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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

尾瀬紀行(39)裏燧林道 「尾瀬の温泉」

2011年07月22日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(39)裏燧林道 「尾瀬の温泉」  .




尾瀬といえば、やはり尾瀬沼と尾瀬ヶ原がメインであって、余程の愛好者でなければその他の地域は余り注目されない。 まして、渋沢温泉小屋はメインルートから外れているため、ここを目的にしない限り、なかなか来づらいところであろう。 
尾瀬では珍しい山間の温泉である。

地理的にもやや不便なところにあって訪れる人も少ないようだが、静かな幽谷の味わいを堪能でき、一部マニアや温泉愛好者には人気が高いという。 
尤も、福島県側からだと国道の小沢平から徒歩で1時間程度の道のりであるであるが。

林の中に風情満点の露天風呂・「せせらぎの湯」というのもあるらしいが、何しろ源泉が30度台と低く、夏場専用の野天風呂らしい。 無論、屋内の温泉は源泉のままで沸かし直しているという。 是非、一度訪れたいものである。



ところで、尾瀬というと群馬県側にある大清水⇒三平峠や鳩待峠からの印象が強いが、尾瀬の歴史を築いてきた平野長蔵などの平野家や小屋を経営する長蔵小屋はぎりぎり福島県側にある。

また、江間章子・作詞、中田喜直作曲の有名な唱歌・「夏の思い出」の歌碑も福島県側に存在する。(桧枝岐村のミニ尾瀬公園内にある。音声も聞けるという)

交通アクセスの良さから人は群馬県側に集まるが、実は尾瀬の本拠は福島県側の檜枝岐村なんである。
そして尾瀬を味わい尽くした次に行き着く先が、燧ヶ岳の北部に広がる福島県側の人の少ない静かな裏燧林道と呼ばれるエリアであろう。 

そんな裏燧林道より更ににポツンと離れてあるのが「澁沢温泉小屋」であるが、尾瀬エリアで最も古い温泉で、開業は昭和37年のことであった。 その後、昭和49年に檜枝岐温泉が発掘されている。


因みに、檜枝岐村は温泉地としても有名になったが、未だ歴史が浅いというのに湯量が豊富で旅館・民宿どころか一般家庭までの全てに温泉が引かれているという。 
なんとも羨ましい土地柄である。

泉質は美人の湯とも言われる無色透明なアルカリ性単純温泉で、源泉温度は62.0度とチョッと調整(熱交換で別利用)すれば適温であり、湧出量は1分間に304リットルと充分な量であるという。 

村内には公衆浴場や立寄り湯が数軒あるという。
これは、温泉愛好者としては、再び機会をつくり行かざなるまい・・!!


次回、 「尾瀬の熊



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尾瀬紀行(38)裏燧林道 「天神田代」

2011年07月21日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(38)裏燧林道 「天神田代」  .




天神田代から渋沢温泉小屋への分岐付近



やがて、「天神田代」へ達した。 
標識がチョコンと頭をだしていたので気が付いたが、うっかり見過ごしてしまうほど小さく、ほとんど湿原らしいものはないようだ。 
この辺りの田代(湿原)の中でも森林化が進んでのであろうか。

ただ、天神田代からは燧ヶ岳の双耳峰が天を突くように迫力をもってそそり立ち、天神田代の名前の由来にもなったのではないかと、思わず納得してしまうほどだ。


天神田代付近は、渋沢温泉小屋渋沢大滝方面との分岐点でもある。 
標識によると御池から3・3km来たことになる。 
尚、尾瀬ヶ原(見晴)まで6・1km渋沢温泉小屋までは2・3kmとあった。

天神田代でチョッと休憩した後に、ここから兎田代から三条の滝へ向かう予定である。



天神田代を過ぎてブナ林からトドマツなどの混成林の中、燧裏林道をひたすら歩くが、この辺りから緩い下りなので歩が自然と早まる。

裏燧橋」が見えてきた。
比較的大きい「渋沢」(シボ沢とも云うらしい)に架かる橋で、滑りやすくチョット危なっかしい木製の橋を渡る。
通常は深い涸れ沢らしいが、今の沢は雪で覆われていて恐怖感はさほど無い。
それでも、無雪期など雨が降り続くと物凄い濁流になるようで、普通の人は怖くて渡れないらしい。
 
