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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

尾瀬紀行(44)尾瀬ヶ原 「尾瀬の峡谷と滝」

2011年07月27日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(44)尾瀬ヶ原 「尾瀬の峡谷と滝」  ,




ところで、尾瀬ヶ原を潤してきた沼尻川やヨッピ川が合流合体して只見川となり、北側の燧ケ岳西麓と与作岳東麓の間に挟まれた大峡谷へ流れ落ちている。
この峡谷の始まりに豪快な平滑ノ滝や三条の滝がある。

そして、溶岩らしき岩盤の上を走る「平滑ノ滝」を造っている峡谷は、当然ながら燧ケ岳の爆発によって形成されたと思われていたが、実はこちらから見ると右手方面、尾瀬ヶ原の北方に立ち上がる「与作岳」(1833m)の噴火による溶岩が押し出されてできたものらしい。 
つまり、与作岳の溶岩流がポイントとなって出来ていると最近は言われているのである。

元より、尾瀬沼や尾瀬ヶ原の形成は、燧ヶ岳の溶岩流や土砂の流出によって只見川がせき止められたためと言われている。 
しかしどうも、三条ノ滝や平滑ノ滝の生成過程をみると、燧ケ岳の噴火の後に与作岳の火山活動が発生し、この影響、痕跡がこれらの滝を含む只見川のⅤ字峡谷の形となって現在でも観られるという。

つまり、三条ノ滝や平滑ノ滝のV字峡は、景観もさることながら尾瀬ヶ原形成のキーワードとなる重要な場所とされている。 
これら太古の歴史を顧みながら尾瀬をを眺めてみれば、より一層感慨深いものとなるかもしれない。


与作岳の溶岩は安山岩(火山岩の一種で緻密な暗灰色をしている。特徴は造山帯に産出し板状・柱状等の節理を形造る)が主体であり、この岩石は非常に堅く、水などにも侵されず何時までも形を残しているという。 

やはり平滑ノ滝は、溶岩が冷えて固まった一枚岩の上を水が流れていて、川床は今でもギザギザとした溶岩流の形状を残しているのである。


その「与作岳」の溶岩流の形跡が、判りやすく示した場所があるという。
温泉小屋、赤田代辺りから至仏山方面を眺めると、東電小屋の笹山(1538m)辺りまで、牛首のように突き出した小高い山が右から張出しているの判る。 
特に、燧ヶ岳から西方を見るとよく解るらしく、溶岩が流出、積み上ったものとされている。


尾瀬ヶ原と尾瀬沼の穏やかなイメージが「尾瀬」の魅力となっているが、それとは対比して、荒々しく全く様相が異なるのが只見川のⅤ字峡谷であり、その中でも三条の滝、平滑ノ滝の豪快さであろう。


尾瀬には周囲の山々から沢水が流れ込み、特に、八海山(背中アブリ山、1811m)周辺には多数の湿原があり、そこからあふれた水はの山裾を走りヨッピ川となって流れ出す。
又、尾瀬沼からも、周囲の山々から集めた水が沼尻川となって尾瀬ヶ原に下る。
これらの尾瀬の水を集めたこの二つの川は、尾瀬ヶ原の中央部である「中田代」辺りで合流し、只見川と名を変えて走り下る。

尾瀬ヶ原を横断するの北部の歩道に架かる「東電尾瀬橋」のあたりでは川幅も広くなり、水量豊かな急流となる。 
更に、5月、6月の雪解けの時節には激流となって、東電尾瀬橋は時によっては流水が溢れ出し渡行できない時もあるそうだ。

そして、只見川が尾瀬ヶ原から只見川となって峡谷に入り込み、地層の段差となって水音激しくを下り落ちるのが平滑ノ滝であり三条ノ滝なのである。
そして二つの滝の凄い所は、尾瀬ヶ原だけでなく尾瀬沼の水をも含め、最終的には尾瀬全体の水が集結して流れ落ちることから、融雪期は勿論であるが秋の渇水期でも大量の水が流れ落ちることである。

この二つの滝は、滝の最上部と滝つぼの落差が共に70mから120mとかなりの落差を伴っているが、その姿はまったく対照的、特徴的に異なるのが面白いのである。

平滑ノ滝は巨大な溶岩(安山岩)の1枚岩の上を400mに渡って水がすべるように流れる。 滝というよりは急流であり、早瀬を思わせる。
そして、三条ノ滝は水流が崖上から噴出し垂直に落下する瀑布で、特有の轟音と水煙が舞い上がる。

