
何を隠そう、隠さないが、
自分はけっこう年齢が高い。
昔で言うならほとんどジジイだ。
江戸時代なだもうほとんど死期に近い。
先日、知り合いの子供(幼稚園)におじいちゃんと呼ばれて
ちゃんとおじいちゃんデビューした。
この世代、ゆでガエルと言われるらしい。
スイスイと水の中を陽気に泳いでいるつもりでいたら
気付かないうちに水がお湯になっていて....
が、気付かないうちにゆでガエルになっていたと言うのは
自分としては羨ましい。
歳行ったらボケた者勝ちと言うではないか。
茹ったカエル勝ちだ。
後の事は知らん。
だって死んでるのを知らないまま死ねたのだから。
シックス・センスの主人公みたいにずっと後で気付けば良いのだ。
その頃には本当に死んでいて、ああそうだったのか、チャンチャン。
だけれども、半茹での状態で気付いてしまったらちょっと不幸だ。
茹るまでのあとほんの少しの時間、やる事がある。
それもけっこうハードだとしたら。
いや、そう言う仕事はハードに決まっている。
何をせねばならないかと言うと、
これからはまだ茹ってない後進のカエルたちに
いろいろちょっとした事、面倒な事を教えないといけないのだ。
その仕事、何が面倒かと言うと、
まだ茹っていないカエルたちは自分たちにはそんな事関係ないとか
自分たちはもっと新しい知識が既にあってそんなの古いとか
そう言う事を思い込んでしまっている事。
でも、それは茹ってしまったカエルの自分たちも同じように
思ってやって来た事だ。
でも、後になってわかる。
全ての事は時間軸の上にあり、
新しい物事や知識も過去の知識の延長に過ぎないと言う事。
学習は理数系の科目であっても全て歴史を学んでいるに過ぎない。
そしてまだ教科書になっていない知識は、
これまた面倒臭い事に人の中にだけあったりする。
教科書になるにはちょっと時間がかかるのだ。
と、まあ、ダラダラ前置きが長くなってしまったが、
今の自分の仕事の多くの部分、多分60%は人作りになっていると思っている。
これ、マレーシアでやると言うのは日本に比べてもかなり大変だ。
なぜなら何も共通の認識や知識が無いと言って良いからだ。
彼ら、一応算数でも理科でも工学的な事でも習っているらしい。
が、求める(仕事に役立つ)レベルにはほど遠い。
(と、この事はいつも書いているのでここで詳しくは書かない。)
ただ、ある程度以上何かが出来なくては困る。
永久に誰かがああしろ、こうしろと子供とか犬のように
命令しているわけにはいかない。
何しろこっちは死にかけているのだから。
写真に書いたのは大野誠夫さんのクリスマスの歌のパロディ。
調べてみてください。
自分はけっこう年齢が高い。
昔で言うならほとんどジジイだ。
江戸時代なだもうほとんど死期に近い。
先日、知り合いの子供(幼稚園)におじいちゃんと呼ばれて
ちゃんとおじいちゃんデビューした。
この世代、ゆでガエルと言われるらしい。
スイスイと水の中を陽気に泳いでいるつもりでいたら
気付かないうちに水がお湯になっていて....
が、気付かないうちにゆでガエルになっていたと言うのは
自分としては羨ましい。
歳行ったらボケた者勝ちと言うではないか。
茹ったカエル勝ちだ。
後の事は知らん。
だって死んでるのを知らないまま死ねたのだから。
シックス・センスの主人公みたいにずっと後で気付けば良いのだ。
その頃には本当に死んでいて、ああそうだったのか、チャンチャン。
だけれども、半茹での状態で気付いてしまったらちょっと不幸だ。
茹るまでのあとほんの少しの時間、やる事がある。
それもけっこうハードだとしたら。
いや、そう言う仕事はハードに決まっている。
何をせねばならないかと言うと、
これからはまだ茹ってない後進のカエルたちに
いろいろちょっとした事、面倒な事を教えないといけないのだ。
その仕事、何が面倒かと言うと、
まだ茹っていないカエルたちは自分たちにはそんな事関係ないとか
自分たちはもっと新しい知識が既にあってそんなの古いとか
そう言う事を思い込んでしまっている事。
でも、それは茹ってしまったカエルの自分たちも同じように
思ってやって来た事だ。
でも、後になってわかる。
全ての事は時間軸の上にあり、
新しい物事や知識も過去の知識の延長に過ぎないと言う事。
学習は理数系の科目であっても全て歴史を学んでいるに過ぎない。
そしてまだ教科書になっていない知識は、
これまた面倒臭い事に人の中にだけあったりする。
教科書になるにはちょっと時間がかかるのだ。
と、まあ、ダラダラ前置きが長くなってしまったが、
今の自分の仕事の多くの部分、多分60%は人作りになっていると思っている。
これ、マレーシアでやると言うのは日本に比べてもかなり大変だ。
なぜなら何も共通の認識や知識が無いと言って良いからだ。
彼ら、一応算数でも理科でも工学的な事でも習っているらしい。
が、求める(仕事に役立つ)レベルにはほど遠い。
(と、この事はいつも書いているのでここで詳しくは書かない。)
ただ、ある程度以上何かが出来なくては困る。
永久に誰かがああしろ、こうしろと子供とか犬のように
命令しているわけにはいかない。
何しろこっちは死にかけているのだから。
写真に書いたのは大野誠夫さんのクリスマスの歌のパロディ。
調べてみてください。
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