山合に八ヶ岳も見え出した。冠雪の赤岳がやたら尖って見える。

ドンドコ沢側へ山道が移ったとき、彼方に待望の今日の宿泊地・鳳凰小屋が微かに見えた。
それより凡そ1時間の歩行をとりつつ、樹林の中のピークへ登り詰め、それから山の向こう側へ緩やかに下り、そして、漸くにして地蔵岳の東下の鳳凰小屋に到着した。
この辺り、標高2400mと高度から言って既に森林限界にも近く、ダケカンバや米栂が疎らに生えたの林に囲まれて静寂の中にあった。


次回、 「鳳凰小屋






【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉

東北紀行2010内陸部    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」