この只見川の急峻な界隈は、尾瀬が山としての様相をも同時に満喫できるところでもある。 
初夏の新緑、真夏の濃緑、秋の紅葉の時節ともに素晴らしいこと請け合いである。

だが、この二つの滝を見物するには、尾瀬の平坦な木道のウォーキングと違って急峻なコースとなり、滝に近づくには梯子や鎖の急勾配の山道を上り下りしなければならない。
従って、軽いハイキングと違って登山靴を着装し、しっかりした行動、装備が必要なのである。


次回、「滝名称の逸話



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尾瀬紀行(43)尾瀬ヶ原 「平滑の滝」

2011年07月26日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(43)尾瀬ヶ原 「平滑の滝」  ,




三条の滝とは対象的に滑りながら落ちてゆく「平滑の滝」



展望台で休憩を暫しとった後は、次に「平滑の滝」へ向う。
今度は、ピッケルを雪面に差し込んでそれを頼りに、又、鎖を掴まないと登れないような急斜面で、相当に体力を奪われる。 
分岐から来た道を凡そ15分ほどの登り返しで、これがまた結構きつく、ヨウヨウにして分岐点にさしかかった。

次に、ここから平滑ノ滝へは標高差凡そ100メート余りの登りとなる。 
おまけに大半は雪に隠れてはいるが、巨大な岩場が露出していて鎖が設置されており、ほぼ垂直の壁のような急な階段もあってかなり神経と体力を要するのであった。

御池からの長道中で来た身体には、三条の滝からの登りと平滑ノ滝への登りは相当に応えた。 
平野段吉氏が新道をこしらえたのも充分に理解できるのである。


漸くにして「平滑ノ滝」の入口まで来たらしく、後は鎖の手摺りを伝って滝の上部に達した。

展望地は一応鎖で囲ってはいるが、すべて折れ曲がっていて頼りなさそうである。 
転落する恐れもあるので要注意であろう。 
それでも、尾瀬ヶ原から近いせいか、結構な人が危なっかしく滝をのぞき込んでいた。

三条の滝の豪快に落ちる様子を直前に目の当たりにしたので、「平滑の滝」も激しく落下する滝を想像したが、滝の様子がまったく異なるので、やや、少し拍子抜けの感が無いでもない。

どちらかと言うと早瀬といった感じの滝で、岩盤を走る水流が幾段にもなって、轟音と共に下っているのである。 
しかし、流れとしては美しく、激しく、豪快さには引けをとらないであろう。


それでも、先ず目に付いたのが峡谷の眺めの素晴らしさであろう。 間もなく訪れる新緑の季節や紅葉時はを添えるので尚更であろう。

思い起こすと日光の湯滝や竜頭の滝を連想させて、尚且つ、巨大にしたような迫力があった。
しかも、滝見台は岩場の先の狭い場所で、足下は断崖絶壁となっていて些か恐怖感を覚える。 

ところで、この平滑ノ滝は溶岩流により作り出された傾斜角25度位の大スラブ上を、長さ500㍍に渡って奔流する滝で、この滝の形状から平滑ノ滝と名付けられたそうだ。
滝というより川の流れと言う気もする滝で、所謂、流れは早瀬のようでもある。

展望台には手すりも何も無いため、高所恐怖症の私は足が竦(すく)む。
男性的で豪快な「三条の滝」と比べて、女性的で綺麗な「平滑の滝」とタイプの違う二つの滝というけれど、それにしてもこれが女性的かと思えるほど、激しく爆音轟くである。 
水の流れからすると確かに好対照には違いないが・・!。 


次回、「尾瀬の峡谷と滝




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尾瀬紀行(42)尾瀬ヶ原 「三条の滝」

2011年07月25日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(42)尾瀬ヶ原 「三条の滝」  ,




写真;豪快に流れ落ちる「三条の滝」



1キロほど進んで三条ケ滝と平滑の滝との分岐点に達した。 
三条ケ滝まであと200メートル」と案内書きがあった。。

まだ急な坂が続くのかと思ったが、そこから先はたいした坂ではなかった。 
既にゴーゴーと滝の落下音が聞こえていて、間もなく木々の間からも滝が見えだした。 
更に、木の梯子や手すりを伝ってようようにして展望台に達した。 

展望台からは木々の木陰になって全容は見にくいが、雪解けで大量に水を落下させているその迫力は相当なものである。 
轟音、爆音、岩上から吹き出る白水、飛び散るしぶき、水煙に映る虹の色、迫力満点の光景である。

