土佐のくじらです。
暑い日が続きますね。
私は、日本が古来から持つ素晴らしさを、爽やかにお届けして、夏の暑さを吹き飛ばしたいなぁ・・・と、考えています。
できれば、日本の自虐史観もついでに・・・・(笑)
縄文時代には、舟を使った高度な流通システムがあったはずだ・・・と、前回記事で書きましたが、実は、この証拠はまだあります。
それは、全国各地から、同じところから出土した石が見つかるのです。
伊豆諸島の神津島(かみづしま)で採取される黒曜石(こくようせき)ですが、この神津島産黒曜石がなんと、全国各地で発見されるのですね。
黒曜石は火山性の石で、パリっと割れるのが特徴です。
切れ目はとても鋭利になるので、黒曜石はよく切れます。
古代の包丁が、この黒曜石なのですね。
この黒曜石ですけど、全国各地で結構採れるのです。
もちろん神津島以外の伊豆半島でも採れるますし、関東地方でも採れます。
しかし、他の地方の黒曜石は、縄文遺物からはそれほど出てこないのに、なぜだか、神津島の黒曜石だけは、全国で見つかるのです。
これは、なんらかの方法で、神津島産黒曜石として、”価値ある商品として普及していた証拠”ですよね。
この神津島の黒曜石は、当時のブランドとして確立していたとしか考えられないのです。
「包丁はやっぱり、神津島産の黒曜石よね。」
「きゃぁ、神津島の黒曜石よ。あなた、買ってェ~。(ハートマーク)」
なぁ~んていう会話が、全国の集落のあちこちで、交わされていた可能性が高いのです。(笑)
となると、流通システムの他に、
何らかの経済活動が、縄文時代には存在していた可能性がありますね。
貝殻や、勾玉(まがたま)、何らかの宝石の類・・・などを使った、当時なりの経済があったかも知れませんね。
まぁ、こういった、フィールドワーク的手法から導き出される推測される事実は、
一般的な常識からは想像もできないような、縄文時代の高度な生活様式ではあります。
そしてこの文明には、極めて不思議な”流れ”がございます。
1万年前には既に存在していたと言われ、(一説には13000年以前には存在していたとも言われます)、今から3000年前くらいまで続いた、日本の縄文時代ですが、実は、途中で文明が進歩した形跡がないのです。
過去~最終段階まで、ほとんど変化と言う変化が見られないのが、縄文時代の不思議なところです。
普通、何らかの変化があるはずなのですけど、どこを切っても同じ、金太郎飴型文明が縄文時代なのですね。
現代的な普通の一般的な思考、進化論的な文明の発展説というのは、単なる思い込みに過ぎないと私は思います。
さて、縄文文明は、いつ始まったのかも、よくわかりません。
縄文土器のような高度なテクノロジーも、流通システムも、ブランド喜べる商品があったというような、高度な価値観の形成も、いつどこで、誰が生み出しかが、全くわからない文明なのですね。
では、これをどう説明すればよいのでしょうか?
私はこれを、思い切った仮説で説明したいと思います。
それは・・・、
【 縄文文明は、完全な継承文明 である。 】
という仮説です。
こういうと、説明がつくのですね。
他に有名な継承文明としては、エジプト文明があります。
この文明は実は、過去に行けば行くほど、レベルの高くなる文明なのですね。
古代エジプトの最終は、クレオパトラの時代です。
この時代には、もうピラミッドを作る技術など、既に過去の失われたテクノロジーだったのですね。
有名な、クフ王のピラミッドがありますね。
クフ王のピラミッドが、一番大きく立派で完成度が高いです。
他のピラミッドは、クフ王のより小さく、陳腐に見えるものもたくさんあります。
しかし驚くべきことに、
この、大きく立派で完成度の高い、クフ王のピラミッドは、一番古いピラミッドなのです。
古代エジプト人は、だんだんピラミッド造りが、下手になってくるんですね。
最初が凄くて、進化論的に文明が発展せず、だんだん衰退する・・・これが、継承文明の大きな特徴です。
エジプトの古代世界を描いた古代壁画には、空を飛ぶ機械の絵や、電球としか見えない絵など、失われたテクノロジーと思われる絵がたくさんあります。
そしてエジプト同様、日本の縄文文明も、【 継承文明 】だとすれば、数々の謎が解けます。
つまり、
縄文文明の元となる、源文明が存在するとすれば、説明につじつまが合う・・・ということです。
では、どこの文明を、縄文人たちは継承したのでしょうか?
