見出し画像

もんく [とある南端港街の住人になった人]

働き方って、果たして革命できるのか?

働き方革命と言う言葉、最近日本で流行っているのかもしれない。

「かもしれない」のは自分がマレーシアなんかにいて偏っていると思われる情報を元にそう感じているから。海外にいてズレてしまうのはいつもそう言う事で、ネットのニュース記事がいつも日本の話題の中心を捉えていると勝手に思い込んでしまうのがいけない。それにsnsなんか正にそうだ。

前回の選挙では自民党もしかして与党じゃなくなるのかな?とさへ感じないでもなかったし。


それで働き方の話だけれど、何か、残業とかの件で海外の国では、特に先進国では残業なんか全くと言って良いほどしないし、するとその上司の評価に関わるとか。逆に日本ではずっと以前から残業する人の方が高評価、逆に効率が悪いとも。

そう言う事で日本の働き方をその点において批判するのがけっこう一般的になっているように見える。snsでは特にそう。日本は遅れていると。


言っている意味、よくわかる。残業ばかりしてないで家に帰って家の事するとか、単にリラックスしたり趣味の事をやる方が良いと思う。明るいうちに外で何かしても良いし。


でも、でも、何だかちょっと変だとも思う。残業する、しないと言う事に関して。

結局、どっちも時間で給料もらうのを肯定している人の意見なのだ。


もちろん世の中の多くの地域でホワイトカラーだって勤務時間と言うのに縛られているわけだから、現実的な意見だと思う。間違ってない。

でも、残業って事を話題にするなら雇う側も雇われる側も同じ線の上での議論をしていると言う事になる。時間をお金に換えていると言う意味で。


なのであまり議論として面白くない。革命と言うほど革命って感じがしない。どっちかと言うと「調整」とか「交渉」って事に落ち着きそうな気がする。それにこの同じ考えの上に乗って話をしているとサービス残業が増えるとかつまらない制度上の不具合などが細かく細かく出てきてまだ議論を混迷に落とし入れるとも思われるし、結局何も進まないで何も変わらずみんな忘れてしまうかもしれない。(クールビズとかのように。)



そもそも、時間をカウントする自体止めたらどうなんだろう? ホワイトカラーの場合、勤務時間と言ようなのを無しにしては? 時間カウントは駐車場の枠線と同じだと思う。駐車場には車1台分の枠が白とか黄色の線でいくつもブロックを並べたように描いてある。誰も何も言わなくてもほとんどの人がその枠の中に車を停めようとする。

勤務時間を言わなくてもタイムカードがあるとそれ自体が駐車場の枠線と同じ事になって、誰も何も言わなくても始業時刻に来る。終業も同じ。その意味でカレンダーの赤とか青の文字や印も同じ。

人はそう言ったものに拘束されると言うより、拘束される楽さを望む。道路の白線に従って運転するのはそれが安全だからなのか?それとも自分で考えるのを止めたいからなのか?
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「マレーシアでニャー2017」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事