御池からここまで2時間半から3時間のウォーキングで、途中の休憩を考えても3時間から3時間半程度は掛かるだろうか。
(近年、旧展望台の下に新展望台が設置され、かなり近くまで寄れるようになったため、障害物がなく滝の全容を見る事ができるようになったらしい。 ここへ立つには殆どがハシゴと頑丈な木製階段で降りなければならないらしいが、滝の迫力はものすごく、風向きによっては飛沫(しぶき)も飛んできそうなところだという。 従って、絶好の撮影ポイントの一角だけなので、時期によっては順番待ちの状態という)



温泉小屋への分岐を過ぎ、平滑ノ滝の展望台の先の小沢を使って只見川の本流に下る。
水流沿いに下れない所は横の斜面の茂みを潜ることになる。

お陰で体はびしょ濡れとなったものの、 危険な場所もなく、只見川の本流に出る。
かなり増水しているようで、水も少し濁り、激流がほとばしってくる。

ここからは上流に向かって水際をへつって行く。
深い徒渉はないが、それでも直ぐ傍を激流が流れているので、けっこう緊張感はある。
巻く場所にはかすかに踏み跡らしきものもあり、たまには人が来ているようだ。

20分ほどで滝の最下部に着く。
既に、大きな滝音がゴーゴーと響き渡っていてとなっており、その上の滑の部分は見えないが、この滝だけでも十分な迫力がある。
湧き返るような水勢の凄さには圧倒されそう。

雨の中レンズを拭き拭き何とか写真はものにできた。
これはからっと晴れた日にぜひもう一度見てみたい眺めではある。



福島県「三条の滝」は、水量の多さでは日本一といわれている尾瀬沼と尾瀬ケ原全水系を集めた只見川本流に架かる豪瀑である。 
日光の華厳の滝よりも一段と規模も大きく勇壮であろう。

落差も申し分なく、水量の多さは日本の滝の中ではトップクラスで、周辺の景観も抜群ときてる。 
この滝を滝壺から眺めることが出来れば、さぞ大迫力であろうと、誰もが思われるのではなかろうか。

三条の滝(さんじょうのたき)とは、尾瀬を源流とし、尾瀬ヶ原から流れ落ちる只見川の上流にある滝である。 
水量が減ってくると三筋に分かれるのが名前の由来とされるが・・?、
この現象は秋の渇水期の一時期にしか起こらないらしく、現在(5月上旬)の雪解けで推量の多い時期は見ることができない。 
尤も、このほうが迫力があって断然見る甲斐があろうというものだ。 


滝は、日本の滝百選に定められているという。
落差100m、幅30m(時期のよって異なり諸説あり)の直瀑で規模としては日本最大級で、雪解けの水量の多いときは豪快な景色を見る事ができるのである。

アプローチとしては、御池から燧裏林道を経由するコース、小沢平から只見川を遡るコースや「鳩待峠」から尾瀬ヶ原を経由するコース、大清水から三平峠、尾瀬沼を経由するコース等様々である。

何れのルートも長丁場で、また、途中危険な箇所もあるのでハイキング気分の安易な遡行は避けたほうがよいかもしれない。

また、少し上流には、毛色の違う平滑の滝があり、こちらもまた、別の意味で見ごたえがあり、尾瀬ヶ原からのコースから比較的近くなので手軽に見る事ができる。


次回、「平滑の滝




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尾瀬紀行(41)裏燧林道 「段吉新道」

2011年07月24日 | 尾瀬




 尾瀬紀行(41)裏燧林道 「段吉新道」   、




兎田代


顔を覗かせた兎田代付近の湿地


風景も無色の立ち木に白一色の地面で、モノトーンの世界がズーと続いている。
山(燧ケ岳)を下りるときもスキーのグループを数パーティ目撃したが、登山者らしき人にはお目にかかっていない。 

変化のない、彩のない尾瀬は、普通のその辺の雪山、野山と同じく余り注目をされない、興味を示さない自然なのであろうか・・?。
まして裏燧は、尾瀬の花香るゴールデンシーズンであっても、比較的訪れる人は少ないコースなのである。 
自問自答し、自分自身を納得させながら、歩を淡々と進める。