私はそれを、こう説明したいと思います。
縄文は、ムー文明の継承文明である・・・・
事実をつぶさに見ていくと、どうしてもそうなってしまう・・・と。
どうです、皆様。
こうでないと、しっくりこないでしょう?
では、またのお越しをお待ちしておりまーす。 (^^)/
(続く)
土佐のくじらです。
今日も、つじつま合わせの歴史館にようこそ。(笑)
今日も引き続き、縄文時代の検証をして参ります。
後々記事にして参りますが、この仮説が正しいのならば、今私は、日本の神話時代以前の話をブログ記事で書いていることになります。
お読みの方の心境的には、自虐史観を払拭する記事を、お読みになりたい方も多いかとも推測いたしますが、ブログオーナーである私は、毎日わくわくした気持ちで、これらの記事を書いております。(笑)
さて縄文文明は、一般的なイメージ、(古代人=原始人)とは違い、(笑)
その分明度は、かなりの高水準なレベルに達していたと、私は推測しております。
文明のテクノロジーが違うだけで、実は一昔前の日本と変わらないんじゃないのか?
極端に言えば、私はそう考えているのです。
文明には建築物が付き物ですが、縄文式建築物は、例の 『竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)』 しか、発見されておりません。
しかし、土器を文明の証とするならば、これは立派な文明の域に達していると思います。
縄文人が、石で巨大建築物を造らなかった・・・というだけです。
(詳しくは、前回記事を読んで下さいね。^^)
そしてとにかく、その文明圏が広い!
北海道~九州まで、同様の縄文式土器が発見されます。
いや実は、沖縄や朝鮮半島でも縄文式時は発見されます。
これは文明圏で言えば、当時恐らく世界最大です。
世界の4大文明と言われる、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明などは、大きな河川の流域のみの、”限局文明”です。
しかし縄文は、文明圏で言えば、大体今の日本の国土と変わらないか、それ以上の広さを持ちます。
これだけ広い文明圏を形成するには、移動手段が不可欠ですよね。
メールやテレビなどの情報伝達機関がなければ、人が移動しない限りは、広い文明圏を形成することは、到底不可能だからです。
では、どのような移動手段を使って、縄文人は全国を移動していたのか・・・???
それはどうやら、『舟』 らしいのです。
舟を使って移動する海洋型文明が、実は縄文文明の正体なのですね。
舟と言っても、もちろん人力で動くものです。
そしてその構造は、丸太を切り、くりぬいた 『丸太舟(まるたぶね)』 であったことはわかっております。
そして最近、その丸太舟がどうやら、転覆しない機能を持っていたらしい・・・という、驚くべき仮説が、考古学で発表になっております。
実は歴史と言うのは、史実の研究ですのでね、
縄文時代に、史実は存在しませんから、考古学の分野になってしまいます。
「まぁ、くじらさん。そんなウンチクはええがな。」
「一体どうすれば、転覆しない舟になるの?」
当然、そういう疑問の声が湧き起こって来ているのを感じます。(笑)
答えは・・・
カヌーのような丸太舟を、横に2艘連結するんですよ。
そうすれば、理論上、絶対に転覆しないのですね。
大波で、大きく揺れることはあっても、絶対にひっくり返らないのです。
この2艘立てのカヌーで、どうやら縄文人は、古代日本を北から南まで駆け巡っていたらしいのです。
縄文遺跡からは、カツオやマグロなど、外洋を泳ぐ魚のゴミが見つかりますから、
いずれにしても、恐るべき航海術を有していたことには、間違いありません。
そして、驚くべき事実はまだあります。
日本の風土病で、ATL(成人T細胞白血病)という病気があります。
HTL-Vというウイルス感染による白血病です。
この日本の風土病ATLが、実は、南米ペルーでも見つかるのですね。
ATLの感染経路は 【 母乳 】 です。
つまり、授乳行為以外では感染しません。
親子関係、またはそれに近い関係がなければ、まず感染しないのがATLという感染症です。
日系移民が感染源・・・と考えることもできるのですが、日系人が移入したことのない、奥地の村落からもATLが見つかります。
そしてどうやら、かなり昔から、この病はペルーにあるらしいのです。
免疫学観点から調査したところ、ペルーのATLは、日本人のHTL-Vと全く同じタイプのウイルスで、
しかも、1万年前の日本人と同じ株のウイルスということでした。
