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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

尾瀬紀行(19)燧ケ岳  「ナデッ窪」

2011年06月28日 | 尾瀬
.


 尾瀬紀行(19)燧ケ岳  「ナデッ窪」  ,




やや薄暗い「ナデッ窪」のルート


沼尻から周遊道と別れ、燧ヶ岳へまっすぐ北に延びる雪の木道を行く。
この木道が切れるとトド松の樹林帯に入る頃から段々と本格的な登りになってくる。 

体調のほうは先ず先ずの様に感じられる。
本来なら雪質は硬く締まっているのが望ましいが、陽が高くなるにつけて気温が上がっているようで、今は若干軟らかくなっているようだ。

上空は相変わらず薄曇りで、若干の薄日が見て取れ、上々の天候であろう。


真正面に「ナデッ窪」という、やや陰りのあるリートが現われた。 
正面頭上には頂上と見られる突尖部が見えていて、目標が定まって登りやすい感じではあるが果たして・・?


傾斜も徐々にきつくなってきて、ゴロ岩の急登が続く。
この道はナデッ窪道と呼ばれ、深田久弥氏の「日本百名山・燧岳」によると「雪崩の窪」(なでくぼ)の意味になると書いてある。  

尾瀬沼は、凡そ8000年前に柴安と俎板が生成した土石流によって沼尻川が堰き止められて誕生したことは先に記した。 
その時の土砂が流れた跡が「ナデッ窪」と呼ばれる凹地で、窪地の左右には大きな尾根が立ち上がっていて、確かに、厳冬期の積雪期にはこの谷に向かって落ちてきそうな気もする。  この地が、沼尻から燧ケ岳への登山道にもなっているのである。

夏季シーズンの頃は、谷筋に石ゴロゴロの登山道らしいが、今は完全に雪に埋もれてジグザグと上るようになっている。 
それにしても直線的には、斜度が平均45度位もあろうか、かなりの急斜面である。


気が付くと女性が二人が、程よいところで休憩をとっていた。 
驚いたことにこの両人はスラックスにズック履きであった。 

いやはや無謀というか、無知といおうか、此方の方がオーバーな身支度なので、いささか気が引けるほどである。


雪面には充分な踏み跡もあって、滑って滑落すような特に危険なことは無いようであるが、
やはり、安全無事を祈らずにはいられない。

小生の方は、十本爪のアイゼンに足元はロングスパッツ(登山用語では短靴用の足首・臑を保護する用具し、雪やほこりを除ける)を着け、ピッケルを手にしているので、完全氷雪地帯を歩く装備なのである。 

このコースから察すると確かにオーバーな身支度のような気もするが、安全には安全を加味するのが山家としとの常識でもある。 
ヤボな常識と笑わないで欲しい、身の装備は心の装備でもあるのだから。


女性たちに軽く挨拶を交わしながら・・、
「これから天辺まで行かれるのですか・・?」と尋ねたところ、

「否、この辺りで下ろうと思っています」ときた。 

やはり、そうだったのか・・!。


尾瀬ヶ原、尾瀬沼界隈の雪の散策に来たのだろうが、ここへ来て燧ケ岳の余りの美しさ、気高さに引かれて、吸い寄せられるようにここまで登ってきてしまったのであろう。

小生の当てずっぽうな予想は外れてしまって、このことはこれで良かったし、彼女たちの気持ちも少しは理解できるのである。

そして、
「下りは登りより滑りやすいので、気をつけて降りてくださいよ」

「ありがとうございます、そちらさんも気をつけて」


次回、「ナデッ窪ルート




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尾瀬紀行(18)燧ケ岳 「沼尻休憩所」

2011年06月25日 | 尾瀬
.



尾瀬紀行(18)燧ケ岳 「沼尻休憩所」 ,




オープンを間近に控えた「沼尻休憩所」



この長英新道を横に見ながら更に前進する。
アザミ湿原(浅湖湿原)であろう雪原を横切る。 

アザミとは浅い湖の意味で浅湖と書くようで、沼に大きく入り込んでいる大入洲半島の付け根部分を占め、北岸道では大江湿原に次いで大きい湿原であるとか。 

一般に、沼や沢、川の水辺に接する部分で湿原が形成されている部分は、最も初期の段階にある湿原地帯で、概ね沼沢地のように湿潤となっているという。

勿論、木道が直線的に延びているようであるが、今は雪原地帯となっているため木道から反れて足跡が付いている。 夏道とは違って雪に覆われているため、厳密に木道を通らなくてもよいのかも・・?。


