goo blog サービス終了のお知らせ 

織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

尾瀬紀行(9)尾瀬 「点線国道」

2011年06月14日 | 尾瀬
大清水⇒三平峠⇒尾瀬沼⇒沼尻⇒燧ケ岳⇒御池(泊)⇒裏燧林道(田代群; 御池田代、姫田代、上田代、ノメリ田代、横田代、西田代、天神田代、兎田代)⇒三条の滝⇒平滑の滝⇒赤田代⇒下田代(見晴十字路)⇒白砂峠⇒尾瀬沼⇒長蔵小屋(泊)⇒大清水
(昭和48年(1973年)5月3日~5日)




 尾瀬紀行(9)尾瀬 「点線国道」   、




国道401号線標高図(「道中閑有り」;http://www.hyokozu.jp/henshu/  さんから借用しました)



因みに・・、
隣県同士でお互いの県へ車で行き来するための車道が無いのは、全国で群馬県と福島県のみであるらしい。
尤も、群馬県と福島県が接している総延長距離は20kmに満たない。 
この県境の中心に尾瀬沼があり、西には尾瀬ヶ原が広がる。



その昔、群馬県の沼田市から、尾瀬沼を通って福島県の会津若松へ至る道は群馬側からは会津街道、福島側からは沼田街道と呼ばれ、会津と上州を結ぶ交易路とされていた。

交易が盛んに行われていたのは江戸期のことで、初代沼田城主の真田信幸(信之;真田家当主・真田昌幸の子。 公式には上田藩および松代藩の初代藩主)が戸倉に関所を設けたのち、路の整備を行ったとされている。
交易された物資は、会津側からは米や酒、上州側からは油や塩・日用雑貨などで、尾瀬沼のほとりの三平下のあたりで中継されていたという。
 

また、幕末の戊辰戦争(1868年)の際には会津軍と征東軍が会戦しますが、最後まで抵抗した会津軍は、沼田街道を通って征東軍が侵攻してくることに備え、大江湿原辺りに防塁を築いたとされる。
その名残りが現在でも大江湿原に馬蹄型として見られるが、結局は会津軍は尾瀬を越え、戸倉で交戦になったため、この防塁が使われることはなかったという。


現在、この街道は尾瀬を通る国道401号(沼田街道・会津街道;重複区間あり)として、沼田市から会津若松市に至っている。 
但し、檜枝岐地区の七入、赤法華、沼山峠休憩所、尾瀬、そして片品村の三平峠、岩清水、一ノ瀬休憩所、大清水までの区間は登山国道、点線国道などとして知られる。 
(但し、この歩道区間は国は群馬県、福島県両県に保守、管理を委譲し、直接的には関与していないため、正確には国道指定はされていないらしい)



点線国道とは、国道の車両通行不能区間における国道指定された連絡路(海上国道を除く)のことで、同じく群馬県内では上越国境谷川岳山麓を通って清水峠から越後へ通じる国道291号、通称・清水街道がある。 この区間は、歩行でも一部通行不能部分がある。


小生のH・P 「上越国境・谷川岳」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/kokkyou.htm


次回、古代の「尾瀬街道



【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」




.

尾瀬紀行(8)尾瀬  「尾瀬(道路)の環境経過」

2011年06月13日 | 尾瀬
.




.



 尾瀬紀行(8)尾瀬 「尾瀬(道路)の環境経過」



年代尾瀬の環境保護経過
1934年12月(昭和9年)日光国立公園指定
1938年5月特別地域決定
1940年1月公園利用の一環として旧沼田街道(沼田から片品村)を福島県側へ伸長させ、県道沼田・田島線の名で車道化することを予定する
1949年10月一部計画の追加決定。 道路は主要地方道大清水-七入線として確認される。(大清水~三平峠~尾瀬沼~沼山峠~七入区間)
1953年12月特別保護地区に指定
1960年 3月特別天然記念物に指定
1966年大清水から奥の拡張工事始まる
1967年12月厚生省は日光国立公園尾瀬地域の公園計画「尾瀬を守る計画」を決定。1949年の計画路線(大清水~尾瀬沼畔~七入の公園計画車道)を、特別保護地区外のルートに迂回すること指示
1970年3月厚生省は三平峠工事(大清水~七入線の、柳沢~三平峠間6.1km)認可
1970年12月柳沢~一の瀬間、ほぼ完成。 この直後から一の瀬~岩清水間着工
1971年6月三平峠入口の岩清水がブルドーザーによって無惨につぶされる(小生、三平峠より尾瀬入山 好天、水芭蕉真盛り)
同 7月1日環境庁(自然保護局を含む)発足
同 7月21日平野長靖氏、大石環境庁長官に直訴
同 7月30日大石環境庁長官、尾瀬視察。中止又は路線変更の意向表明
同 8月20日神田群馬県知事、「工事中止と路線変更を検討する」と語る。
三県知事、現ルートでの車道建設断念
同 8月21日尾瀬の自然を守る会発足。全国に自然保護運動広がる。「趣味の運動」が「レジスタンスの運動」に市民運動が転換する
同 12月1日平野長靖氏、豪雪の三平峠で遭難死(享年36歳)。


次回、「点線国道



【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」




.