この調査結果を、マジメに解釈するならば、
古代日本の縄文人は、はるか太平洋を越えて、沈まぬ舟に乗り、
日本のみならず、全世界を駆け巡っていたことになるのです。
あらら、
凄~~いことに、なってきましたぞねェ。(^@^)
(続く)
土佐のくじらです。
それにしても、暑いですねェ~。
私の暮らす高知でも最高気温は恐らく、35℃以上だったのではないでしょうか。
意外かも知れませんが、高知県民は暑さに弱いです。
なぜかと申しますと、最高気温が33℃を超えることが余りないからです。
実は高知県沖には、全国一近いところに黒潮が流れておりまして、
その黒潮によって空気が冷やされる関係で、高知県は余り気温が上がらないのです。
それでも今日は、35℃を越えているはずです。
皆さんこんな猛暑の中、脱原発なんぞ、無理ですよ! (笑)
いつ来るかわからない原発事故とか気にして、節電なんぞしていたら、たった今熱中症で死にますぜよ。
いや、マジでそうなのです。
今年から電気代が上がったせいで、夜間に冷房を止める方が増えているそうです。
しかしそれは危険です。
なぜなら現代建築は、エアコンを使う前提で構築されているので、昔の家より遥かに機密性が高いのです。
ですから、暑い時期にエアコンを止めると、家の中が魔法瓶のような状態になります。
現代日本は電気文明ですから、冷蔵庫や待機電力のある電気器具が家内に相当あります。
また、人がいれば必ず放熱しております。
機密性の高い現代建築は、エアコンを使う前提の建築物です。
エアコンを止めてはいけません。
止めなければいけないのであれば、現代日本人に無理難題を押し付けている現状こそが問題です。
電気代が高いために節電する必要があって熱中症になる国民がいるならば、政治の仕事は電気代を安くすることです。
この酷暑の日本で必要なことは、脱原発でも卒原発でもありません。
即原発です。
ということで、今日は暑かったので、縄文時代の建築の話をしてみます。
さて、教科書で出てくる古代文明といえば、メソポタミア・エジプト・インダス・黄河の4大文明ですね。
私は日本の縄文時代を、5大文明として入れるべきだと考えていますが、そういう話は余り聞いたことがないでしょうね。
私以外で、そう言っている人を、私も知りませんので、世の中で私だけが言っているかも知れません。(笑)
さて、先の4大文明には共通点があります。
それは・・・全て、石の文明だ・・・ということです。
文明には建築物が付き物です。
建築物などのハードな遺物がなければ、通常は文明とは呼べません。
建築物がなければ、文化・・・として認識されるのが普通です。
そして他に、4大文明に共通することは、文字の記録が残っていることです。
メソポタミアの楔形文字、黄河の象形文字などですね。
インダスにはインダス文字が、エジプト文明にも文字の遺物があります。
この建築物、そして文字が記録されているモノ、この両者が共に、”石”であるのが、4大文明の特徴なのです。
実は、石の文明しか、長期間記録として残すことができないのです。
恐らく縄文時代の日本の人々は、家屋などの建築物は、木造だったはずです。
通常木造建築物の寿命は、100年が限界です。
それ以上だと、建て直しが必要なように、最初から作ってあるのが木造建築です。
木が豊富で、年間の気候変動の激しい日本の自然環境化では、今のようにエアコンが普及しない限り、木造建築の方が絶対に有利です。
木造建築が主流であったであろう縄文時代の文明は・・・。
そうです、証拠が残っていなくて当然なのですね。
縄文時代にも、文字はあったかも知れません。
後日また記事にしますが、国内外で物流が、相当盛んに行われていた形跡がありますので、文字のようなものがあったかも知れません。
しかしこれも、石に刻まない限りは、数千年残すことは不可能です。
近年、奈良時代の長屋王住居跡地から、木管に墨で書かれた遺物が発見されたことがあります。
当時は木に情報を書いて、いらなくなったら、家の前の川に投げ捨てていたのですね。
それで、それが土砂に埋まって、奇跡的に保存されたものが残っております。
通常ですと、木管も墨も消えてなくなりますので、このような発見のされ方は奇跡です。
という風に、文明の保存はとても難しいです。
特に、高度なものほど残らない傾向があります。
たとえば、紙の保存期間は、せいぜい100年です。
レコード盤で数10年、ビデオテープもそれくらいですね。
CDや、DVDだと5年くらいです。
CDやDVDなどはデジタル情報ですので、永遠に残り保存が可能とお思いの方も多いのですが、