この橋は、後に台風などの大雨で激しい土石流に襲われ、当時の面影は無くなってしまったらしく、現在は立派なコンクリートのつり橋が架かっているらしい。


渋沢は、「渋沢大滝」を経て渋沢温泉に通じている。 
近くに雪が積もったベンチがあったので、雪を払い初めての大休止をとる。 
橋の付近から平ケ岳の眺めが良い。


この渋沢の下流に、燧ケ岳三大大滝の1つ、「渋沢大滝」がある。 
これから向かう三条の滝よりは規模がやや小さいが、ブナ林に囲まれた静寂の地にあって、一見の価値はあるという。 

ただ、温泉小屋と天神田代をつなぐ登山ルーとから別れて、更に滝までは往復1時間はかかるというから、よほどの好き者か覚悟が必要であろう。
その「渋沢温泉小屋」が大滝より下方にある。 


次回は「桧枝岐温泉



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尾瀬紀行(37)裏燧林道 「裏燧のブナ林」

2011年07月17日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(37)裏燧林道 「裏燧のブナ林」  ,




西田代付近から会津の山並



ブナ林-



西田代があり、次に、小さな林を挟んで横田代となる。

雪原の中、横田代の標識が頭だけ見せていて、『 見晴7.4km⇔⇔2km御池 』とあった。
次がノメリ田代で、オオシラビソなどの木立の多く、ここの傾斜湿原では階段状になっているのが判る。 
雪解けとともに池塘や湿性植物が現われてきそうである。


ここを過ぎると、太古の昔へ押し入ったような、鬱蒼とした大樹の生い茂る樹林帯に突入する。 
概ね、ブナの大木であるが、ところどころにトド松やダケカンバが混ざりあった原生林である。 


未だ、陽が昇って間もないというのに中間で光が遮られ、足元は何となく薄暗さを感じる。
そして、小鳥のさえずりと足元に軋む雪の音が妙に悲しげに聞こえてくる以外は、全く寂々とした世界である。

大自然の懐にスッポリ収まっているような、もっと純粋な気持ちで大きく胸を張って、自然の息吹き、躍動感を感じるはずであるが、ヤケに前方ばかり気になって仕方がないのである。 変化の無いモノトーンの世界のせいか、それとも帰路に執着しているせいか意気が上がらないのである。
やはり会津駒の断念や左足不調の影響によるものか・・?。


そんな時、年輪の嵩んだブナの大木に、ここを通過した人達によるメモリーマークが小さく彫られているのに気が付いた。 

この、このブナの原生林、ブナの大木を見ると、登山道の脇のブナの幹が、ある箇所ではほとんどすべてと言っていいくらいナイフで傷つけられているのだ。
名前を彫りこんだものがほとんどでであるが、なかには五・七・五の句や訪れた日を記されている。

5年前、10年前(昭和40年後半からみて)から昭和一桁台のものも結構ある。 
我らの生前のものであり、考えるまでもなく今では相当のご年配者に達しているであろう。 

そんなことを考えながら思わず幹を撫ぜ、何故か励まされているように心が和む。
だが、生きている生物に人間の勝手で傷をつけることは批判されても、決して褒められることではない。


それにしても人の移り変わりは激しく感じられのに、これら、大自然の不動の姿はどうであろう・・!。 
自然の偉大さや時の流れの映りようから見ると、人間なんてまるで「カゲロウ」のようだとはよく言われる。 

否、カゲロウついでに、人間は地球から見ると「シロアリ」と喩える人もいるようだ。 
人間のみが他の生物の循環社会から食み出し、しかも、地球を蝕んでいるからであろう。
それに比べるとブナの大木にマーキングするぐらいは、存外、許されてもいいのかもしれない。


次回、「天神田代




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尾瀬紀行(36)裏燧林道 「裏燧の林道」

2011年07月16日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(36)裏燧林道 「裏燧の林道」  ,






上田代標識-



上田代は、燧裏林道の中では最大のものであり、日の出から大分たっており湿原から燧ケ岳の様子が迫力を持って望める。 
昨日、この山を征服・・?したかと思うと感慨もひとしおである。

正面には樹林帯の上から朝日に照らされて赤く染まった平ケ岳や大津岐山などの山々が見えている。  
何とも美事な見晴らしである。


この日も、今のところ出会う人もなく、静かな静かなたった一人の山歩きとなっている。
尾瀬はシーズンともなると非常に混雑するが、裏燧林道はメインコースから外れているためか人影も少なくゆったりと尾瀬を満喫するには、この燧裏林道は最適かもしれない。 
別称、「隠れ尾瀬」とも言っておこうか・・!。


広―い上田代の中央部の歩道横に休憩スペースであろう、4つのベンチが行儀よく並んでいる。 
近くの茂みの前に立っている導標には上田代 標高1620m の表示がある。
『 国立公園・尾瀬 上田代標高1620m 尾瀬ヶ原 ⇔ 御池 』と記してある。

