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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

南ア・鳳凰三山紀行(20) 「旭岳」

2012年06月05日 | 南ア・鳳凰三山紀行
.





南ア・鳳凰三山紀行(20) 「旭岳」 .



旭岳の山頂周辺


旭岳の祠


猿田彦の石碑




その後八合目の石柱も見て更に登ると また尾根から崩れているガレ場があり用心して越えていく。
何回かの小休止で、振り返ると秩父の山並みがグーッと競りあがってきている。
更に、上部に行くにしたがってアノ高邁な「八つ岳」の雄姿が、スッキリと顔を覗かせてきている。
更に樹林帯をひたすら登りながら、木々の間から燕頭山のピークや富士山が見えかくれしている。
道中100m以上も落ち込んだガレ場、崩落現場を幾つも通りながら先ずは旭岳へ向かう。

しばらくすると坂が緩くなり笹原が現れてきて、七合目から20分ほどで旭岳頂上に出た。
頂上と言ってもすぐ先から再び燕頭山、地蔵岳への登りが始まるので石柱がなければ山頂とは気付かないぐらいである。
崖っぷちに猿田彦を祀る祠があって、ここにも小さな社が安置されている。

因みに、猿田彦とは道祖神のことも言われる。
登山道に登山の道標と安全を祈願するために道祖神が祀ってあるのは極めて自然であろう。
猿田彦(サルタヒコ)は、日本神話に登場する祖神で、「古事記」や「日本書紀」の天孫降臨の段に登場してくる。
邇邇芸尊(ニニギ)が天降りしようとしたとき、高天原から葦原中国(日本国土)までを照らす神がいた。 その神は鼻が長く、背丈は大きく、目が鏡のように、ホオズキのように照り輝いているという。 そこで天照大神(アマテラス)、その神の元へ遣わして誰であるか尋ねるよう命じた。 その神は国津神(天津神は高天原にいて天降った神の総称、それに対して国津神は地に現れた神々の総称とされている)の猿田彦で、邇邇芸尊らの先導をしようと迎えに来たのであった。
猿田彦は天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視されているのである。




燕頭山の道



その直ぐ上が瘠せ尾根のガレ場で、白い砂礫は崩落した花崗岩である。
燕頭山からは薬師岳~観音岳の美しい稜線が眺められた。
それから先は右側が落ちる桟敷道の樹林帯を緩やかに一歩一歩神経を注ぎながら登って行く。
とにかく燕頭山まではこんな急坂状態だろうと思っていたが、西平の辺りが少し平坦なだけで、あとはずっと樹林帯の急登でかなりきつい。
樹木にはサルオガセが垂れ下がり、一面苔むした南アルプスらしい樹林帯を黙々と登ること気がつくと3時間半でようやく第一目標であった燕頭山に到着することができた。

小服の後更に、小さなガレ場を過ぎ、クマザサとコメツガの中を登る。
しかし、目と鼻の先にあったはずの燕頭山へは、いざ歩を取ってみるとナカナカ達しない。
しかも、相棒は余程調子が良いらしく、次第に小生より先行するようにんなっていた。
1,2度小服を繰り返し最後・・?、の急坂を35分ほど登ると目の前がスーッと開けてきて、よう様にして燕頭山に着いた。


次回、 「燕頭山





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南ア・鳳凰三山紀行(19) 「石碑・不動明王」

2012年06月04日 | 南ア・鳳凰三山紀行
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南ア・鳳凰三山紀行(19) 「石碑・不動明王」 .




山中、今にも風化しそうな「不動尊石碑」


不動明王立像




この七合目の広場には「立身山五竜不動尊」という石碑も建っていた。
行者か修験者が自分の身の上の安泰と向上を狙って建てたものであろう。
一般に不動尊とは不動明王のことで、現在でも地域によって不動尊信仰が盛んであり、「お不動さん」でお馴染みである。 

関東の有名どころでは「成田山新勝寺」、鎌倉の「成就院」であろう。



不動尊は密教(日本では平安初期以降に広まったインドの大乗仏教の教えで、真言密教、天台密教がある。深遠で、凡夫にうかがいえない秘密の教えとも言われる)の根本尊である大日如来の化身とされ、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものとして崇められている。

悪魔を下し、仏道に導きがたいものを畏怖せしめ、煩悩を打ちくだき、菩提心の揺るがないことから「不動」といわれる由縁である。

「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれ、アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ている。



尚、普通一般の仏像は、人々の心を打ち溶かす柔和な表情をしているが、不動明王仏は悪魔を降伏するためとして物凄い形相、姿をしている。 
姿は目を怒らせ、右手に宝剣を持ち、左手には縄を持つ大変恐ろしい姿をしているが、それは、すべての障害を打ち砕き、おとなしく仏道に従わないものを無理矢理にでも導き救済するという役目を持っていて、厳しくもやさしい慈悲に満ちているとされる。
今でも多くの仏像の造作例が多い。



