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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

尾瀬紀行(24)燧ケ岳 「燧大権現」

2011年07月04日 | 尾瀬
.



 尾瀬紀行(24)燧ケ岳 「燧大権現」     、




燧ケ岳;俎板山頂の祠



雪を被った狭い山頂は巨岩がゴロゴロし、その天辺に小さな石の祠が三基、石碑が二基祀られていて二等三角点の標石がある。

この石祠は、檜枝岐本村に祭られている燧ヶ岳神社の奥の院となっていて、平野長蔵氏が明治22年に奉祠したものといわれる。


燧ヶ岳を開山したのは、尾瀬沼のほとりに建つ長蔵小屋の初代長蔵氏で、当時桧枝岐に住んでいた彼は、沼畔に小屋を仮設して尾瀬周遊の足掛かりにしたようである。

長蔵氏は燧ヶ岳を登山の対象として開山したのであり、元より、信仰の対象としての燧ヶ岳は遥か昔に開祀されたものであろう。 
その祭神は、普通は「燧大権現」と称しているが、正式な神名は「カツラギヒトコヌシのカミ」といわれる。


ところで、「カツラギヒトコヌシのカミ」とは一体、どのような神であろうか・・?。

実は、「葛城一言主神」のことで、本社は「葛城一言主神社」とされ、奈良県御所市の葛城山に鎮座している。 
地元ではこの神は、「悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言い離(はな)つ神」として託宣する神とされる。 
葛城の地元では、願い事を一言のみ叶えてくれる神として信仰を集め、「いちごん(じ)さん」と呼ばれ親しまれているという。 


燧ケ岳を祀る神としては勿論、地元に(桧枝岐)根ざした自然信仰、山への信仰であろうが、何故、大和の葛城から勧請されたのか、その根拠はどこにあったのか不可思議なようだが・・??。 

ただ、葛城一言主神と燧ケ岳を祀る神を繋ぐ一つの根拠として・・、
檜枝岐には「平野、星、橘」の三つの姓が非常に多いと言われている。 

平野家」は平(たいらの)が転じたもので、檜枝岐は平家落人という伝説の根拠となっている。 

又、「」の姓者は戦国期に戦に破れて当地に落ち延びたとも言われ、このうちの一人に楠助兵衛橘好正というのがいて、その彼は「楠正成」の9代目の子孫に当たるとも言われている。

ご存知、楠正成は太平記・南北朝の時代に活躍した人物として知られ、出身は金剛山・葛城山の麓・千早赤阪の出身でもある。 
このあたりが縁で、葛城山の主神である「カツラギヒトコヌシのカミ」を桧枝岐から燧ケ岳へ勧請したものとも考えられる。

更に、平野家に関してははっきり記録が無いらしいが家紋は平家と同じで、京・大和言葉を連想させる方言をその訛りの中に含み、源氏方に追われた平家の末裔がこの地に身を隠したと言う平家落人説が有力視されている。

或は、平野家の祖先は大和・葛城地方の出身で、併せて、葛城山の「葛城一言主神」を当地に勧請し、燧ケ岳を神の山として祀ったのかも知れない。 

近年、平野長蔵氏が山頂に祠を奉って、燧ケ岳を開山したというのも納得がいくのである。


次回、「燧ヶ岳神社



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尾瀬紀行(23)燧ケ岳 「燧ケ岳の」

2011年07月02日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(23)燧ケ岳 「燧ケ岳の」  ,




燧ケ岳山頂北側に位置するのが、この二つは(くら)と名の付くピークで、最高点は北西に位置する柴安、もう一方が俎(マナイタクラ)で、こちらに二等三角点は設置されていて標高は10メートル低い。

尚、地形図にあるのはこれら二つと、今さっき通過したばかりのミノブチ岳、尾瀬沼から見えていた南端の大きなピークである「赤ナグレ岳」で、このピークは道もなくて訪れることはできないらしい。 
更に、地形図には名のでていないこれらの中心に位置する「御池岳」があるので、山頂部には五つのピークが並ぶ。

尾瀬沼、尾瀬ヶ原いずれからも中央部に見えている緩い起伏が御池岳であろうし、燧ケ岳の中央火口でもある。 



燧ケ岳への各ルート

今、攀じッて来た尾瀬沼からの登山道であるナデッ窪で、外輪山南西の切れ目から沼尻まで一直線に走っている谷である。 
頂上直前に長英新道(燧新道)が合流し、ミノブチ岳でまず外輪山の南東に達して、内側に入り御池岳の脇を通り抜けて北東に位置する俎板に登るようになる。

