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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

尾瀬紀行(34)裏燧林道 「裏燧田代群」

2011年07月13日 | 尾瀬
.



 尾瀬紀行(34)裏燧林道 「裏燧田代群」  ,




裏燧林道の田代群概略図
http://www.fukuichi.org/sightseeinghike/2005-07-10ozetashiro/ さん提供(感謝)




御池ロッジから僅かな距離にあった「御池田代」の雪に埋もれた標識(御池500mとある)



さて、体調は不良であったが、天候のほうは昨日に引続き好天に恵まれている。

余り進まなかった食欲を、何とか生卵のブッカケ御飯で流し込み、どうにか朝食を終えてイザ・・!出発である。


小鳥の巣箱か餌台でもあるのだろうか、周囲は忙しく小鳥が鳴き声も賑やかに飛び回っている。
昨夜の冷え込みで雪面がクラストしているのだろう、ザクッザクッと軋ませながらの徒歩である。 

燧ケ岳の北側、裏燧というとおり、表側の尾瀬沼界隈より雪の量は多いようである。
それに、平坦とは言うものの山道なのでどのような変化があるか想像はつかない。 
念のためアイゼンを着けてゆくことにした。

歩いているうちに問題の左脚も温まり痛みは余り感じなくなった。 
これは有難い・・!。


国道を渡った向こうから昨日下りてきた分岐点があったが、今度は直進して上田代方面の燧林道へ向かう。
標識には、ここから三条の滝までおよそ6kmの行程とあった。

裏燧林道の登山口は御池駐車場の一番奥にあり、登山道へ入るとすぐ燧ケ岳へ向かう分岐があって導標が立っている。 


導標の三条の滝方向に進むと最初の湿原の「御池田代」が目の前に広がっていた。 

ここまで、御池の登山口から5分とかからない距離であろう。 
この後、樹林の中の登りが始まる、登りといっても緩やかで、木道らしき上を気持ちよく歩ける。

次にほぼ隣接して「姫田代」であり、表示された道標も立っていた。


次回、「上田代




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尾瀬紀行(33)裏燧ケ岳 「裏燧林道」

2011年07月13日 | 尾瀬
.



 尾瀬紀行(33)裏燧ケ岳 「裏燧林道」  ,




御池から裏燧林道へ突入




昨夜は、さすがに泥のように眠りこけていたらしく、気が付いたらチチッ・チチッと小鳥の囀り(さえずり)で目が覚めた。 
辺りはすでにぼんやりと明るくなっていて、時計の針は五時少々を指していた。

朝食まで間があるので、小用を足して目覚まし代わりに辺りを散歩しようと階段を下りようとしたところ、左脚間接に痛みが走った。 

やられたな・・! 。


外庭で入念に脚の具合を確かめたところ、普通に平坦地や緩い上りには平気であるが、下るになると俄然、痛みを感じてしまう。 
これは登山特有の軽度の関節痛であった。

小生、登山を始めて10年(20歳半ばより)近くなり、当初の頃は何度か筋肉痛、関節痛に悩まされたが、最近では珍しいことであった。



この日は、体調が良ければ「会津駒ヶ岳」をやって、桧枝岐へ下山し、そのまま帰路するつもりであったが、左足に関節痛を抱えるようだと、チョット登山はおぼつかなく残念ながら断念することにした。

代わりに裏燧ケ岳の林道コースから三条の滝、平滑の滝等を回って尾瀬ヶ原に至り、白砂峠から尾瀬沼へ戻って三平峠へと、来た道を戻ることにする。 

大清水までは概ね30キロメートル近くもあろうか・・?、
ままよ何とか行ってやろう。



ところで、「登山」、山登りは上りは誰でも息が切れてシンドイといい、それに比べ下山は楽なのにと人は言う。

確かに登りは「しんどい」が、足が筋肉痛や関節痛になることはあまりない。 
実は、筋肉痛や関節痛になるのは殆どが下山でのことなのである。


人によっても異なるだろうが大きな山、高い山へ登った場合、長い距離、長時間かけての下りが、いかにしんどいか身をもって分かるはずである。 
それは自分の体重、ザックの重さ、重力そして地面からの衝撃をすべて足の筋肉や関節で受け止めてしまうからである。


下山にはテクニックが必要で、転ばないように歩幅を狭く、ゆっくり慎重に、リズミカルに下りるのが基本である。 
尚且つ、利き手ががあるように、利き足もあるようで、弱い方の足を意識し、カバーしながら歩くのも肝要であろう。