尾瀬紀行(7)尾瀬 「尾瀬発・環境保護元年」

2011年06月11日 | 尾瀬
.



 尾瀬紀行(7)尾瀬 「尾瀬発・環境保護元年」  .




昭和40年代は日本の高度経済成長期にあり、天下の「尾瀬」は観光客増加によって自動車道路の建設が計画され、それが確実に、着実に実行されつつあった。

この時、尾瀬を護るべく長蔵小屋の平野長靖が初代環境庁長官に、工事中止の直訴をしている。

大石長官は平野氏の直訴を快く受け入れ、早速、尾瀬と工事現場を視察し、建設促進派の田中角栄通産相、福島、新潟、群馬の三県知事等と談判し、一時は強硬な反論を受けたが更に説得を続け、遂に建設の中止を決定させた。


この時期、「昭和46年」は、日本が高度経済する中、環境汚染や自然破壊が問題として取り上げられるようになり、行政府の中に新に「環境庁」(2001年<平成13年>庁から省に昇格)が設置された。 

更に、日本自然の特質される地域の「尾瀬」で、自然保護活動が成就した年でも有った。
この年を、「環境保護元年」とも称し、全国で環境保護活動が目覚めた年でもあった。


この年、尾瀬を護った人物として平野長靖氏が尾瀬・一の瀬近辺で遭難死したこと。 
更に、尾瀬・長蔵小屋の近くの追悼集会では尾瀬愛好者が全国から500人が押寄せたとなど、各社新聞は大きく報じていた。 

その中で、大阪から来たというある女性・・、
「 大阪の近くにはこんなところあらへん、自然を守るとはどうゆうことか、尾瀬を歩いて判ったような気いします 」

次回、「尾瀬(道路)の環境経過




【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」





尾瀬紀行(6)尾瀬 「環境庁発足」

2011年06月10日 | 尾瀬
.



 尾瀬紀行(6)尾瀬 「環境庁発足」    、



昭和46年の初頭、日本の政治の中で特筆すべき事柄が起こった。 
即ち、政治をつかさどる中心の行政府・内閣の中に「環境庁」と言う新しい部署が設立されて、初代長官に大石武一氏が任命されたことであった。

その後の大石武一環境庁長官の“尾瀬に関する随想”の中から一部を抜粋してみる・・!。

『 就任から3ヶ月を過ぎた7月23日の夜のこと、友人である共同通信の記者が珍しくも見知らぬ青年を伴って尋ねてきた。 青年は尾瀬に在住する「平野長靖」と名乗った。 詳しく聞くまでもなく、平野長英君の御子息であることは直ぐに判った。 長靖君は、現在進行している群馬・新潟・福島三県に跨る観光開発道路の工事を、環境保全、尾瀬の景観を守るべきとして、中止するよう切々と訴えた。 「もし現在進行中のまま放置し、見過ごされたならば、道路は間もなく尾瀬沼の湖畔を通ることになり、それによって無数の自動車が押寄せ、入り込んできて、その結果排ガスで自然の草木は枯れてしまい、サンダルやハイヒールで湿原が踏み荒らされ、大きな自然破壊が起こることは目に見えている。 今の内何とかしなければ、天下の景勝“尾瀬”は死んでしまいます。 先ず、今の仕事をご覧ください、 大木が片っ端から切り倒され、山襞が削り取られのは、私らの身を削られる思いです。 三平峠を越えて尾瀬へ向う人々が先ず憩う、岩清水の木陰はどんなに素晴らしい想いの地であったか、 その地は既に全部伐り取られ、清冷な岩清水の水口は破壊される始末です。 自分としては最早、万策が尽きてしまったので、遂に、大臣にお願いし、期待するしかありません。 どうか尾瀬をご覧になって、そして、尾瀬を救ってください」 私は深い感銘を受けた。 そして、直ちに視察に出かけることを約束したのである。 そして私の観た尾瀬は極めて清楚に護られているということだった。 三平峠を越え、頂上を過ぎた辺りで、例の工事現場に立ったとき私の考えは決まった。 “どんなことがあってもこの工事は中止させる”、 “尾瀬は子々孫々にまで大切に残してゆかなければならない” “そのためには如何なる蛮勇を奮っても構わない” 私はこの道を下りながら、ひそかに長靖君に伝えた。 彼はただ黙って、快く頭を下げた。 東京へ戻ってから、私は直ちに三県の知事の上京を求め、そして、尾瀬を護るための相談をした。 経過中は色々な事が有り、起こったが、結局は三県知事の自発的な合意によって観光道路は根本的に計画の変更が了承され、工事は直ちに中止された。 尾瀬はこれで一応の危機はのがれ、今後は世論の支持を得て、更に積極的な保護の方向に進むことになったのである。 私は各県知事、特に群馬県の神田知事の自然への愛情と好意に深く敬意を表します。 
12月1日(昭和46年・  年)、会議中の私は秘書から一片の紙切れを受け取った。 それには「平野長靖さんが尾瀬の大雪で遭難されました」と記してあった。 「うそだ・・!!」と私は思わず叫んだ。 しかし、それは無念ながら事実であった。 自然保護に尽力した人物として平野氏の遭難を、各新聞は何れも大きく報道した。 自然を愛する全ての人々の嘆きは大きかった。 私の落胆も大きかった。 あれだけ気力に満ちた長靖君は、もう帰らぬ人となってしまった。 僕が数回の邂逅だけで、あとは心の友、思い出の友として大切にする以外、道は無くなったのである。 その後、東京の朝日講堂において友人たちの手による平野長靖君の追悼会が催された。 翌年の7月23日(一年前の昭和47年、平野氏が大石長官宅を初めて尋ねた日)、尾瀬の大江川湿原の入口にある小高い丘に、(通称・やなぎらんの丘と呼ばれている)遺骨を納めたのである。 その午後、私たちは小屋(長蔵小屋)を発って三平峠を越え、山を下りきった地点で、「ここで長靖君は亡くなったのです」と聞いて憮然とした。 ここから一の瀬小屋までは一足のところではないか、折角ここまで頑張って来たのに、何故、もう少し辛抱出来なかったのか、私はやりきれない気持ちになった。 
今年も、尾瀬は相変わらずの姿を見せ、水芭蕉の白い花が咲いていることだろう・・!。 何万人かの人々がその美景を求めて、峠を越えていることだろう。 私は尾瀬が長靖君の願い通りに、永久に清らかで、豊かな自然のままであることを祈るばかりである。 』

