もんく [とある南端港街の住人になった人]

映画「THE LIMITS OF CONTROL 」 -これは我々にとっての希望か?

普通にストーリーを追っての謎解きを許さない映画だ。変わった映画だし、変な映画に違いない。

タイトル(リミッツ・オブ・コントロール)が示す通り製作者は映画が見る者にどう解釈されるかと言うような、他の映画では基本であり芯となるはずの表現方法すらコントロールしようとしていない。

だからと言って本当に何も目的が無いと言う事ではなくて、きちんとしたメッセージが込められていると言う事はわかる。ただ、それが他の映画ではストーリーの整合性やディテールの合理性によって表現されいているのとは違って、作品全体の"あり方"によって表現されているのである。

ストーリーを追いながら見ているとオムニバス映画かと思うほど独立して無関係そうな登場人物が各々に好き勝手な言葉を話すのに当惑させられる。個々は物理学で言う分子のようにそこに居てスピンし続けているがそれながら電子を受け渡すようにメッセージを伝えている。個々に独自でありながら関連がある。そう言う方法で繋がっている。

マクロ的に見ればそれらは単にそこに存在する塊状の物質であって、切ったり貼ったり何らかの操作が可能な物なのであるがミクロ的にはそれは幻想なのかも知れない。ナイフのエッジは何かを切るためにシャープに研がれる事は可能だけれどもその先端の金属の一粒を我々は本当にコントロールしていると言えるのだろうか。

人は理想に向かって進歩し続けるように見えるがこうして今日の幸せや一瞬の安堵のためだけに生きていると言うのが本当ではないのか。


映画にもまだこんな方法論が残されていたのかと言う驚きは一種の希望なのかも知れない。本当に変な映画である。
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