序ながら、鎌倉成就院の本尊は不動明王で、縁結びにご利益があるといわれ、現在、若い女性に人気があると言う。
縁結びというと男女の関係という感じであるが、男女の関係に限らず仕事や人間関係の縁結びにもご利益があるといい、特に携帯電話の待受にすると、更に、運気がアップすると言うのだが・・?。


次回、 「旭岳へ





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南ア・鳳凰三山紀行(18) 「信仰の道」

2012年06月02日 | 南ア・鳳凰三山紀行
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南ア・鳳凰三山紀行(18) 「信仰の道」



燕頭山からの登山道1


燕頭山からの登山道2





空身であるが地元の女子高の山岳部パーティが、われ等をあっと言う間に追い抜いていった。
女子とは言いながら大したもんだと半ば感心しながら、そんな時、フト自分の年齢と体力について水平思考が脳裏をかすめる。
年甲斐もなくこんな重荷を背負い、苦行しながら何で山に登らなければいけないのか・・?。
尤も、苦しい山登りの最中には時折、このような愚問が頭をよぎる。
「クソッ、・・!!」
「あと何時間、こんな思いをしなければならないんだ・・!!」
だが、いつもの事ながら納得のいく、答えは浮かんでこない内に時だけは過ぎ去ってしまうのである。
一歩一歩、左右に重心を慎重にかけながら、確実に歩調は進んでいる。
それにしてもウンザリするほどの物凄い急登の連続である。


混成林の中の登りを登っていくと時々大きな松の大木がある。
見上げながら脇を抜けていく。
半分朽ちた大木には大きなサルノコシカケもついている。
しばらくは展望のきかない登りをひたすら登って行く。

まだ青々とした林の中を登って行くと左側で治山工事をしている場所を通過する。
それにしても大きな崩落防止の工事だ。
この山は、未だ活動期の山岳らしく、いたるところに崩落している谷があり、そのうち登山道も崩壊してなくなってしまうのではなかろうかと不安にもなる。

尾根筋の樹林の開けたところで左手を見ると、韮崎の平地越しには中央に茅が岳、その後ろに国師が岳、金峰山といった奥秩父の名山が雲に浮かぶように見えている。
1時間ほどで西の平という石空川渓谷(いしうつろがわけいこく)からの分岐に出た。


まだまだ急登は続く。
西の平から1時間近く歩いていると、右手(北)に木々の間から八ヶ岳連邦が見られた。少し登った左手(南東)の開けた所から富士山も見られる。
しかしながら急坂は途切れることなく続く。
なおも樹林の中の道を進むと何故か七合目の石柱のある広場に出た。
普通、「合目」の標識のある山はほとんど1合ごとに標識が建っているはずであるが、ここでは突然7合目が現れた。
昔は信仰登山が盛んだった頃は、列記とした案内柱があったのであろうが、次第に風化してしまったのであろう。
ただ、昔の信仰登山のルートは石空川渓谷からが一般的だったらしく、このルートには石仏や道祖神、合目を表す高度標柱などが苔むして風化しながら未だ存在しているらしい。

ところで直下の石空川渓谷には、北精進ヶ滝と呼ばれる高さ120mの大滝がある。 
山を隔てたドンドコ沢にある南精進ヶ滝と区別するために北精進ヶ滝と称しているが、元来は精進ヶ滝といえば当滝を指しているようである。

鳳凰山を信仰する行者が石空川を遡行する経路を辿る場合、この滝で斎戒沐浴(さいかいもくよく;沐は髪を洗う、浴は体を洗うの意で、心を清め身を洗うこと)する事からその名がついたとされている。 
北精進ヶ滝は、日本の滝百選の一つでもある。
又、石空川の北沢には「行者の滝」という名滝もあり、何れも信仰登山の行者に縁のある名前がついている。

現在、滝ブームと言われる。 
石空川渓谷も林道がかなり奥まで開削されていて、名の通った北精進ヶ滝やその他の滝を見物すために多くの人々が訪れているらしい。
この名瀑布を次の機会にでも訪れてみるか・・?。

尚、昔の信仰登山のルートであった石空川渓谷から燕頭山(つばくろあたま)へ到る道は現在では一般ルートでは無くなっているようだ。
 

次回、「石碑・不動明王」




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南ア・鳳凰三山紀行(17) 「鳳凰三山・入山」

2012年05月31日 | 南ア・鳳凰三山紀行





南ア・鳳凰三山紀行(17) 「鳳凰三山・入山」 .