西側では、尾瀬ヶ原方面からは見晴新道、温泉小屋道がまっすぐ柴安に向かっている。

もう一つ、北側の御池からのルートは広沢田代や熊沢田代という高山性の湿原の中を通って俎へ直登することになる。 

今の柴安は全山殆ど雪に覆われているが、俎板は雪は被っているが岩がゴツゴツ転がっている狭いピークである。



因みに、「」という語句は難解である。 

「くら」と称するようであるが、現代用語としては全く使用されていない語で、日本最大の用語辞典である「広辞苑」にも載っていないみたいだ。

特に上州では地方の言葉として岩場、断崖のことを「倉」と称してしているようで、谷川岳の一の倉や幽の倉などなどの地名がある。 
そう言えば、谷川岳山頂の西側、岩がそそり立ったところに「爼」というところがあった。 

どうやら、「」という字が「」に変じたのかもしれない・・??。 
文字をよく見ると両字とも何となく似ている気もする。 


次回、燧ケ岳の「権現さま




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尾瀬紀行(22)燧ケ岳 「俎、柴安の山頂」

2011年07月01日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(22)燧ケ岳 「俎、柴安の山頂」  , 







雪を被った柴安の山頂と振り返って望む俎板山頂



手前側、「赤ナグレ岳」の山塊が、いよいよ頭上に迫ってきている。
そして、間もなくの「ミノブチ岳」の峰に出た。 
ミノブチ岳は南東に突き出たピークで展望も良く、腰を降ろし休憩するには最適地でもあろう。 
既に、数人の登山者が休息を取っている。

南側の端に立って沼の姿を見下ろすと、沼尻あたりが直下に見えて、まるで鳥となって沼を俯瞰しているような気持がする。 
それに、正面には奥日光連山の展望も素晴らしく、鬼怒沼山や日光白根が屏風のように立ちはだかる。 
特に男体山の優雅な円錐形や女峰山の鋭角の山容が、遠慮がちに顔を覗かせている。


燧ケ岳は、標高2356メートルの柴安(しばやすぐら)のほか、俎板(まないたぐら;標高2346メートル)、赤ナグレ岳(同2249メートル)、ミノブチ岳(同2234メートル)、御池岳の五山の総称で、「燧ヶ岳」という単独の名称は無いのである。

俎に登る道はさらに展望が素晴らしく、なかなか歩が進まない。 
なにしろ、通過したミノブチ岳とあいまって、柴安の山容も迫ってきていて、その姿が迫力があって美事だった。


俎へ到着後、大休止を入れるつもりであったが、人が大勢(御池から登ってきた連中)と狭い岩場の山頂なので、一息いれて柴安へ向かった。

燧ケ岳の最高点は柴安(しばやすぐら)であり、その隣に、10m低い俎(まないたぐら)があるが、この二つのピークは元々は遥かに高い一つの山頂であったらしい。
ある時期、山頂部分を含む土塊が南へ滑り落ちたことによって、二つのピークが生じたといわれる。

その時、崩れ落ちた土砂や岩塊が麓の沼尻川を堰きとめ、尾瀬沼が出来たと言われ、又、崩落するときの侵食によって造られたのがU字状の凹地である「ナデッ窪」が形成されたといわれる。



人気(ひとけ)のない柴安の頂上で展望を楽しみながら、腹ごしらえをする。
何時ものことながら、持参した携帯ガスコンロにて湯を沸かし、インスタントラーメンを煮込みながら、コーヒーを沸かし、更に、缶詰の鰯を肴に気付けのウイスキーを流し込む。 

奇跡的といっていいほど無風に恵まれ、快適に頂上で過ごせるのは、山男として至福の一ッ時である。 
山への憧れは、やはりこの一瞬があるからだろう・・!。

昨夜、上野駅を発って沼田まで不眠の乗車、沼田から尾瀬の基地である大清水までバスで揺られ、大清水から三平峠までの長い道のり、雪中の尾瀬沼・沼尻までの湖畔めぐり、そして、燧ケ岳の最後の急登の数時間である。 

誰が考えても楽な山登りとは言えない・・!。 
苦渋をたぎらせながら、遂に、ここまでたどり着いた。

この労苦・・!!、

それでもこの位置・柴安や俎板の頂上に達したとき、この地球の凸部の大地に立った時、これまでの苦労は吹き飛んでしまうのである。 
しかも、充分お釣りがくるほどの充実感を味わえるのである。

やはり「山」とはいいもんである・・!!。


次回、「燧ケ岳の




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尾瀬・燧ケ岳紀行(21)燧ケ岳  「胸突き八丁」

2011年06月29日 | 尾瀬
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 尾瀬・燧ケ岳紀行(21)燧ケ岳 「胸突き八丁」   、





山頂付近からミノブチ岳と雪面の尾瀬沼-


燧ケ岳にアタック、取り付いてから凡そ、1時間も経過してであろうか、見通しの比較的良いところなので大休止をとることにした。

高曇りの上空は、時折薄日が指すほどで、眼下の尾瀬沼周辺が箱庭のように望めた。
普段はほとんど口にしないが、山歩きには必ず持参する板チョコを頬ばる。 
併せて、山での常備品であるレモンをかじる。 