シボ沢(渋沢)のもう一つの大きな沢を渡り、更に、いくつかの小さな沢を渡る。
ブナの木など広葉樹林の原生林の中を進む中、やがてぽっかりと森が開けて「兎田代」という小さな湿原に到着した。
今は猫の額ほどの小さな雪の原(湿原)であるが、陰鬱な樹林帯の中を彷徨するように歩いてた身としては、たとえ小さくとも明るい青天井の原を伺うとホッとする。


一息入れて、やや急な斜面を登ると間もなくして燧裏林道分岐に達した。 
分岐の左方向は段吉新道が伸び、赤田代、尾瀬ヶ原に続いている。
御池からここまで2時間少々のウォーキングである。

段吉新道は只見川の三条の滝や平滑の滝の名所を通らず、燧ヶ岳西麓、山裾を通りを直接、赤田代から尾瀬ヶ原に至るコースで、ブナ林を横切るように延びるほぼ平坦な歩きやすい道という。 


新道の由来は・・・?  
古く、赤田代に温泉小屋(1932年;昭和7年)が開設された当時は、御池や湯之谷村から赤田代、尾瀬ヶ原に至るためには、アップダウンの激しい急峻な岩場である三条ノ滝分岐や平滑ノ滝付近の道を行き来するしかなかった。

温泉小屋の初代で平野長蔵氏の甥・「星段吉」氏が、もっと安全で歩きやすい道を作ろうと思い立ち、長男と共に測量や整備を行いながら、約3カ月間の大変な苦労の末、1937年(昭和12年)9月に新道を開通させたという。

新道はハシゴやクサリ場のある滝コースを迂回するコースとして拓いた道で、起伏の少ない「段吉新道」と呼ばれ、特に、急ぎの場合や足に自信の無い方におすすめであろう。


次のすぐ隣には、三条の滝や平滑の滝へのコースと渋沢温泉小屋へ通じる分岐点にきた。
ここを過ぎると程なく三条の滝の大下りが始まった。 

分岐から三条ノ滝へは急坂な山道をジグザグに下る。 
尾瀬の雪解け水が集中して流れ落ちる只見川のⅤ峡谷の山道を下る。
これはもう転げ落ちるしかないくらい急である。 
1.2キロとあったが、100メートル進むのにも苦労する。

しかも、通常は滑りやすい歩きにくい急坂であろうが、積雪があってボコボコと不規則な階段状の急坂は、雪道のお陰で・・?、今は逆にアイゼンがしっかり利いて安心である。

所々、足元付近には大きな岩や大石が露出している。


次回、 「三条の滝




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尾瀬紀行(40)裏燧林道 「尾瀬の熊」

2011年07月23日 | 尾瀬




 尾瀬紀行(40)裏燧林道 「尾瀬の熊」   、



相変わらず太古の樹林他、主にブナ林をひたすら歩く。
変化の少ない単調なコースであるが、平坦というより緩いくだり勾配が嬉しく、歩程もはかどる。

歩き始めて1時間半、凡そ6kmの道のりであるが、未だ人のすれ違いや人の気配はまったく感じられない。 

熊にでも出会わなければ良いが・・!」、とやや不安を感じるときもある。

ただ、尾瀬界隈、群馬県側といい福島県側といい熊の出没の情報や注意表示、勧告は特に無いようである。 
もし、あるとしたも人気の尾瀬であり、相当の情報や対策がしてあるとは思われるのであるが、果たして・・?。


地元の尾瀬に詳しい人の一般的な話として・・、
尾瀬は山奥なのだから当然ながら、クマはどこにでもいるという。
熊が出没する尾瀬エリヤでは、この裏燧林道には記載がなかったが、段吉新道、尾瀬ヶ原の各所、特に沼尻川の拠水林を拠点に行動し、景鶴山、与作岳周辺はクマの生息地でもあるらしい。

更に、原、南方の富士見平周辺には出没例がかなりあるらしい。 それに、人通りの多い大江湿原にも。

クマのホームエリアはかなり広いし、熊が行動するルートもある程度決まっているらしい。又、人の姿を見ると概ね、逃げてゆくらしいが、出会いの条件や熊の状態にもよるらしい。

そして、熊は主に夕刻から夜にかけて行動するので、この時間帯の歩行は出来るだけ避けたほうが良いという。 

これら熊出没については、知らないより、知っていた方がやっぱりいい。


一般に、本州ではツキノワグマが 生息していて、特に、秋から冬の始まり頃の時期と春の時期、冬眠前と冬眠後が要注意しなければならないといわれる。

山奥のブナやミズナラなどの森林地帯には、通常、ツキノワグマが多数生息しているのが普通とされる。


次回、「段吉新道




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