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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

尾瀬紀行(4) 「一ノ瀬休憩所」

2011年06月08日 | 尾瀬
.


 尾瀬紀行(4) 「一ノ瀬休憩所」  .




休憩敵地、「一ノ瀬休憩所」



約1時間、高低差の無い単調な砂利道を歩くと、一ノ瀬休憩所に到着である。 
ここまでは足慣らしとして、丁度良い距離であろう。
一ノ瀬休憩所は、そろそろ開店の準備といったところか、小屋の前にはジュース、缶ビールやご当地の野菜が冷たく冷やされていた。
チョッと腰を下ろして、周囲の風光に浸る。

思い起こすと一昨年(1971年)の6月、初めて尾瀬へ入り、尾瀬沼や尾瀬ヶ原を周遊した。
その時、長蔵小屋で若き青年が『 尾瀬環境保全のための自然保護運動を展開しております。賛同していただける方は御署名をお願いします 』と各ハイカーに伺いを起てていた。 

自然を愛し、山を好んで歩んでいる小生も、当然ながら署名をした一人である。
そして、後で知った事だがこの署名を集めていた青年は、この小屋の主・平野長靖氏であることが判った。

更に、この平野氏は一昨年、政府内に新設された「環境庁」の初代長官の大石長官に、尾瀬の自然を護るべく自宅にまで押しかけて直訴し、尾瀬を通る道路の建設を中止させたとして良く知られる人物であった。

ところがその年の冬、この地・三平峠へ至る「一ノ瀬休憩所」の近辺で、尾瀬長蔵小屋の若き主人・平野長靖氏(長蔵小屋三代目)が尾瀬豪雪の中、遭難死したと新聞が報じていて、ビックリ仰天したものであった。 


今、この一ノ瀬休憩所に立って周囲を見渡しても、どの地点で遭難したかは定かでない。

この辺りは、今現在は残雪の残る平穏な地域であり、いくら吹雪の日とはいえ、尾瀬を知り尽くし、山の案内人の超ベテランがこの地で遭難したことが信じられないのである。

更に、同年の7月環境庁が発足、初代環境庁長官・大石氏と尾瀬の守り人・平野氏の、とある新聞記事を思い出した。

序ながら次回、チョット尾瀬の「自然保護」について述べてみたい・・!。



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尾瀬紀行(3) 「大清水」

2011年06月07日 | 尾瀬
.


 尾瀬紀行(3) 「大清水」   .




大清水の山小屋と売店


国道のすぐ横に広がる大清水の水芭蕉(観光協会) 



土産物屋兼業の山小屋が2軒あるが、その内の一軒が既に営業を始めていて、登山者を迎えてくれた。
夜行で寝不足の身に、軽い朝食と熱いコーヒーを流しこんで覚醒させる。

ここ、大清水の標高は1180mで、尾瀬沼の標高1660mで標高差480m、更に、燧ヶ岳(ひうちがたけ)の標高2356mなので、1170mの標高差を登ることになる。
バス停の脇には尾瀬沼まで、7.5kmとの標識が立つ。 
従って、尾瀬沼までは、散策気分で2時間半といったところか・・?。

この裏手には大清水湿原があり、今は未だ淡い雪の下であるが間もなく尾瀬より一足早めの水芭蕉が楽しめるはずである。

ただ気になることがあった。
若い男女の(小生も若いが・・、)カップルが、かなりの軽装でこれから尾瀬に向かうらしい。 
こちらは重装備であるので、比較されるとやや気恥ずかしい思いだ。 
ただ、今この地こそ少ないが、この先、峠(三平峠)を越えるあたりから、かなりの残雪があること、受けあいである。


荷物をしっかり固め、靴紐を結びなおして、いざ・・!出発である。
先ずは「尾瀬沼」に向かうが、車止めのゲート横を通ると、直ぐに右手に一昨年(1971年)訪れた奥鬼怒温泉郷と日本で一番高所(・・?)にある湿原:鬼怒沼湿原に至る林道を見送ります。

雪解けで水量が増している片品川の渓流音を快く聞きながら幽谷の地へ入り込んでゆく。

次回、「一の瀬」



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尾瀬紀行(2) 「出発」

2011年06月03日 | 尾瀬
.