最近の登山ではストックを利用する人が多く見受けられる。
特に、下山に不安な方はストックを使用するのはお勧めかもしれない。 

足だけにかかっていた体重負担をストックを使用することにより、3本の足とまではいかないが、上手に分散することが可能である。 

更に、膝用サポーターを使用すれば、膝への負担も少なくなるので、下山時のしんどさは多少軽減されるはずである。


特に、最近では山慣れしていない中高年の登山者も多いようで、中には自力で下りることが出来なくなることも、ままあると聞いている。
登山は苦痛を伴うものであろうが、特に下山には留意することが肝要であろう。 
災難に合わないように自己管理を充分すべきである。

以上、老婆心ながら。


次回は、「裏燧田代群




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尾瀬紀行(32)燧ケ岳  「御池ロッジ」

2011年07月12日 | 尾瀬
.



 尾瀬紀行(32)燧ケ岳  「御池ロッジ」   ,




残雪多い「御池ロッジ」




玄関へ入ると、イキなお上さんがそれとなく・・、

どちらからお出でかえ・・? 」 とやんわり聞く。 

これは宿の記帳をする前のチョットした会話を楽しみたいようである。

神奈川の方からだけど、 今朝一に大清水から沼を回って、燧を越えてやってきました
そいつは、でえれえ強行軍でしたな。 お疲れでしたろ、サアサアお上がりになって下せえ

自分でも、そう思ってるくらいだから、そうなのであろう・・?、
相当に疲れているのは事実であるが、心配りの一言で心が和み、疲れもスーッとやわらぐのであった。

お上さんは、自分の宿のように気楽に親しみをもって案内してくれるのが嬉しい。



ところで「御池ロッジ」は桧枝岐村営の公営の宿舎であり、昭和40年前期に建てられた比較的新しい宿舎である。 
小生が訪れたこの年は、昭和48年当時である。


因みに平成8年、尾瀬御池ロッジに「ぶなの森ミュージアム」が併設せれている。

案内によると・・、
一階 尾瀬の生い立ちや檜枝岐を詳しく知ることができる資料館
二階 尾瀬に関する情報をお知らせしているインフォメーションコーナー
三階 ウオッチングルーム・ミニシアター・ジャラリーで尾瀬の魅力を満喫



今朝早く、長蔵小屋の前で盛んに「ヘリ」で物資を運んでいたが、その補給基地が宿のすぐ前であった。 

たまたま離陸するところであったので、一丁、写真でも撮ってやろうと近くまで近寄ったところ、出力が上がったせいかいきなり帽子が飛ばされた。

その様子を先ほどのお上さんがニコニコしながら見つめていた。


ホテルのような立派な部屋に、予約も無しに泊まれるのは山旅としては極めて珍しく、何か勝手が違う感じがした。 
それにしても、五月のG・W(ゴールデンウイーク)どというのに、お客はそこそこでしかないようだ。 
やはり、尾瀬の本番には未だ早く、6月の水芭蕉が咲き乱れる頃から賑やかになるのであろう。


昨夜より殆ど寝ないで、半ば強行軍の旅立ちだったので一風呂浴びたら、身体の表面に疲れがドット現われてきた。

早めの食事で、銘酒と夕食を戴いた頃には、すっかり出来上がり、さっさと床へ忍んだ。


次回、「裏燧林道




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尾瀬紀行(31)裏燧ケ岳 「尾瀬・御池」

2011年07月11日 | 尾瀬
.



 尾瀬紀行(31)裏燧ケ岳 「尾瀬・御池」   、




御池側から見る雪の燧ケ岳




さて、広沢田代の湿原から一気に御池まで下ることにしよう。 
木道階段をしばらく下ると、今度は石や木の根がはみ出しているゴツゴツとしたクサッタ雪面の悪路を辿る。

この頃になって、やはりというか左の膝関節がガクガクと「笑い始め」、やや痛みが感じ出した。 
これはヤバイ・・!。
願わくば明日予定の「会津駒」の登行に、影響が出ないように祈るばかりである。


ところで、「膝が笑う」とは足(脚)が疲れて、力が入らずに、がくがく震えている状態が、笑ってヒクヒクしている状態に似ているからである。 

長時間歩くなどして膝のお皿の筋肉の疲労が蓄積し、膝がガクガクしてバランスを維持できなった状態を「膝が笑う」と言う。  

“膝に笑われないのが上手な登山者といえるかも・・?”

