なぜiPhoneもiPadも中国で作られるのか? 実は他国では製造しにくい意外な現実も... - GIZMODO(←クリック)
最近Appleが一部製品の製造をアメリカに持っていくと言う話があったばかりだが、上の記事によれば製造に関わるマネージャークラスの人材を中国では調達できてもアメリカではできなくなっているとの事。アメリカは実際に物を作る事をあきらめてビジネスを作ることに注力して久しい。一度手放してしまえば元あったものとは言え取り戻すことは至難だろう。
日本はどうかと言えば、いろいろな事情でアメリカの後を追っているのは明白だ。このマレーシアにも日本企業が多く工場を構えている。どの工場もそこに働く日本人はわずかで工場の生産工程をコントロールするのはマレーシアの人達だ。そうした場合にどんな事が起きているかと言うと、日本の技術者が実際の製造現場や実際の量産品について考慮した上でのアドバイスも設計も出来なくなってきているのだ。こうした事が本当に深刻な事態を招くことは多々ある。原理的にできる、設計上できると言うような事と工場で何が起こるかは全く別の事だと言う実感の無さが作っても損するだけ、製造現場への不理解となって現れる。
(製造業の売上高経常利益率は通常5~7%しかない。そのため想定よりちょっと歩留まりが悪いだけですぐに赤字になってしまう。資料(←クリック))
マレーシアの工場にいて感じるのは、マレーシアの大学進学率がかなり良くなっており、その上よく勉強している若者が多い。日本の大学卒業生よりもマレーシアの大学卒業生の方が優秀かもしれないと思うほどだ。マレーシアの場合は大学卒でエンジニアなどの職種で就職すると最初からある程度一人前の仕事ができなくてはならないし給料も最初から高い。それが彼らにプレッシャーを与えているのかもしれないとも感じる。
そうした人達が毎年多く出てくるとなれば確かに途上国であっても以前の状況とは違うとかんがえなければならないだろう。何しろ日本で大学を卒業しても求められるのはバカで従順な事だけ、専門性は逆にあまり発揮しない方が身の為のようになっているのだ。
ただ、マレーシアには無くて日本にある大切なものもあると認めなければならない。
それは早くから製造業で食ってきた"経験"だ。いくら大学でよく勉強していっぱしの仕事ができるにしても彼らには先輩がいない。従って書籍に記されていないノウハウのようなものが無い。だから優秀な人が集まっても最終的に上手くいくには数倍の時間がかかる。気づけばいつまで経っても解決せずに放って置かれることも多々あるのも現実だ。
その部分はどう考えても日本にアドバンテージがあるが、悪い事に日本はそれを当たり前と思い続けていて明文化して継承する事に意外と熱心ではない。そうした部分はアメリカなどと大きく違っているし、どう見ても単一民族だけで生きてきたディスアドバンテージだろう。団塊世代やそれ以前の人たちが一線に居なくなり、工場は海外に出るに従って本当の強みを捨ててしまうと言う懸念があるのだ。
だんだんと中国なりマレーシアなりに経験がついてくると、そして日本が下手をすると世界に日本の居場所が無くなってしまうかもしれない。
最近Appleが一部製品の製造をアメリカに持っていくと言う話があったばかりだが、上の記事によれば製造に関わるマネージャークラスの人材を中国では調達できてもアメリカではできなくなっているとの事。アメリカは実際に物を作る事をあきらめてビジネスを作ることに注力して久しい。一度手放してしまえば元あったものとは言え取り戻すことは至難だろう。
日本はどうかと言えば、いろいろな事情でアメリカの後を追っているのは明白だ。このマレーシアにも日本企業が多く工場を構えている。どの工場もそこに働く日本人はわずかで工場の生産工程をコントロールするのはマレーシアの人達だ。そうした場合にどんな事が起きているかと言うと、日本の技術者が実際の製造現場や実際の量産品について考慮した上でのアドバイスも設計も出来なくなってきているのだ。こうした事が本当に深刻な事態を招くことは多々ある。原理的にできる、設計上できると言うような事と工場で何が起こるかは全く別の事だと言う実感の無さが作っても損するだけ、製造現場への不理解となって現れる。
(製造業の売上高経常利益率は通常5~7%しかない。そのため想定よりちょっと歩留まりが悪いだけですぐに赤字になってしまう。資料(←クリック))
マレーシアの工場にいて感じるのは、マレーシアの大学進学率がかなり良くなっており、その上よく勉強している若者が多い。日本の大学卒業生よりもマレーシアの大学卒業生の方が優秀かもしれないと思うほどだ。マレーシアの場合は大学卒でエンジニアなどの職種で就職すると最初からある程度一人前の仕事ができなくてはならないし給料も最初から高い。それが彼らにプレッシャーを与えているのかもしれないとも感じる。
そうした人達が毎年多く出てくるとなれば確かに途上国であっても以前の状況とは違うとかんがえなければならないだろう。何しろ日本で大学を卒業しても求められるのはバカで従順な事だけ、専門性は逆にあまり発揮しない方が身の為のようになっているのだ。
ただ、マレーシアには無くて日本にある大切なものもあると認めなければならない。
それは早くから製造業で食ってきた"経験"だ。いくら大学でよく勉強していっぱしの仕事ができるにしても彼らには先輩がいない。従って書籍に記されていないノウハウのようなものが無い。だから優秀な人が集まっても最終的に上手くいくには数倍の時間がかかる。気づけばいつまで経っても解決せずに放って置かれることも多々あるのも現実だ。
その部分はどう考えても日本にアドバンテージがあるが、悪い事に日本はそれを当たり前と思い続けていて明文化して継承する事に意外と熱心ではない。そうした部分はアメリカなどと大きく違っているし、どう見ても単一民族だけで生きてきたディスアドバンテージだろう。団塊世代やそれ以前の人たちが一線に居なくなり、工場は海外に出るに従って本当の強みを捨ててしまうと言う懸念があるのだ。
だんだんと中国なりマレーシアなりに経験がついてくると、そして日本が下手をすると世界に日本の居場所が無くなってしまうかもしれない。
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