小泉政権の時に規制緩和やいろいろな自由化が行われて所得格差(←クリック)の問題が取り沙汰されるようになった。
実際それが本当にどれだけ格差が出来たのか、それが良かったのか悪かったのかは多分に情緒的な判断が為される。けれども、一般に言って格差が広がって自分が誰かより貧乏なのは嫌だと単純に捉えられるのじゃないだろうか。逆にお金持ちになった人にしてみれば、自分が上手くやった事に対する政党な報酬が得られただけだと言うだろう。もちろんそれも悪いとは言えない。
そして所得格差についてよく言われる事に、"それでも日本はまだマシだ"と言うのがある。
確かにいろいろな統計資料を見ればまだまだ格差など大したことはなく、世界中の誰も日本の格差拡大など心配してはくれないレベルだ。東京に巨大スラム街が出現したわけではないからだ。ジャカルタなどに比べたら何をか況(いわん)やと言うところでしかない。
どうしてこんな事を書いているかと言うと、前の記事にマレーシアの外国人労働者の給料が日本人の1/10だと書いた事の補足だ。
1/10と書いて、ふっと思ったのは、自分はマレーシアでの現地採用なので、通常の日本人と比べたら給料は低いのだった。以前に台湾で働いていた時には出張ベースだったから今の4倍から5倍は収入があった。それと比べてしまうとここの外国人労働者の給料はその1/50になる。
日本人サラリーマンの平均年収が400~450万円の間だとすると、ざっと平均月収(ボーナス分まで12ヶ月で割る)35万円。マレーシアリンギットに直すと、RM12,500。マレーシアの外国人労働者の基本給(残業があるかわからないので)の20倍近くになる計算だ。残業代を多く入れるとそれでも12倍だろう。それでもまだマレーシアは良い方だろう。そうでなければこんなに外国人が働きには来ない。
日本にいては実感がわかないけれども、こうした格差は確実に存在する。国内の所得格差を日本人はとても気にするけれども海外の多くの人たちとの事にはあまり熱心ではないのが実態ではなかろうか。
昔、デリーに行った時、ガンジーの墓所を見に行った。墓所の中央には立派なお墓があり、その前には貧乏な人たちのためへの寄付箱が据えられていた。ガンジーの墓にはお金持ちそうなキレイな衣装の人々がお参りに来ていたけれどもその寄付箱には誰も関心を示してはいなかったのを思い出す。
我々は自分で思っているよりも本当は格差に対して寛容なのだと思う。実際、それが無ければ今の社会は成り立たないし本当は誰もがそんな事は知っている。社会の教科書に南北格差などと言う言葉が出ていたけれども、実際にはそれは問題ではなくてあるべき物として普通に我々は扱っている。誰も公言しないだけなのだ。
実際それが本当にどれだけ格差が出来たのか、それが良かったのか悪かったのかは多分に情緒的な判断が為される。けれども、一般に言って格差が広がって自分が誰かより貧乏なのは嫌だと単純に捉えられるのじゃないだろうか。逆にお金持ちになった人にしてみれば、自分が上手くやった事に対する政党な報酬が得られただけだと言うだろう。もちろんそれも悪いとは言えない。
そして所得格差についてよく言われる事に、"それでも日本はまだマシだ"と言うのがある。
確かにいろいろな統計資料を見ればまだまだ格差など大したことはなく、世界中の誰も日本の格差拡大など心配してはくれないレベルだ。東京に巨大スラム街が出現したわけではないからだ。ジャカルタなどに比べたら何をか況(いわん)やと言うところでしかない。
どうしてこんな事を書いているかと言うと、前の記事にマレーシアの外国人労働者の給料が日本人の1/10だと書いた事の補足だ。
1/10と書いて、ふっと思ったのは、自分はマレーシアでの現地採用なので、通常の日本人と比べたら給料は低いのだった。以前に台湾で働いていた時には出張ベースだったから今の4倍から5倍は収入があった。それと比べてしまうとここの外国人労働者の給料はその1/50になる。
日本人サラリーマンの平均年収が400~450万円の間だとすると、ざっと平均月収(ボーナス分まで12ヶ月で割る)35万円。マレーシアリンギットに直すと、RM12,500。マレーシアの外国人労働者の基本給(残業があるかわからないので)の20倍近くになる計算だ。残業代を多く入れるとそれでも12倍だろう。それでもまだマレーシアは良い方だろう。そうでなければこんなに外国人が働きには来ない。
日本にいては実感がわかないけれども、こうした格差は確実に存在する。国内の所得格差を日本人はとても気にするけれども海外の多くの人たちとの事にはあまり熱心ではないのが実態ではなかろうか。
昔、デリーに行った時、ガンジーの墓所を見に行った。墓所の中央には立派なお墓があり、その前には貧乏な人たちのためへの寄付箱が据えられていた。ガンジーの墓にはお金持ちそうなキレイな衣装の人々がお参りに来ていたけれどもその寄付箱には誰も関心を示してはいなかったのを思い出す。
我々は自分で思っているよりも本当は格差に対して寛容なのだと思う。実際、それが無ければ今の社会は成り立たないし本当は誰もがそんな事は知っている。社会の教科書に南北格差などと言う言葉が出ていたけれども、実際にはそれは問題ではなくてあるべき物として普通に我々は扱っている。誰も公言しないだけなのだ。
財産問題 仕事賃金問題 福祉問題
人の心の問題 出会いと接し方~ 生活の仕方他
格差問題 いろいろな事が ありますね。
コメントありがとうございます。
世の中知っているようでいて知らないこと、分かっているようでいて実感していないことってたくさんありますね。