「そろそろ膝がトシちゃんになってきた。ガクガクや。」(田原俊彦)

これは登山用語のうちの一種の慣用語、俗語で、他にも「顎を出す」は、登りで、荷物が重かったり道が急などで疲れて、呼吸が苦しくなり、顎が前に出た姿勢になってしまうこと。

尚、「きじうち」は、男性が野山でする小便のことで、女性は「お花を摘む」という。 
「大キジうち」は大便のこと。



一時して、燧ヶ岳へ4.5キロの標識が現れ、更に、木道を100mほど行くと待望の御池ロッジに到着した。 
永かった1日がようやく終わろうとしている。


御池ロッジは湿原とブナ林に囲まれた静寂な地、大自然に包まれた山小屋であるが、今だ真新しいコンクリート造りのホテルのような山小屋・・?であった。
丁度、国道352号沿いにあって、ここまで田島や会津高原尾瀬口駅より、凡そ2時間掛けてバスが来ているのである。 

時節ともなると、乗合バスは更に尾瀬沼の近く「沼山峠」まで届いている。
いずれにしても尾瀬入山の基地で、尾瀬沼や日本百名山・「燧ヶ岳」に最も近い宿泊場所といえるだろう。

施設の裏側には湿原が広がり、水芭蕉やニッコウキスゲ等の高山植物が咲き、朝の散歩や散策が楽しめるようだ。
また、当施設には「尾瀬ブナの森ミュージアム」が併設されており、尾瀬の自然の豊かをさを知ることができる。(御池ロッジ)


次回、「御池ロッジ




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尾瀬紀行(30)燧ケ岳 「湿原の進化」

2011年07月10日 | 尾瀬
.




 尾瀬紀行(30)燧ケ岳 「湿原の進化」  ,

  


前回の続きになるが・・ 、
一般に湖沼の末期は、湖から沼へ、沼から湿原へ、更に湿原は草原へ、更には森林帯へと推移すべき運命を約束せれているといわれる。 

因みに、近辺の日光の戦場ヶ原は既に草原と化しているのが判る。



尾瀬は、我が国に残された唯一の大湿原、広域湿原であって、然もその間に、大小の河流、数百の池塘を随所に点在し、中に大小の浮島を浮べ、川の流に沿って帯状に小さな林を混在させている。
それは湿原の自然的発達の過程、つまり凡その年齢やその発達段階を詳細に観察することができるという。


尾瀬ケ原は尾瀬沼の約4倍程の面積である。 

尾瀬ヶ原も尾瀬沼と共に嘗っては、熔岩流で堰き止められて生じた一湖水であったが、其の後四囲の山々からの土砂、火山灰の流入、みづごげ、其の他湿原植物群の堆積等が相伴ひ、下底には次第に泥岩層を作りながら現在に至り、大湿原と化したものとされる。
しかし、土砂の流入や湿原の高層化が進みやがては草原となり、何れは森林帯と化す運命にもある。


尾瀬沼は海抜1665m、長径約2キロ米、短経約1キロ米、面積凡そ300町歩(1町歩=9900平方米)の大きさで、最深部は約8.5米に達している。 

本来この沼は北方に在る燧岳からの熔岩流による堰止湖で、周囲の大江川流域、沼尻等一帯は沖積湿原であるが、これらの沖積湿原の進出と沼尻川の土砂流入に依る湖面低下とによって、やがては尾瀬ケ原同様湿原と化すとされる。 
その後は、尾瀬ケ原と同様な運命を辿ることになるという。


又、燧ケ岳の北側に存在する「熊沢田代や広沢田代」は尾瀬ヶ原や沼と異なって周囲に山塊などは無く、土砂の流入も少ないが、既に乾性湿原で大部分は草原化しているのが判る。 
やがて森林と化すのも時間の問題であろう、ここも以前は底の浅い沼地であったことが想像される。


因みに山岳高所湿原は、小生一昨年訪れた尾瀬より南東方向の「鬼怒沼山」(山頂部に広がる鬼怒沼湿原)は、日本一高いところにある湿原との謳い文句であった。 
だが、調べれば判るが日本最高所ではない。 

鬼怒沼湿原よりも高所にある湿原が近くでは平ヶ岳や苗場山もあり、チョット離れて立山・五色ヶ原やアルプス・雲の平などもある。
すぐ東隣にはその名も田代山(標高1971m)があり、山頂部の田代湿原でも有名で、人気もある。

更に日本各地においては、日本最北端の湿原はメグマ沼湿原 (北海道・稚内)、日本最東端は小ユルリ島湿原 (北海道・根室)、日本最西端は古生沼湿原 (長崎県・雲仙)、日本最南端は小花之江河湿原 (鹿児島県・屋久島)などがあるそうである。


次回、「御池





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