それは、中のデジタル情報が永遠なだけで、その情報を入れている、CDやDVD自体は、数年で痛んでくるのです。
また、その情報を再生するシステムも、文明が進めばそれに付随してどんどん高度化します。
高度化することは良いことですが、文明の保存と言う観点では、より条件を厳しくするものなのですね。
たとえば、フロッピーディスクが使えたのは、実質数年でしたね。
今では、USB全盛となっています。
フロッピーに入れていた情報は、確かに存在しますが、もうほとんど再生できません。
再生機の方が、もう生産されていないからです。
レコード盤もプレーヤーが製造中止となって久しく、再生できなくなっていますね。
テープレコーダーしかり、ビデオテープしかりです。
このように、たとえ優れた文明があったとしても、石の文明や文化以外は、その存在を後の世で証明することは、極めて難しいという現実があるのです。
今は鉄筋コンクリートの文明ですので、数千年後に建築物だけは残っているかも知れませんね。
ただ、その中で生きている我々が、どのような文献を読み、何に感動し、何に尊さを感じていたかなどが、記録として残るかどうかはわかりません。
そういった意味を含めて、後世に残したい大切な記録や、未来の人々に伝えたい偉人の言葉などがあれば、
極めてローテクですけど、それは石に刻んでおく必要があると、私は考えております。
(続く)
土佐のくじらです。
夏休み企画的な、ミステリーチックな歴史ブログ記事を始めました。
ブログオーナーは、少々頭が煮え気味なので、お読みの方も少し気楽に立ち寄っていただけたらなぁと思っております。
さて私はブログ開所から、近代の歴史を書いていましたが、実は私、古代の方が好きなのです。
私は歴史好きですが、史実を重視しません。(笑)
つじつまが合うかだけに着目しております。(爆笑)
史実には、どうしても書き手の主観が入りますし、その時期の権力者たちの意向が入っております。
ですので史実中心ですと、その書き手の主観を取り除くことから始めなければならないので、めんどくさいのですね。(^^;
私は真実が知りたいだけですので、そういう主観や時の強者の思惑が邪魔で、フィールドワーク的な観察と、原因結果を重視します。
ですから、史実の残っていない古代の方が、自由に楽しめるのです。(笑)
ところで私は、日本の縄文時代というのは、世界の5大文明に入れるべきだと考えております。
前回の記事にも書きましたが、有名な縄文土器は、”ただの壷”のような印象で、教科書では紹介されていますが、ところがどっこい、その正体は、”万能調理器具”でございます。
煮るのはもちろん、焼く、揚げる、炒める、一台で何でもできる機能を持っております。
縄文人の主食を皆様御存知でしょうか?
答えは、”栗のクッキー”なのですね。
驚くべきことは、この栗は自然採取されたものではなくて、人工的に栽培されていたのです。
縄文人たちは農村の周囲を栗林で囲み、収穫し備蓄しておりました。
これだけでも凄いことでしょう?(笑)
そして栽培した栗を粉にして、クッキーを焼いて食べていたのですね。
となると、つまりは・・・
縄文土器は土器のくせに、クッキーを焼く温度に耐える性能を持っていたことになりますよね。
クッキーを焼く温度というのは、大体摂氏1000度Cくらいです。
それくらいの高温に耐える性能を持った調理器具を、土から作る技術は、現代どこにも存在いたしません。
全て、鉄製のはずです。
もちろん、縄文より新しいはずの”弥生式土器”は、煮る以外の調理方法はできません。
実は縄文土器のテクノロジーは、”人類史から失われた技術”なのですね。
縄文人=原始人のイメージしか、多くの日本人は有してはいませんが、狩猟はあくまでオカズです。
決して彼ら縄文人は、”はじめ人間ぎゃーとるず”のような人たちではなかったのです。(笑)
日本では鹿やイノシシなどは、どこにいてもそしていつでも取れますし、川や海からは、幾種類もの魚介類が年中取れ放題です。
また縄文の地層からは、ゴミが出土するのですが、実はその縄文地層のゴミは、2週間で成分が変わるのですね。
2週間・・・というのは、”旬”と思っていただければ良いです。
2週間で何が変わるかと言うと、その時々の”旬の食べ物”のゴミに変わるのです。
その時々の旬の食べ物が、ある一定以上出土するのが、古代日本の集落遺跡の特徴です。
栗を主食に、野生動物や旬の山菜、豊富な魚介類などを、縄文土器で調理して食べていたのが縄文人です。
これらから推測すると、当時の世界で、最も食べ物の豊かな文明が、日本の縄文時代であった可能性が高いのですね。