次回、尾瀬は「環境保護の原点」



【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」



.

尾瀬紀行(5)尾瀬 「尾瀬の環境保護」

2011年06月09日 | 尾瀬
【尾瀬紀行行程】
大清水⇒三平峠⇒尾瀬沼⇒沼尻⇒燧ケ岳⇒御池(泊)⇒裏燧林道(田代群; 御池田代、姫田代、上田代、ノメリ田代、横田代、西田代、天神田代、兎田代)⇒三条の滝⇒平滑の滝⇒赤田代⇒下田代(見晴十字路)⇒白砂峠⇒尾瀬沼⇒長蔵小屋(泊)⇒大清水
(昭和48年(1973年)5月3日~5日)




 尾瀬紀行(5)尾瀬 「尾瀬の環境保護」   、


一ノ瀬休憩所の直ぐ近くに片品川にコンクリートの真新しい橋が架かる。 
その真下に今にも朽ちそうな、崩れ落ちそうな古ぼけた吊橋が渡されている。

改めて気がついたが、大清水からこちらまでは立派な林道、大型車が楽に通れるほどの道路を歩んできた。 
この道は更に岩清水から三平峠の近くまで到っているらしい。
所謂、昨今開発された尾瀬にいたる観光用の道路である。

林道下部にある崩れ落ちそうな古ぼけた吊橋は、旧来の大清水から尾瀬へいたる山道に懸かっていたもので、新しい道路が開発されるに及んで、或いは、いずれ忘れられて廃道になりつつあるのかもしれない。


一方、尾瀬沼北側の会津口のルートは、現在、観尾瀬光用の道路が御池を経て、尾瀬間近の沼山峠にまで達していて、乗り合いバスも到達しているらしい。
いずれの道路も日本が誇る一大自然景観地へは一投足、目と鼻の先である。
やがて道路は、上州・片品村と会津地方とが尾瀬沼界隈で連絡され、繋がろうとしているのは必定である。


日本の自然宝物“ と言われる尾瀬に道路が開通すると、勿論、マイカー族やミーハー族(世の中の流行にかぶれやすく、敏感に反応する人々)が、わんさかと這入り込み、跳ね繰りまわって、この自然豊かな景観地や多種な高山植物群はたちまちにして踏み荒らされ、数年以内には消滅するともいわれる。

それは、片品川に架かる旧来の風情豊かな吊橋が、やがて古ぼけて朽ち、崩れ落ちてゆく様が、観光化の名の下に行われている自然破壊の縮図を見るようでもある。 


しかし、嬉しいことに、この両者の道路は結合することはなかった・・!! 。

特に、大清水よりから尾瀬沼へ抜ける車道は、一昨年の昭和46年頃から工事はストップしており、現在の状態を保持続けているらしい。
無論、これには確かな理由があり、種々エピソードもあり、幾多の人間の絡み合いが有ったことは確かである。

次回、「環境庁発足




【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」