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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
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スマホが知ってる事は自分が知ってる事

2020-03-04 13:12:46 | マレーシアでニャー2020
先日、ADCの設定値が間違ってるよとある人にメッセージ入れたら、ADCって何?と答えが返ってきた。

これ読んでる人の中でもADCって言われてすぐにわからない人はいると思うけれど、その時はコンテクストの中でわかっているはずで言っているのでわからないとは思いもよらず。が、仮にわからなくても、今は21世紀だし、ほぼ全員スマホ持ってるわけだし、わからなきゃ調べれば良いのだ。

あれは90年代の半ばだったと思うけれども、これからは知識を頭の中に持っていると言う事の価値は下がるよね、と言われ始めた。もちろんパソコンがネットワークに接続され始めたから。それからだいぶ時間が経過して、一般の知識だったらほぼ誰でもアクセスできて知識の多寡に差異なんて何もない時代になった。(はず)


なのに、未だに超基本的な事とか言葉についてわざわざ他人に聞く人が後を経たない。あの時はパソコンしか無くて操作も接続も面倒だったけれど、今はスマホでほぼ何も操作しなくても答は得られる時代になったにも関わらずだ。

でも、そうなる理由はスマホとかネットワークとかそんな物理的な理由じゃない。1)興味が有るか無いか、2)検索するスキルがあるか無いか、3)その他、みたいなやっぱり人間のところに違いがあるし、そこがボトルネックになっているらしい。昔は辞書調べるとか本を読んでみるとか、かなりヘビーな作業だったけれど、100倍楽になってもそうで、実はそう言うところがポイントじゃ無かったって事がはっきりしてしまった。


仕事でも同じような事がたくさんある。

何か調べたい場合にファイルサーバを検索してみるか、みないかってのがある。やらない人は永久にやらないで永久に何かを知らないし、永久にゼロポイントのところで留まっていて誰かがやってくれるのを口を開けて待っている。


知識って部分では知ってる知らないはもうどっちでも良いと思う。その知識を使ってやるとか完成するとかの方がよほど重要だと普通に思うわけ。とりあえずスマホに聞いてみる。スマホが知ってる事は自分が知ってるのと同じだから。そこはスマホに任せて次行こう。


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