あらゆる争いや暴力をこの世から無くすにはどうすべきか?
この手の問いに対して、ああすべき、こうすべきと言う「べき論」はこれまでも多くあったのだけれど、結局はその議論は今も続いている。つまり「べき論」では争いや暴力は無くせないと言う事だ。
この映画の主人公がとった方法は「自らの武器を捨てる」と言う最も単純な方法。
自ら武器を捨てる事は「敵を信頼する」と言う事。
「敵」と「信頼」は相反する意味を含む言葉だ。
けれど、これができなければ誰かの血が永遠に流れ続ける。
戦う事が愛する人を守るのか、戦いを放棄するのがその目的にかなうのか?
どちらなのだろう。
映画としては多分ラブストーリーと言う設定。ロミオとジュリエットだろう。それでも良いだろうが、もしそうなら2人の愛が既に始まった後のところから映画が始まるので「この2人はどう知り合って何に惹かれ合ったのかなあ?」なんて余計な事が気になって欲求不満がたまるかも知れない。
愛に対する争いの部分に焦点を当てるなら、アクションが香港映画のように綺麗過ぎて否定したいところの暴力行為が美化されかねない、と、良くできているが故のちょっとした危うさも気になる。
でもまあ、日本映画もどこかの映画に見習うとこは見習って良く出来ました、と言ってあげても良いものになっていると思う。パチパチパチ。
(結果:よくできました。)
この手の問いに対して、ああすべき、こうすべきと言う「べき論」はこれまでも多くあったのだけれど、結局はその議論は今も続いている。つまり「べき論」では争いや暴力は無くせないと言う事だ。
この映画の主人公がとった方法は「自らの武器を捨てる」と言う最も単純な方法。
自ら武器を捨てる事は「敵を信頼する」と言う事。
「敵」と「信頼」は相反する意味を含む言葉だ。
けれど、これができなければ誰かの血が永遠に流れ続ける。
戦う事が愛する人を守るのか、戦いを放棄するのがその目的にかなうのか?
どちらなのだろう。
映画としては多分ラブストーリーと言う設定。ロミオとジュリエットだろう。それでも良いだろうが、もしそうなら2人の愛が既に始まった後のところから映画が始まるので「この2人はどう知り合って何に惹かれ合ったのかなあ?」なんて余計な事が気になって欲求不満がたまるかも知れない。
愛に対する争いの部分に焦点を当てるなら、アクションが香港映画のように綺麗過ぎて否定したいところの暴力行為が美化されかねない、と、良くできているが故のちょっとした危うさも気になる。
でもまあ、日本映画もどこかの映画に見習うとこは見習って良く出来ました、と言ってあげても良いものになっていると思う。パチパチパチ。
(結果:よくできました。)
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