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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

心配するところが違うんだよね

2011-05-11 21:40:55 | 2年目のマレーシア
先日、とてもとても久しぶりに母に電話をかけてみた。

キャサリンさんがかけてやれと言うので仕方なくかけた。考えたら自分から電話をかけたことはほとんど無いかもしれない。キャサリンさんは親子してよく電話をしているから対照的だ。


そう言えば、携帯電話の料金プランに家族どうしで電話をするのがお得になる割引と言うのがあるらしい。長い事どうしてそんな料金プランがあるのかわからなかった。きっと最近は中学生位の独立していない子供でも携帯電話を持つようになってきた、と言うよりそうさせて契約数を多くするためにあるのだろうな、と思っていた。しかしながら、どうも子供だけじゃないらしいと最近気付いた。

ちょっとびっくりする。自分ではそう言う、つまり親子で電話で会話したり連絡するために電話を使うなんてアイデアが通常の生活の中に無かったからだ。しかも料金プランと言うのがあるからにはかなり頻繁にそう言う事をするのだろうから不思議だ。自分には親と子って言うものは歳がいくにつれて話すこともだんだんと無くなってくるものだ、と普通に思っていたのだ。


と、まあ、そんな事を考えてしまう位に母に電話などしないのだ。

それで母がしばらくぶりなので何を言うかと思えば、これもびっくりする位に昔っぽい事を言う。
「そっちでは英語とかマレーシアの言葉で話してるの?」 そりゃそうだ。少しの日本人より大多数のマレーシア人と話さなければ仕事などできるわけがない。そうだと言うと。「すごいね」などとわけの分からない事を言い出す。21世紀に携帯電話を使ってジョン万次郎と話しているつもりなのかと疑う。

キャサリンさんはどうしているのかと言う。"どうしているか"と言う質問は元気なのかではなくて、買い物に行ったりした時に言葉はどうしているかと言う質問だった。そんな事を聞かれても近所のスーパー・マーケットに行って世界経済の問題を議論してからでなくてはお菓子が買えないと言うことはないのだから答えにくい質問だ。特に話せるわけではないが、キャサリンさんはテキトーになんとなく生きている。毎日言葉で困ったとは言っていない。結局それはできるできないの問題じゃなくて、やるかやらないかだけの事なのだと親切に教えておいたが、きっとわからないだろう。仕方ない。


マレーシアには特にちゃんと教育を受けていない風の外国人がたくさん来ていて仕事もしているし住んでもいる。それは極端な言い方かもしれないけれど、言葉の問題はどっちでも良くて、大人は後から考えれば良いのだ。(子供は勉強する時間があればすれば良い。)言葉を今からべんきょうして"おはよう"なんて言ってても時間の無駄でそれより何を言うかの中身が大事。

それに、前の記事などを見てもらうとわかるようにみんな日本のこと、日本人のことを気遣ってくれる。マレーシアでなくとも世界にはそう言う国や場所がたくさんある。今までテレビで見た事はあってもその国の人と実際に話した事がないと言うことは多々あってよく相手のことがわからないけれど、この震災でそんな人達が心配してくれたり援助してくれたりしている。

そう思えば言葉が分からないって事は、まず第一の障害にはならないのじゃないだろうか。心配するところが違っているよね。