本来、強烈に酸っぱいレモンの味が、山へ来て一汗流すとさほどでもなくサッパリと美味しく感じられるのである。
体調のほうも意外と良さそうである。

さて、一息入れて後半のスパートである。


この辺りまで来ると一段と勾配がきつくなってきた。 
胸突き八丁”などといわれるように正に其の通りで、四つん這いでもなりたくなるような急傾斜である。 
雪崩の発生も心配したが、よくよく確かめると、ここのところ好天が続いており、雪も全体には締まっているので、それは無さそうである・・?。
とに角、今はただ足元を確かめながら、ひたすらに黙々と前進するのみである。


植生群もトド松やブナ林の混成で、ブナの小枝の先端に付いている褐色の小蕾も、時節柄やや膨らんでいる気配も感じられる。 
だが、このあたりへ来るとブナ林からダケ樺が主体となり、その奇妙な姿も印象的である。 

更に、高さが増すにつれて、次に現われたのは這い松であった。 
今は未だ大部分が残雪をかぶっていて重たそうであるが、身軽になるのも時間の問題であろう。
時折、スズメに似た「岩ひばり」がチッチッとないて、這い松の茂みの中に潜ってゆく光景も見られる。 
きっと、新芽か種でもついばんでいるのであろうか・・?、

「 暖かい雪解けの春も間近だよ・・! 」 と思わず声を掛けたくなる。 


高度を推定すると2100~2200m近辺へ来ているだろうか、赤ナグレ岳の巨大な山塊が左頭上に迫りつつある。

最後の踏ん張りどころである。 
後は一気に登った。


壁のように塞いでいた急斜面が、ここへ来てようやく姿を消してくれた。 
信じられないような平坦地に出たのである。 
ホッと胸を撫で下ろす瞬間であった。
安心の道をゆっくり歩を進めると、間もなく右側より他のルートからの合流点に達した。 

先ほど来、沼の縁で通過した「長英新道」との合流であった。
一息いれた後、一直線に頂上を目指した。

次回、「俎、柴安の山頂




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尾瀬紀行(20)燧ケ岳 「雪崩っ窪」

2011年06月29日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(20)燧ケ岳 「雪崩っ窪」   、




ひと息ついて振り返ると、尾瀬沼とその奥の日光連山が、まるで墨絵のように美しく見えていた。 
ただ、当初思っていた尾瀬ヶ原方面は今のところ谷間の道筋なので、遮られて全く展望は利かない。 足元正面はナデック窪という沢筋になっているのである。

前述したが、ナデッ窪とは「雪崩っ窪」が訛って付けられたもので、当然ながら冬場には多くの雪崩が発生するところでもある。


当初、樹林帯の中で倒木も結構あり、結構歩きにくい感じであったが、さすがにこのあたりまで来ると、雪崩の巣でもあるので大きな樹木があまり見掛けなくなっている。

このコースは、直線的急登のコースでもあるので、歩くには相当なアルバイトも要求され、息も切れるが、最も短時間で山頂に到着できる利点もある。 
どちらかと言えば、足に自信のある健脚向きのコースで人気があるようだ。

ステップ・バイ・ステップそしてキックステップを繰り返しながら徐々に高度を増す。 
更に、勾配のほうも段々ときつくなる。

昨年夏、白馬大雪渓の登路を思い出させる。
スケールは問題にならないが、この勾配は勝るとも、劣らないであろう・・!。

概ね山登りはそうであるが、円錐状の競り上がっている、所謂、富士形の山は上部程、勾配が急になっているのが普通である。


変化の無い単調な登りが続く。
薄日に照らされている雪面は、時間の経過と共に気温も上がり、軟らかくなりつつあるようだ。 
足元のアイゼンが時折、ズルッと滑る。 


見上げると「赤ナグレ岳」の大きなコブが見て取れる。 
そこまでは遥かに遠く感じられるし、又、見ようによっては直ぐそこいらのような気もする。
この感覚は、体調の様子を反映、映し出しているのかもしれない。

しからば、現在のおかれている身体状況はどうなのであろうか・・?、妙な感覚に自分自身を客観視しているところが面白い。


車中では殆ど寝ていない。 
沼田からのバスでもマドロンだくらいで、ともかく昨夜は不眠・無睡の状態には違いなかった。 
三平峠を越えたあたりで気の重みを感じたときもあったようだが、不調といえる程ではなかった。 
そして、長蔵小屋の休憩所で10数分の仮眠・・否、熟睡をとった後は曇りがちな頭もスッキリとし、今でも何とか其の調子を維持しているようであるが・・?。
脚のほうも一歩一歩、確かな歩みを保っているようである。

次回、「胸突き八丁



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