長くエンジニアをやっているその人はインド系でヒンドゥー教徒だけれども、仏教が好きだと言う。仏教の思想とメディテーションが気に入っているそうだ。(昨日聞いた話。)
あるインド系の不動産ブローカーは宗教は何だと言わずに「私は唯一神を信じている」と言う。彼の考えはキリスト教とイスラム教の間にあって、神が唯一なら何教であるかどうかではなく神と自分の関係だけが重要なのだと言う。
中国系の家ではその人がどんなにハイカラな服装をしていて今風な仕事についていてもたいがい家には大きめの祭壇のようなものを置いている。
話を聞けば聞くほど今この社会の見た目とその中身が違ったもののように見えてくる。けれどもそれがこちらの勝手な思い込みから来るものだと言うのもよくわかる。以前のインドネシアでもそれは経験している。宗教もその他の神秘に見えるものも我々が思うよりずっとコンテンポラリーなもので、それはその元の思想から外れてきているわけではなくて、元々我々が思うよりずっと実用的なものなのだから。
面白いのはこうした東洋思想を取り入れ始めた欧米人についてもこれを実用的なものとして"利用している"ことだ。その意味においてその捉え方は1周回って似たところに落ち着いたとも言える。
宗教やそれに近い思想を元にしたいろいろな物事を神秘と捉え、そこに真理を見ようとするのは我々日本人がそうした考え方をすっ飛ばした後にそれを見るからであるし、そこにいる人たちと人間と人間として付き合ってから見るのではないからだろう。
アジアの神秘は本当は実用なのだ。
あるインド系の不動産ブローカーは宗教は何だと言わずに「私は唯一神を信じている」と言う。彼の考えはキリスト教とイスラム教の間にあって、神が唯一なら何教であるかどうかではなく神と自分の関係だけが重要なのだと言う。
中国系の家ではその人がどんなにハイカラな服装をしていて今風な仕事についていてもたいがい家には大きめの祭壇のようなものを置いている。
話を聞けば聞くほど今この社会の見た目とその中身が違ったもののように見えてくる。けれどもそれがこちらの勝手な思い込みから来るものだと言うのもよくわかる。以前のインドネシアでもそれは経験している。宗教もその他の神秘に見えるものも我々が思うよりずっとコンテンポラリーなもので、それはその元の思想から外れてきているわけではなくて、元々我々が思うよりずっと実用的なものなのだから。
面白いのはこうした東洋思想を取り入れ始めた欧米人についてもこれを実用的なものとして"利用している"ことだ。その意味においてその捉え方は1周回って似たところに落ち着いたとも言える。
宗教やそれに近い思想を元にしたいろいろな物事を神秘と捉え、そこに真理を見ようとするのは我々日本人がそうした考え方をすっ飛ばした後にそれを見るからであるし、そこにいる人たちと人間と人間として付き合ってから見るのではないからだろう。
アジアの神秘は本当は実用なのだ。
ヒンドウー教徒の活字が出ていくしたのでおうかがいいたしました。
日本の片田舎ですが、数年前にインド国のヒンドウーの神々等とご縁たまわりました。
この世界では考えられないことですが、それ以来神仏等がテレビの映像のように御拝謁たまわつています。
若し ヒンドウー教を崇敬されます方々とお話する機会がありましたら、日本にヒンドウー教の神々等の鎮座していますことをお話いただけましたらとおもいます。