上田代を過ぎると、すぐにノメリ田代、横田代、西田代といった点在する湿原が現われる。




この裏燧を巡る山道は林道という名が付されている。
林道というのは車や軽トラックなどが通行できる、あるいはそれに準じた幅のある道路を想像していたが、この道は全くそうではなく、普通の人が通れる山道、周遊道であった。

林道(りんどう)とは、林の中に通じている道。 林産物を運搬するための道路。 森林の整備・保全を目的として森林地帯に設けられる道路の総称をいう。」

未だ自動車などが無い昔は、林道と呼ばれたものはせいぜい、人の通行が可能な程度の幅や規模のものが多かったらしく、それらの林道の一部は、現在でも登山道として使われたりハンターや釣り人、山菜取りの人に利用されていて、大多数は山林中にその痕跡のみをとどめているとしている。 
広義には、林の中に通る道はすべて「林道」と呼んでいたらしい。

即ち、尾瀬・「裏燧林道」は 所謂、昔の概念がそのまま林道として名前を残していたのだろう。


林道は、燧ケ岳の北側山麓を東西に巡っているが、山麓と言うには標高が1600以上もあり、山腹を逍遥しているといったほうが正しいかもしれない。

従って、全く水平な道がどこまでも伸びているわけではなく、全体的には起伏の激しい行程である。 
ただ、田代、湿原地帯はそれなりに平坦な道が付いていて、ホッとさせられるが、それでも田代全体を見渡すと傾斜しているのが判る。

こちら側の湿原は水平という常識を覆すヘンな形をしていて、別名、「傾斜湿原」とも言うらしい。

特に、横田代、ノメリ田代はややきつい傾斜地を横切る(トラバース)形で付いている。 
この地へ達するとまるで身体がノメル、ツンノメリそうになるため、「ノメリ」という名が付いたとか・・?。


次回、「裏燧のブナ林




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尾瀬紀行(35)裏燧林道 「上田代」

2011年07月15日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(35)裏燧林道 「上田代」   、





上田代の標識



ここを過ぎると、また緩やかな登りが始まる。 
小鳥のさえずり音を聞きながらペースよく歩く。膝関節の痛みを忘れるくらい好調のようだ。

思えばこの辺りは「御池」という名前が付いている通り、大昔はあるいは広大な池、池塘だったのかも知れない。
樹林の中のゆったりとした登りから、更に一時して「上田代」の原っぱへ着いた。
そのほぼ中心に標識があって、こちらの標高は1620mを示している。
昨日登行を終えた「燧ケ岳」の標高が2356m(芝安クラ)であるから、ほぼ700mの標高差であった、  

こちらはさすが雄大な田代である。 
この田代も下山時の熊沢田代に似て見事な傾斜型の湿原になっている。



御池からは御池田代、姫田代、上田代、ノメリ田代、横田代、西田代、天神田代など裏燧は田代、湿原が多く目立つのが特徴であろう・・?。 

この季節(5月上旬)であるから当然、湿原は未だ白一色であるが、芽吹いて葉が落ちる、所謂、樹木の活動シーズンには多彩な景観を見せることであろう。



それにしても、普通に見わたすと田代(湿原)はただの原っぱの様にも思われる。 
周囲は樹林帯で囲まれていて、これら平坦地のみが木のない場所がある事は、やはり、不思議といえば不思議である。 
川の流れもあり草も生えているのに、何故木は生えないのか・・??。

前述したように、一般に「湿原」とは、主に浅い湖沼や潟などが次第に堆積物で埋まり、陸地化したものである。 

特に、平地にある浅い湖沼は、周囲からの土壌の流入、それに水中や水辺の植物の生長につれ、それの循環生産される植物遺体などの堆積によって、次第に浅くなり、次第に陸化するとされている。

このような湖沼→湿原→森林(陸地)と変化していくことを「湿性遷移」とも言うらしい。
長い年月の間に陸化していく途中の草原地域が湿原であるとも言える。


だが、寒冷高地では湖沼やあるいは排水の悪い平坦地に生えていた植物の遺骸があまり腐らずに堆積し、つまり、雨水が土壌に沈下しても栄養分の少ない植物遺体の堆積した湿原では樹木の種子が飛んできても育たず、長期にわたって湿地である場合がある。

湿原では土壌や表面の水分の栄養分が乏しいか、栄養分があったとしても地表にあまり染み出ないなどの特徴から大形の樹木などが生育せず、高地での植物は高山性の草やコケ類などがよく生育するのである。


次回、「裏燧の田代群




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