  尾瀬紀行(2) 「出発」   ,


上越線・上野発23時20分の夜行で「沼田」に向かった。 
群馬県の沼田駅は、尾瀬へ向かう国鉄(今はJR)の基地駅である。


ところで、国鉄分割民営化が政治改革の一環として実施されたのは1987年4月1日(昭和62年)のことであった。 
日本国有鉄道(国鉄)をJRとして6つの地域別の旅客鉄道会社に分割し民営化するものであった。

これより以降、新宿や上野の深夜発の夜行列車は大幅に削減されてしまったようである。
無論、山屋に言わせれば新宿発の夜行列車は八ヶ岳や北アルプス方面、上野発は東北方面は勿論、上信越の山々などはおしなべて利用したもんであった。 


当時、中部山岳や上信越の山に取り付くに、便利な存在は「夜行列車」だった。
東京の主要駅である新宿や上野駅では各地方へ向かう夜行便は、駅構内広場や使用してないホームにおいて、列車指定された案内板の前に整列させられ、発車時間30分くらい前になってやっと駅員の案内で、該当する列車に並んだ順番に乗車するのが通例であった。 

夜行列車は早朝に登山口の駅に到着でき、うまくいけば2000~3000m級の山頂にその日の午後には立てるからだ。 
しかし、そういった夜行列車は国鉄民営化や新幹線の普及、それにスピードアップされて、本来の行楽や山岳夜行といったものは廃止になってしまったようだ。
今回小生が利用した上野発23時20分という列車も、御多分にもれず廃止されたようである。


以前は、新宿発・午前零時前後に出る普通列車は、八ヶ岳や南アルプスに入山するにはもってこいの夜行列車であった。 
甲府には2:30ぐらいに到着し、一息入れてから北岳方面行の始発バスに乗れる。 

叉、八ヶ岳方面へは小淵沢で乗り換えれば清里に5時台に着き、茅野でも始発のバスで赤岳や北八ヶ岳方面に入山できるのである。

他にも、「急行アルプス」という夜行列車などもあったようで、大糸線へ乗り入れており、白馬山方面や後立山連峰、立山アルペンルートに入るには便利な列車だった。




列車は空いており、登山客もほとんどいないようなので、昼間の勤務の疲れでたちまちぐっすりと眠ってしまうのかな・・と思ったが、なかなか寝付かれず、ウトロ・ウトロしているうちに沼田のホームに滑り込んだようである。

翌未明のホームへ降り立った人(登山者)は、数えるほどであった。
事前に調べて確認はしておいたが、真夜中の中途半端な時間なのに尾瀬行きのバスはチャンと待機してくれていた。 
お陰で我らは余り待たずにバス中の人となるころができた。 


ところで、時間と言うのは一時も惜しむことの出来ない大事で貴重なものである。  
特に我々勤め人にとっては・・!、 

従って、夜行列車や夜行バスあるいは早朝バスを利用するのは致し方ないことで、若さに任せて、無理を承知で出かけるようになるのである。
そして、車中においては、ガタガタ揺られる列車やバスの中でも睡眠らしい睡眠は殆ど摂らず、所謂、半ば徹夜登山になってしまうのである。


深夜の列車といい、バスといい全員が楽に着席出来るほどの余裕があった。
乗客は車体が揺れ動くのを揺りかごに見たたて、身体を左右に動かしながら、眠りについているようである。

その点、小生は駄目なのである。
これから未知の世界、自然の展開を期待してしまうとあれこれ想像し、何となく胸が高鳴り、興奮してしまうのである。 何時でもそうなのである。
 


上越沼田駅を出た乗り合いバスは、未だ明けぬ真っ暗な闇夜の「沼田街道」をひた走る。
吹割の滝」で有名な老神温泉や多数のスキー場のある片品村、戸倉のをひた走って、尾瀬の登山口である「大清水」へ着いた頃、東の空が、ヨウヨウに白気始まったようである。