地蔵岳とオベリスク(クリック大)



早速、彼とお膳を囲んだ。
酒好き、どちらかというと飲兵衛の両人である。
久しぶりに逢った彼であり、酒を酌み交わしながら話もはずむ。

『 山好きに 飲兵衛ありき また楽し 』 

酒を追加し、出来あえの料理を追加注文して、更に山の談議をしながら夜は更けてゆく。
それでも、まだまだやりたいところだが、明日のハードなスケデュールがあるので、仕方なくお開きにした。


翌朝、薄日が指すも朝もやの中で目が覚めた。
昨夜のアルコールが十分消化されないで、頭の隅にまだ残っている状態であり、そんな気だるい体調ではあるが、イソイソと準備を整えて何とか出発の運びとなった。

登山道は、御座石鉱泉の玄関に向かって建物の右側を通り抜けて行く、ちょっと通り難い登山道入り口となっている。
登山道はいきなり急登 で、しばらく眺望のない登山道を黙々と高度を上げて行く。

急な登りが乗っけから始まっていて、未だ体調が整わない中苦しい上りがいきなり始まる。
程なく行くとやや平坦なところへ出た。
西の平と小さな案内板が立っていて、ここは右からのつまり石空川渓谷からの合流、分岐点でもある。
左下方には、昨日訪れた「白樺林」の鮮やかな様相が目に飛び込んでくる。


さて、これからが本格的な急登の連続であり、標高差にして約1000mはあるだろう。
大型キスリング両肩に食い込み、両腕がジーンと痺れてくる感覚である。
しかし、道は大勢の登山客が歩いているらしく、よく整備されていて比較的歩きやすい。
ステップを確実に一歩一歩進める。


続く・・、




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南ア・鳳凰三山紀行(16) 「御座石金山」

2012年05月30日 | 南ア・鳳凰三山紀行
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南ア・鳳凰三山紀行(16) 「御座石金山」



ところで、山梨県には黒川金山(大菩薩の北部山域)など、山中所々に金山遺跡が見受けられる。

江戸時代に編纂された地誌や今に伝わる伝承を含め、武田信玄による隠し金山と呼ばれる金山が幾つもあったと伝えられている。
それらの中で、塩山市北方の「黒川金山」と身延町(旧下部町)の「湯之奥金山」などが有名であるが、それらの一つに、余り知られていないが「御座石金山」があったという。


ただ、御座石金山に関しては余り文書などの資料は残されてなく、その存在はベールに包まれているともいう。
鳳凰三山の玄関口にあたる御座石鉱泉近くには、古い坑道やその周辺からは含金(?)黒鉱鉱石を採集できるという。

「御座石鉱泉」の人の話では、近くに製煉所跡も残っているようですので改めて、探索する価値もあると言われる。



「御座石鉱泉」前を流れる小武川(こむかわ)を上流に向かうと、堀跡とみられるガレ場があり、その近くに古い坑道が残っている。

「山梨県地質誌」によれば、御座石鉱山は、御坂層群の黒鉱式鉱床および鉱脈とされ、黄鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、重晶石を含むとされている。

黒鉱に伴う「金」は山梨県の金山では他に例を見ないユニークな存在で、坑道の入口付近やガレ場にには、鉄錆に覆われた部分や石英脈が走る部分がありその近傍に、真っ黒い黒鉱が眠っているという。

黒鉱とは、日本に特産する銅・亜鉛・鉛などの原料となる暗灰色の緻密な鉱石のことで、黄鉄鉱・黄銅鉱・四面銅鉱・重晶石・石膏などから成り、多少の金・銀を含む。



「御座石鉱泉」の玄関には、御座石鉱山の一部に緑青(ろくしょう;銅の表面に生ずる緑色の錆)を吹いた握りこぶし大のカラミ(鉱滓)が置いてある。

鉱泉の人の話では、昭和21年ごろまで鉱山は採掘しており、カラミ(すらぐ;鉱石を溶錬する際に生ずる、金属分をとった残り滓カス)があちこちの製煉所跡に落ちているとのこと。
古い時代のものは、製煉技術が発達していなかったので、金属分がカラミに含まれ、手に持つと重く感じるとのことであった。



尚、金山経営というのは、新田開発とともに戦国大名の軍事行動の基盤となる富国強兵政策であった。

甲斐の国においても最盛期を迎えていたと言われる大菩薩嶺の黒川金山(旧塩山市鶏冠山、現甲州市)や西八代郡の湯之奥金山や中山金山、南巨摩郡の保金山、それに北巨摩郡の御座石金山などに代表される。

これら本国(甲斐の国)の金山に加え、諏訪郡の金鶏金山や駿河の富士金山や安倍金山など直轄領の拡大で接収された他国の金山でも産出され、武田晴信(信玄)時代の対外的軍事行動を支えた。

しかし、甲斐の国の衰退、特に次代の勝頼時代の衰退とともに金鉱も衰えたといわれるが、それらの事実根拠を関係付ける論説も存在するとされる。






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