
Twitter見ていたらある人が驚いていた。何にかと言うと、頭の中で言葉で考えている人がいると言う事に。その人は頭の中で考える時に言葉になっていないらしい。口から思った事を出す時に初めて言葉なるとか。
いや、それ聞いて驚いたのはこっちだよ。何か考えたりする時に頭の中の言葉が作られてないと言う状態ってのがあるのか!と。
ああ、でもよく考えたら子供の時とか、そんな状態だったかもしれないな。今だと口に出さないまでも「本当かよ!」とか、頭の中に言葉が出てきてしまうけど、子供の時にそうだった気はしない。もっと見たり聞いたりしたその状態そのものを受け取っていてそれに感情を付け加えて感じていただけかもしれない。よく覚えていないけれど。
幼稚園の頃、母が買い物に出ていて弟と2人で家にいた。だんだんと太陽が傾いて周囲が赤っぽく染まると、弟と特に何か話はしないがなぜか悲しいような寂しいようになってきて2人で外に出て母を探しに街へ出た事が何回かあったと思う。そんな時、頭の中のどこにも言葉があった気はしない。
いつから変わったんだろう?でも、言葉のない状態は長かったかもしれない。自分が何をどう感じてどうするとか、頭の中で整理して考えたりはしなかったと思うから。それは例えば小学校を卒業してその後に中学校入ると聞かされてそうなるんだろうとは思ったけれどそれだけの事で疑問とかそこからどうするとかそう言うのは無かったから。
今は逆にもっといろいろ簡単に考えるようになってしまった感がある。ああなればこうなる式だ。それも弊害はあるとは思うが。
例えばこの前ちょっと書いたけれど、音が音のままで頭に入らないとか、色なんかもそうかもしれない。紫がかったグレーのロバの色がとても好きなのだけれど、それとて「紫がかったグレー」と言う言葉に変換していなければ自分にはその色を覚えられないかもしれない。故黒川紀章が「離宮ネズミ」と言う色を言ったが、もしかすると氏も同じだったかも。名前を付けて初めて定義できて頭に入る色。そうなっている。だから音なんかは無理だ。ドレミまでは定義できるが逆に音を聞いてドレミは無理だし、その並び順に至っては完璧にダメだ。
利点としてはあまり感情的ならないで安定していられると言うのはあるかもしれない。他にもあるかはわからないな。
いや、それ聞いて驚いたのはこっちだよ。何か考えたりする時に頭の中の言葉が作られてないと言う状態ってのがあるのか!と。
ああ、でもよく考えたら子供の時とか、そんな状態だったかもしれないな。今だと口に出さないまでも「本当かよ!」とか、頭の中に言葉が出てきてしまうけど、子供の時にそうだった気はしない。もっと見たり聞いたりしたその状態そのものを受け取っていてそれに感情を付け加えて感じていただけかもしれない。よく覚えていないけれど。
幼稚園の頃、母が買い物に出ていて弟と2人で家にいた。だんだんと太陽が傾いて周囲が赤っぽく染まると、弟と特に何か話はしないがなぜか悲しいような寂しいようになってきて2人で外に出て母を探しに街へ出た事が何回かあったと思う。そんな時、頭の中のどこにも言葉があった気はしない。
いつから変わったんだろう?でも、言葉のない状態は長かったかもしれない。自分が何をどう感じてどうするとか、頭の中で整理して考えたりはしなかったと思うから。それは例えば小学校を卒業してその後に中学校入ると聞かされてそうなるんだろうとは思ったけれどそれだけの事で疑問とかそこからどうするとかそう言うのは無かったから。
今は逆にもっといろいろ簡単に考えるようになってしまった感がある。ああなればこうなる式だ。それも弊害はあるとは思うが。
例えばこの前ちょっと書いたけれど、音が音のままで頭に入らないとか、色なんかもそうかもしれない。紫がかったグレーのロバの色がとても好きなのだけれど、それとて「紫がかったグレー」と言う言葉に変換していなければ自分にはその色を覚えられないかもしれない。故黒川紀章が「離宮ネズミ」と言う色を言ったが、もしかすると氏も同じだったかも。名前を付けて初めて定義できて頭に入る色。そうなっている。だから音なんかは無理だ。ドレミまでは定義できるが逆に音を聞いてドレミは無理だし、その並び順に至っては完璧にダメだ。
利点としてはあまり感情的ならないで安定していられると言うのはあるかもしれない。他にもあるかはわからないな。
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