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もんく [とある南端港街の住人になった人]

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映画「The Passion of the Christ」 - たった1人でも

2007-06-20 11:49:17 | 映画って !
この映画の内容が聖書と同じであるのか、それとも新しい解釈が多く入っているものなのか私には全くわからなかった。それは仕方ない事としてあきらめようと思う。しかし、ここであきらめてしまうとこの映画の本筋もストーリーもつまらないものになってしまう。製作の意図は汲取れないはずだから。結局「だから何?」「自己犠牲がもっとも尊い行い」だと...その程度じゃ「コンスタンティン」見てれば良いわけで、キリストまで2000年も遡る必要なんて全く無いのだから。ここでお手上げなのである。


それはそうと、映画の趣旨とは全く関係ない事がだんぜん気になっている。
キリストが磔(はりつけ)にされる時にほとんどのユダヤ人はそれに賛成した。映画では、これはユダヤ人が悪いと言う事ではない。悪魔にそそのかされたようなニュアンスで描かれていたし、その悪魔にキリストさえも自分の運命に対する恐怖の心を持たされるわけであるから。

こう言う構造は現在の社会にも普通にある事だ。(映画はその舞台背景が異なった時代であっても現在の観客のためにあるのだから、異なった時代の中に現在を映し出すのは当たり前といえば当たり前なのだけれど。)多くの人々が何かを信じている、信念に従って信じていると言うよりは妄信している状態のこと。そちなに向かって制御不能な状態で進んでいってしまう状態。「XXXを食べると健康に良い」から皆そればっかり食べるようになる。「xxxは間違っている」ならば皆で石を投げる。

そそのかす悪魔の正体は何か。正体のわからない何か、誰かが場の雰囲気をある方向に導いているのだろう。それはマスコミであったりカリスマであったりいろいろなものに形を変えて存在するだろう。

そういった中で一人、真実(本当に真実であうるかどうかは時間が経過してみないとわからないのだろうが)を、少なくとも異を唱えることは簡単なことではない。だからどうすべきか、なんて言えもしないが。


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