次回、「大清水



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尾瀬紀行(1) 「プロローグ」

2011年06月02日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(1) 「プロローグ」 


大清水⇒三平峠⇒尾瀬沼⇒沼尻⇒燧ケ岳⇒御池(泊)⇒裏燧林道(田代群; 御池田代、姫田代、上田代、ノメリ田代、横田代、西田代、天神田代、兎田代)⇒三条の滝⇒平滑の滝⇒赤田代⇒下田代(見晴十字路)⇒白砂峠⇒尾瀬沼⇒長蔵小屋(泊)⇒大清水
(昭和48年(1973年)5月3日~5日)





尾瀬原と至仏山



尾瀬の水芭蕉



夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径(こみち)
水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空

夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢みて匂っている水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空


(「夏の思い出」)






秋の尾瀬沼と燧ケ岳




以前、この地を訪れた時は丁度、水芭蕉の真っ盛りで、所謂、季節的には「尾瀬」の真盛りであった。
その為、人出が余りにも多く、その人波に些か(いささか)辟易し、圧倒され、山屋(自称)としては多少なりとも気後れがしたもんであった。

しかし、好天に恵まれて、あの日本の代表的な自然の大景観である尾瀬沼や尾瀬ヶ原、そして燧ケ岳や至仏山の華麗なる山様を、確り(しっかり)と目に焼き付けて来たのである。 
そして、次の機会には、あの秀麗な山の頂に立つことを、心に決めたものであった。



三平峠を越えて暫くすると、絵になるような景観が眼前に現れた。 
そこは、未だ完全な白銀の世界であった。

尾瀬沼は、白氷を湖面に浮かべて、ただ沈黙している。 
正面には、あの気丈な名峰・燧ヶ岳(ひうちがたけ)が天を指して悠然としている。


下界では青葉、若葉の淡緑の季節のはずなのに、ここの1600mの標高をほこるこの地は、未だ冬季雪山の世界であった。 

だが、さすがに5月の降り注ぐ陽光はサンサンとして白銀の表面を照らしつけ、周囲はホンノリと陽炎が揺れていた。
それはもう、この地の名品・水芭蕉が脈々とその息吹きを感じさせ、雪解けと同時に、その開花を期待させるに充分であった。
この静寂が白の世界と相まって尾瀬の愁美な世界を一層際立たせ、創造しているのである。

だが、さすがにこの時期に「尾瀬」に入ってくる人達は未だ少なかった。 

次回、「出発




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「山の詩」

2011年05月24日 | 尾瀬
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「山の詩」 ,







山を歩く、登山を楽しむ・・! 、


人生はよく山に譬えられる 
人生、山あり谷あり、

だが、人生は惰性でも生られる
山は惰性では登れない・・!!


今まで晴れていたが、何時の間にか霧が発生して視界が遮られた、 
地獄のように、こっぴどく吹かれた。

後の天国のような青天井、

断崖あり落石あり、この先、前へ進もうか退こうか、
一歩、踏み出そうか、止めようか、
この時の一瞬の落差変貌が人生の命運を決する時もある。

山は、登りも下りも辛くて苦痛の連続である
だが登りの苦痛は、快感にも変わる、マラソンと一緒だ・・!

辛くて下山するのも良し、
頑張って到達した山頂から、雲海を眺めるのも良し、
総ては自分で選択する、それは人生そのもの

結果として、脱落した者には後悔が残り、
達成した者には満足感が残る、 

躊躇して退いてから後悔を積み重ねる人生よりも、
更に一歩踏み出して得られる満足感、達成感
万感を重ねる人生の方がやはり素晴らしい。 

山頂から望む周囲は夢世界で広大無限、 
下界は人々がひしめき合うちっぽけな世界

天上世界は人々の日常的な悩みなどは吹っ飛ぶ、
登山することは、立体的な三次元の体験もさることながら、
現実の世界で、夢を見れる場所でもある。


さあ、今日も夢を見に行こう・・! 、


☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆
間もなく「尾瀬紀行」を記載
☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆




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