間もなく、林の中の階段状を緩やかに登るようになる。 
大入洲半島は尾瀬沼へ大きく張り出している高台になっているようで、小高い丘を何度か上り、下りをしながら雪の中を歩む。

気が付くと、軽装(山支度ではない)の女性二人がのんびりと先を歩いている。 
間もなく追いついて、どちらともなく軽く朝の挨拶を交わす。

「どちらへ・・?」
「これから原っぱをへ抜けて、三条の滝へ参るつもりです」

20歳前後のうら若き女性達で、昨夜は長蔵小屋へ泊まったらしい。

「小生は、この先の沼尻から燧(燧ケ岳)の天辺(てっぺん)へ参るところです」
「ああ、やはりそうですか、お気をつけて」
「三条の滝方面は、チョット雪が深くなるかもしれませんよ。 それじゃお先に」

・・と、こんな調子であった。


この周辺は燧ヶ岳の溶岩が流れ込んだような地形が沼の水面や湿原部より高くなっていて、複雑な台地状を形成している。 
そのため、シラビソ林と小さな湿原群が交互に現れ、道は林を出たり入ったりしている。 
特に新緑の季節のウォーキングなどは楽しそうな処でモある。

小高い、丘のようなところを2,3箇所越えて、オンダシ沢とかいう沢を渡り超えると、間もなく大きく開けた沼尻平の湿原に出る。 
そして燧ケ岳下の沼尻休憩所に達する。
今は五月の始めで残雪に囲まれた山小屋休憩所は、未だオープン前で深閑としている。


沼尻は尾瀬沼の展望が開けた場所で、本来の時期なら対岸の遠くの山並みが湖面に映えて美しいところであろう。 
沼尻湿原湖畔のベンチで昼食を取るのも良いようだ。
沼尻休憩所は、かなり大きく重厚な建物である。
尾瀬沼と尾瀬ヶ原の連絡路の中継点とし一休みするには格好の場所柄であろう。 
シーズンともなるとこの休憩所では軽食や飲み物、それにトイレが利用できるので有難いところでもある。


次回、「尾瀬の沼と原



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尾瀬紀行(17)燧ケ岳 「長英新道」

2011年06月22日 | 尾瀬
.



尾瀬紀行(17)燧ケ岳 「長英新道」




雪の大江湿原



長蔵小屋に隣接する大きな休憩所は、未だ朝早いこともあってハイカーは一人の姿を見せていなかった。 
鳴りのあまり良くない携帯ラジオを聴きながら、やや、さみしい朝食を摂る。
直後、猛烈な睡魔が襲ってきて、テーブルにうつ伏せになって真っ暗い、無意識の世界に吸い込まれた。

ハッと気が付くと時間にして僅か15分程度の事であったが、頭の中の霞が取り払われた感覚で清清しくも思われた。
気が付くと炊事場のおばさんが、まだ眠気を残しているようにのんびりした仕草で片付けものをしている。
「これから燧ケ岳のテッペンへ向かうのですが、天気予報のほうは如何ですかね」
「今、7時のニュースをかけますから、その後で天気予報をやりますから聞いておくんなせい」と、そっけない返事が返ってきた。
予報は「晴れ・時々曇り」といい、先ず先ずを示していた。



現在の長蔵小屋は東岸、大江湿原の南にある。
大江湿原は未だ雪の中であるが、沼山峠へ向かうルートは既に歩道が露出していて、遥かに先へ延びていた。

その大江湿原を横切り、沼北岸を行く歩道は樹林中に入るとまもなく木道で浅湖(あざみ)湿原を横切る。 
この湿原を巻くように「長英新道」が始まっていた。 

ガイドブックによると、この新道コースは距離的には比較的長いが、なだらかなので初心者でも楽しみながら登ることが出来ると記してあり、時間的にも沼尻コースと余り変わりが無いようだ。 

尚、長英新道とは長蔵小屋二代目主人・平野長英氏の名を付したものでる。 
この歩道は昭和35年につけられたというから、尾瀬の登山史の中では比較的新しいものであろう。
それまでは、沼西岸の沼尻平に始まるナデッ窪がこの山の登山に用いられていたらしく、古き明冶22年、平野長蔵氏が初めてこのナデッ窪から登ったことが、尾瀬の開拓をはじめ長蔵小屋創設のきっかけでもあったらしい。
そして、最初に建てられた初代の長蔵小屋は沼尻であったこのは前に記した。