でも、当時・・・と一概に、ひとくくりにできないところがあります。
なぜなら、縄文時代というのは、少なくとも1万年前から始まっております。
教科書的な歴史では、メソポタミア文明で7000年。
エジプトや、黄河、インダス文明あたりで5000年前くらいです。
そしてこれらの文明圏は、1つないし2つの川の流域のみの、”限局文明”です。
しかし、縄文文明の証拠である縄文土器は、北海道から九州までの全国各地で、当たり前のように出土いたします。
ということは縄文文明は、文明圏としては世界最大ですし、教科書的には、世界最古の文明に相当します。
しかも、驚くべきことは、その失われた技術、脅威のテクノロジーでできた縄文土器はごく極限られた所から出土するのではなくて、全日本列島の一家に一台が当たり前・・・のように出てくるのですね。
当時の王侯貴族的、限られた富裕層だけが使用していたのではなく、全国各地の一般庶民が、ごく当たり前に使っていたのが縄文土器です。
この事実から推測できることは、古代日本の縄文時代というのは、
現代文明でも作れない高度なテクノロジー作品である縄文土器を、誰もが同じように作れる文明であったか、
もしくは、とある場所で大量生産し、全国に流通させるシステムがあったとしか、説明できない文明なのですよ。
ねえ、凄いでしょう?(笑)
しばらく、こういう感じで続けて行こうかと思います。
では、またのお越しを。 (^^)/
(続く)
土佐のくじらです。
今日から、新シリーズを開始します。
新シリーズと言っても、やっぱり”歴史”なんですけどね。(^^;
本当は、中国ものや国防関係にしようかとも考えたのですが、
今までは戦争モノばっかりでしたし、その直後は参院選応援ブログと、結構重いテーマばかり続きましたので、少し頭が煮え気味です。(笑)
気分転換も兼ねて、時節は夏休み期間ですし、お若い方も、気軽に楽しんでいただける内容にしたいと考えました。
ですからしばらくの期間、歴史ミステリーで行こうかなと思います。
そしてよく巷で言われる、戦後日本は急速に発展し、云々・・・という議論がありますけど、私はこれを払拭したいですね。
ブログ記事で自虐史観を払拭したように、そういう一般的な常識を吹き飛ばしてみたいです。
この概念の中には、「日本は、遅れていた国だった。」っぽいニュアンスが含まれています。
そうではなく、日本は、最近の戦後だけでなくて、ず~~っと昔から、レベルの高い国であったということを、
数々の謎解きをしながら、私の歴史解明の真骨頂、【必殺、つじつまあわせの術】で、証明してみたいと思うのですね。(笑)
よく誤解されるのですけど、昨日より今日、去年より今年、という風に、歴史というものは、年代が新しくなればなるほど進んでおるものだ・・・という思い込みが、一般的にはあるように思えるのです。
しかし、実際はどうかというと、必ずしもそうはなっていない・・・というのが現実なのですね。
一般的な思い込みで語られる、この上記のフレーズというのは、恐らく、進化論的な感覚から来ているものだと推測します。
私も以前は、そう考えていました。
しかしたとえば、
縄文時代と弥生時代、どちらが文明・文化として高度であったか・・・
と聞かれれば、恐らく全員が、「弥生時代」とお答えになるでしょうね。
しかし、年代の新しい弥生時代が、更に古い縄文時代より進んでいたのは、
実は ”摂取カロリー” だけなのですね。
日常的に使っている道具などのテクノロジー、交通手段、流通システムなどは、もうほぼ全てにおいて、縄文時代の方が圧倒的に進んでいるのです。
以外でしょう?(^^)
弥生より古い縄文時代の方が、文明としてのレベルで言えば、実際ははるかに高いのですよ。
はっきり言って、縄文時代などは、世界5大文明として、教科書で教えなければならないレベルだと思います。
いや、世界最高の古代文明であると、私は考えています。
(伝説のムー文明やアトランティスなどの、超古代文明になると私もお手上げですが。笑)
予定では縄文から、平安時代初期までを予定しています。
神武東征や邪馬台国に関する私見は、「誇るべき日本の歴史シリーズ」以上の、インパクトがあると自負しております。
v(^^)
こういう意外な時間の流れ、ミステリーや驚きが、歴史を探っていくと随所に散りばめられているのですね。
それを発見することは、とても楽しいことです。
そしてそれは、日本という国家、そして日本人の奥底にある、本来の煌めきを発見することに通じると私は信じます。
ということで、次回はまず、偉大なる縄文時代について、私なりに語って参りたいと思います。
(続く) .