土佐のくじらです。
今日の記事は、前回に引き続き、”神武東征伝説”に関する考察です。
神武東征の正体は東征と言われるような軍事行動ではなく、中心は米と酒による外交であり、それにより、”出雲の国”や”吉備の国”などが、ヤマト国と同盟合意したのが、有名な”国譲り神話”となった・・・のではないでしょうか。
また、前回の私は、謎めいた言葉を最後に終わりました。
九州ヤマト国の人たちは、東方の縄文系の国々に、「かくまって欲しい。」と、依頼したかも知れない・・・と。
当時の、朝鮮半島情勢を踏まえた上でシュミレーションするとするならば、この神武東征外交は、仮想敵国である朝鮮半島諸国には、”絶対に、知られては困る”内容だからなのです。
あくまで、九州にヤマト国は存在しているように見せながら、秘密裏に、東方縄文系諸国との外交を成功させなければ、朝鮮諸国に付け入られ、攻め込まれる危険が大きいのですね。
私がそう考えるに至ったのは、神武東征が成功し、ヤマト国が都を構えた場所が、”奈良盆地”であったからなんです。
なぜヤマトの国は、奈良盆地を都に選んだのでしょうか?
新たな都を構え、全国にお触れを出す土地として、奈良盆地は果たして、的確な場所なんでしょうか?
元来、奈良盆地に居を構える豪族が、全国制覇したのならいざ知らず、遠方から来た侵入者が、わざわざ奈良を拠点するのは、どうもつじつまが合わないのです。
なぜなら、奈良は、交通の便が悪すぎるのです。
邪馬台国近畿説から言えば、元来大和朝廷の原型が奈良発祥ということになるのでしょうが、私はそれはありえないと思います。
なぜなら、奈良盆地で発見される都市群全てが、完全な計画都市だからです。
奈良盆地の都市群は、すべて計画があって新しく作られた痕跡があります。
これは、自然発祥的な都市ではない証拠です。
通常ならば、首都機能を持つような都市を造ろうとすれば、もっと”交通の要所”になる地を、選択するのが常なのではないでしょうか?
たとえば、出雲の国(島根県)ですね。
ここには西から海流が流れており、当時朝鮮から貿易などには、とても適した便利な土地ですね。
もしも、アジア大陸など、当時の先進国家群との交流を、まず念頭に置いた国づくりをするとしたならば、首都機能は、絶対に日本海側にないといけないのです。
朝鮮からの影響力が嫌ならば、吉備の国(岡山県)でもいいですね。
ここには当時、結構大きな”くに”があったようです。
自然災害も少ないですし、東西南北、そして海運の拠点には最適です。
しかし、ヤマト国の新たな都は、奈良盆地でした。
なにわ(大阪府)ではなく、更に奥深い奈良まで入っています。
しかも、最初に居を構えたであろう、纏向(まきむく)と言うところは、奈良盆地の奥の奥、山裾の地です。
当時の都市水運には欠かせない、大きな川(大和川)も、遺跡からは微妙・・・・な場所にあって、これは川を運搬に使っていた・・・というよりは、堀として防御に使っていたように、私には思えますね。
和歌山県側からの進入ルートに使えそうな紀ノ川は、奈良纏向(まきむく)の地の近くでは、川幅も狭くなり激流となります。
運搬輸送の交通ルートとしては使えず、むしろ侵入者を阻むような地形構造です。
ヤマト国の新首都が奈良盆地・・・。
これは、”隠れ住んでいた”・・・とか、篭城した・・・としか、私には見えないのです。
そうであるならば、納得が行くのですね。
奈良の地は、朝鮮半島から見ればどういう位置づけになるのでしょうか?
九州には、ヤマト国の正規軍が残っていますね。
海流に乗り、山陰地方に向かえば、同盟国である”出雲の国”が控えます。
出雲を破り、中国山地を南下すれば、そのには同盟国”吉備の国”が待ち受けます。
九州ヤマト軍を切り抜け、関門海峡を通り抜けて、瀬戸内海から東征すれば、これまた同盟国の吉備の国が迎え撃ちます。
瀬戸内海は島に囲まれ、海流の流れが複雑な、海の難所です。
当時であれば、地元民以外、東西への通り抜けなど不可能です。
縄文系の、優れた航海術を持つ水軍を整備すれば、瀬戸内海での朝鮮軍船の東進を十分阻止できます。
たとえ、朝鮮軍が大阪湾に辿りついたとしても、今度は、奈良盆地の周囲の山々が、”防御壁”となって立ちはだかります。
盆地は山があるので、”陸路の進入経路を限定”することができますのでね。
また、海軍として来るであろう朝鮮軍は、そのまま大和川に入ることはできません。
川が微妙に小さく、また河口から奈良盆地にいたるまでには、必ず急流があるので、船を小さく作り変える必要が出てきます。
盆地ならば、大量の軍隊の侵入は、絶対にできないのです。
また盆地のような山岳地帯は、地元民が絶対に有利です。
盆地は巨大な城ですから、攻め込むのに大量の軍隊を要するのですが、その軍隊の進入ができないし、無数の抜け道があり、いくらでもゲリラ戦法による防衛が可能です。
新首都が奈良盆地・・・そうです。
奈良盆地は、朝鮮半島からの攻撃に対する、鉄壁の防御が可能な土地・・・なのですね。
この事実は、
ヤマト国の東征は、弥生化が遅れていた、東国への陣略目的ではなく、当時の朝鮮半島国家軍からの、防御を目的とした大規模な遷都。
これが、奈良の地理的な条件を加えた、私なりの歴史考察です。
(続く)
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