地図を観察しても長英新道は妙味、変化には乏しいようにも思える。 
つまり、地形的には尾瀬沼の展望は得られるが、尾瀬ヶ原は無理があるような気もする。
どちらかといえば沼尻からのナデッ窪の斜面のほうが急な登りが予想されるが、視界はこちらのほうが期待できそうなのである。
従って、小生はこのまんま沼尻コースを採ることにした。

次回、「沼尻休憩所



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尾瀬紀行(16)尾瀬 「長蔵小屋」

2011年06月21日 | 尾瀬
.



 尾瀬紀行(16)尾瀬 「長蔵小屋」  ,




残雪時の「尾瀬長蔵小屋」




長蔵小屋へ向かう湖畔から眺める燧ケ岳は、裾野を広げてどっしり聳えていて、その山様は未だ純白の世界である。

この山域に頂上目指して、一路進むことになるのだが・・!。
湖畔に沿って燧ケ岳を眺めながら長蔵小屋へ向かった。
小屋の周辺は何となく騒々しかった。

時折、物資輸送用のヘリコプターが舞い降りてきて、食料や日用品を下ろしていく。
小屋に入って朝の挨拶をしながら、尾瀬周辺の詳細MAPを求めた。 

一見、長蔵小屋の若き主人・平野長靖氏に似ている青年が応対に出て、「地図は正面で取り扱っております」と聞かされた。
長靖氏に関しては、一昨年6月この地を訪れたとき、尾瀬の自然保護に関する講話を聞かせていただいたので記憶に残っているのである。
だが、前述したようにその半年後、平野長靖氏は豪雪の三平峠で遭難死しているのである。(享年36歳)


長蔵小屋は古民家を2,3軒連結したような、古色豊かにドッシリした姿で構えていた。
尾瀬の山小屋の中では一番古い歴史ある山小屋である。

玄関が土間、内部は重厚な造りになっていて、小屋の骨組みは頑丈そのものである。
尾瀬といえば長蔵小屋という響きがあるように、尾瀬の開祖でもある平野長蔵氏が最初に山小屋を建てたのがこの山小屋であった。
尤も、現在の長蔵小屋は尾瀬沼東畔に建っているが、当初の場所は北西岸の沼尻辺りだったとも言われる。

大正年間より岳人、自然愛好者に親しまれてきた山小屋で、現在の本館は昭和9年に築造されたものらしく、板葺きの屋根や木製の建具や廊下など、黒光りして落ち着いた雰囲気が漂っている。

又、尾瀬のほぼ中央部、尾瀬ヶ原下田代十字路に「第二長蔵小屋」が建っている。
小屋は尾瀬ヶ原一帯の中心地に在り、ここを基点に尾瀬ヶ原や燧ヶ岳、至仏山に登れるほか、平滑ノ滝・三条ノ滝などの見所も近くにあり、便利な場所である。


尚、平野長靖氏の書簡や遺稿集ともいえる著書・『尾瀬に死す』(著者・平野長靖)が緻密な内容で、遭難死した翌年(1972年、昭和47年)に知人、友人達の手によって出版されている。
又、若き三代目・長靖氏の突然の訃報をはじめ、初代・平野長蔵氏からはじまる代々の歴史がドラマにもなっている。
1986年5月のNHKドラマ 『尾瀬に生き、尾瀬に死す』 出演に北大路欣也ほか・・、



宿舎の裏のほうに大きな無料休憩所が有り、そこで朝食をとることにした。
朝の7時を回った時間帯なので、さすがに小屋の中はガランとして一人のハイカーの姿も無かった。

朝食を摂りながらあらためて登山地図を眺めると、燧ケ岳への登山ルートは二箇所あり、
小屋からすぐに「長英新道」、それと尾瀬沼正面に位置する沼尻からナデッ窪のルートがあった。
どちらのルートにしようか思案したが、急登ではあろうが見通しの良さそうな・・?「ナデッ窪」ルートを選択することにした。

次回、燧ケ岳「長英新道



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尾瀬紀行(15)尾瀬 「尾瀬は山か高原か・・?」

2011年06月20日 | 尾瀬
.



 尾瀬紀行(15)尾瀬 「尾瀬は山か高原か・・?」  ,


数年前、はじめて初めて尾瀬に入るとき会社の先輩から、「 山家のお前が尾瀬なんかに行くのは珍しいな 」と言われたことがある。
どうも一般に“尾瀬は山のイメージではない”らしい・・?。

尾瀬の標高は1400m~1700mあり、神奈川県に住む小生がよく行く丹沢山塊の主稜部と同等の高さがある。 
しかも、深い山域の中にあって、緯度も高くかなりの北部に属する。

尾瀬は、アウトドアブームの追い風に乗って、一般観光客(ツアー客など)も入山するようになり、この尾瀬の素晴らしい自然や風景を多くの人たちに味わってもらうことは誠に結構である。 
その反面、思わぬ遭難事故や疾病、怪我なども多発しているようである。
尾瀬に行かれたことのある人にとってみれば、“ 何で遭難なんかするの ”、“どこで遭難なんかするの・・?”というくらい木道など登山道は整備されていて、“ 安全なところ ”というイメージが強い。


水芭蕉の季節(5月下旬~6月上旬)ともなると、旅行会社による“尾瀬ツアー旅行”なるものが大繁盛で、そんな中、情報伝達が不十分でスニーカーやハイキングシューズ、装備は軽装で雨具は無しと、尾瀬の関係者を悩ましている場合もあるらしい。

又、ハイヒールやスカート姿、はたまた木道の上を裸足で歩いている若い女の人も見受けられる。 
これは、尾瀬ツアーのパンフレットやポスターそしてガイドブック(すべてではないが)などの写真は、爽やかな晴れた日の尾瀬ヶ原の木道を歩いているものばかりであり、完全な観光地と錯覚している場合も多々あるようだ。

もし天候が不順だった場合、このような場合は観光客はとても入山不可能であり、途中で天気が急変したときなどは遭難、突発性の病が起こるのは必然とも思える。



尾瀬は完全な「」なのである。 
しかも、尾瀬は気候的にも“ 厳しい山域 ”なのである。

尾瀬は、山域的には中部山岳の同等のエリアに入り、気候もほぼ同域であり、年間を通しては太平洋側と日本海側の両方の特質を備えている。 
そのため冬は日本海側の気候の影響を強く受け、雪が多く降る。 
初雪は早い年では10月初旬に観測され、それから約半年ものあいだ雪に閉ざされる。
降雪期間中は例年2メートル以上の積雪があり、最も深い積雪量は多い年で4メートルに達することもある。


沼の氷が溶け湿原の雪が消えるのは5月中旬頃、ようやく遅い春を迎えると、植物が芽吹きはじめ、尾瀬名物の水芭蕉の季節が到来する。 

6月に入ると一月ほど梅雨の時期にさしかかり、梅雨が明け夏が訪れても、雷雨や夕立になる日が多く、換算すると半月以上も雨が降っていることになるともいう。

そして短い夏が過ぎると、しだいに気温が低くなってゆき、10月のはじめには最低気温が氷点下を記録するときもある。

こうしてみると、尾瀬は雪と雨の影響で年間の降雨量がたいへん多いことがわかる。
このように、目まぐるしく季節が移り変わる尾瀬は、特質的な気候と合わせて変化に富んだ環境にもなっているのである。


このような気候条件を加味して、再び “ 尾瀬は山か・・? ”という質問に対してだが。
よく考えてみると、 一般にわれわれの概念で言う“”とは、汗水たらして必死なって登り、登りながらも高度の変化を敏感に感じ取り、そして頂上を極めたときの満足感、周囲の大展望の充実感を得るのである。

これに対して尾瀬は高度感を感じる頂ではなく、結構、楽をして目的地に達し、ほぼ水平路を歩きながら帰路に到る。
つまり、尾瀬は“ 山らしくない山です・・! ”と答えるのも一つの見方かもしれない。


尾瀬からは至仏山、燧ケ岳という名峰が望める。
 尾瀬に山はいらない。高山植物だけでいい 」という人もいるらしい。 

しかし、これだけはそうはいくまい。 
燧ケ岳の勇姿でどれだけ尾瀬沼界隈が引き立っているか、はたまた、遮るもののない尾瀬ヶ原の西側正面に鎮座している優雅な至仏山は、その名も仏さんのように佇んでいて見る者に安らぎを与えている。

尾瀬は二つの名山を抱く名山域なのであり、この山をなくしたら平凡な湿原池塘と山間の沼になってしまうのである。

次回、「長蔵小屋




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