古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

笑える笑っちゃう話その1/3

2009-11-10 23:40:00 | 日記
その19 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ

2009年11月5日(木)

笑える笑っちゃう話と笑えない笑っちゃう話に続けて遭遇した。

笑える笑っちゃう話序章。(真面目な話序章)

先日、宿に元気で可愛い韓国娘がやってきた。韓国の純愛ドラマに出てくる様な可愛い子だ。「アンニョンハセヨ」しか知らない還暦おじさんは「アガシ」が眩しくて仕方が無い。

アガシが来た次の日に、トラベルデスクの若者が小生にこう言った。
「A嬢も、貴方が申し込んだ同じツアーに申し込まれました。」と
還暦おじさんは舞い上がってしまった。え!!!A嬢と二人で一緒に、二週間も旅行が出来る。まさか二人だけではないのに、もうすでに二人でチベットを旅行している妄想に駆られている。

大変だ、ハングルを覚えなければならない。彼女とお話をしなければならない。言葉を掛けねばならない。ハングルの口説き文句を大至急調べなければならない。
そうだ、麗江の虎跳峡で出会った韓国の青年にメールを送って最新の韓国口説き情報を手に入れよう。まずは韓国青年にメールしよう。来春に結婚すると言っていた韓国青年の現実の口説き文句とその手法を教えてもらおう。

大至急勉強しよう。出発まではまだ時間がある。


2009年11月7日(土)

笑える笑っちゃう話1章

笑える笑っちゃう話は今日のお昼近くに、還暦背包族の一言で始まった。
宿のフロント前のロビーでダベッていた。
I君は今日の夜中の便で成田に帰るとのこと。
「そうすると、明日の今頃はお袋の作ってくれた美味い味噌汁が飲めるね、いいねえ。」
還暦のおじさんがやさしく言う。
晩御飯を食べてから、午後8時頃に空港へ向かうとの事。
「夜中の便というと何時ですかね。」冷たくおじさんは言う。「0時20分です。」
「本当の夜中だね、7日の夜中の0時20分ですか。」「はい、夜中の0時20分です。」
ほんの少しの時間が過ぎて、還暦のおじさんが更に更に冷たく冷たく言い放った。
「今、7日のお昼の12時ですよ。7日の0時20分はもう過ぎましたよ。」
ほんの少しの時間が過ぎて、
「え!!」I君はその意味が良く飲み込めない様子だ。
「7日の0時20分は7日の夜中の0時20分ではなく、6日の夜中の0時20分だけど。チケット持ってたら確認してみたら。」おじさんは、優しく、しかも冷たく言う。

旅行会社のスケジュール表を取り出して視ている。
顔面から血の気が引くのが解かった。呆然自失とは真にこの状態を言うのであろう。
「見せてごらん。」やさしく還暦のおじさんは言う。
「ほら、7日の12時には成田に着いている時間だよね。今の時間は7日の12時で貴方は成田に居なければならないんでないの。」やさしく還暦のおじさんは言う。

完全に血の気が引いた。パニクッている。まだ、何かが信じられずにいる。考えることを忘れた、そお言えば豆鉄砲をくらった鳩という言葉があるが、見たことは無いが多分、こんな顔を言うのではないだろうか。

ロビーでダベッていた旅行暦豊富な面々の意見は、大至急空港に行き、航空会社に泣きの涙で訴えて、今日の夜中の0時20分が7日の0時20分だと思っていたことを告げて、今日の便に潜り込ませて貰いなさいと。低姿勢で、自分に責任は有るが一寸した手違いなのでごめんなさいと。あくまで低姿勢で、航空会社の慈悲にすがるしか手は無いのだと涙を浮かべて頼み込みなさいと。励ましとも、皮肉とも取れる言葉が並ぶ。

意を決したそれからのI君の行動は早かった。10分後にはチェックアウトを済ませると、お礼もそこそこに宿を飛び出して行った。

12時間前に事実を知らせる方が良いのか、今日の夜に空港に着いてチェックインの時に空港職員から、この飛行機は24時間前に飛びたって行ったと告げられた方が良かったのか意見が分かれた。傍観者としては今、彼に事実を伝えた方が我々の喜びは大きいと。目の前でその事実を見られるという意見に落ち着いた。

その後何の連絡もないし、戻っても来ないところをみると、どうにか順調に事が進んだのかもしれない。

実はこれに似た経験を還暦背包族もしていたのだ。完全に先入観念に囚われて何の疑いも持たずに思い込んでいる事があったのだ。
7日の0時20分は6日の夜中を20分過ぎただけの時刻なのに、7日の夜中と勘違いしていたのだ。宿にも全く同じ経験をした人間がいた。
無さそうで、良くある話なので注意しなければならない。

今日も、0時20分過ぎに宿の上空をその同じ便の航空機が東へ飛び去って行くだろう。I君の複雑な表情を思い出しては酒の肴にしている自分が見える。
暫らくはこの時間の飛行機を見ると、ささやかな微笑をもってI君を思い出すだろう。

笑えない笑える話はまだ一人がその渦中にあるので、その結果も含めて書かねばならないので後日にしよう。深刻な話で、なお且つコミカルを伴う話だ。
笑える笑っちゃう話2章も後日にしよう

陳麻婆豆腐本店の豆腐

2009-11-09 11:02:08 | 日記
その18 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ

2009年11月3日(火)

文化の日にふさわしく、音楽漬けの一日を過ごす。
中国の音楽サイトから中国人歌手、日本人歌手の歌をダウンロードした。当然タダで、自分用のアルバムを作る。耳と目がチカチカする。

2009年11月4日(水)

陳麻婆豆腐本店に行ってきた。
麻婆豆腐と普通の中華4品の5品を食してきた。麻婆豆腐以外の中華はまあまあ普通の中華料理店と同じと言っておこう。特別美味いとかではない。
肝心の麻婆豆腐も特別美味いとかでもない。ただ日本の麻婆豆腐と違うのは花椒と山椒の辛さが多いというぐらいで、それが美味という訳ではない。
ハッキリ言ってがっかりした。
どちらかと言えば麻婆豆腐の豆腐が生で、もう少し湯通しした方が良いのではないかと思ってしまう。豆乳が固化していないような触感の絹ごし豆腐とでもいった方が良いような味と感じだ。下処理がしっかりしていないというのが食べた正直な答えだ。
本家はこれが麻婆豆腐の味と触感だと言えばそれまでだが、特に豆腐が問題だ。日本の豆腐に慣れているからか、本店の豆腐には感心しない。豆腐屋に作らせているのであれば、尚更何をかいわんやだ。

麻婆豆腐以外は普通の中華料理店の味でまあまあだ。
麻婆豆腐の本家なら豆腐も出来上がりも全てに満足させるもので無ければ成らないと思う。
変わらない味であればなおさら腕に磨きを掛けなければならない。現代の人間の感覚に合わせて食も進化しなければならない。

中国にしては珍しく、庶民の食の歴史を感じさせる麻婆豆腐だけに、この体たらくは残念だ。それとも期待のし過ぎなのだろうか。

店はそれでも結構繁盛している。調理人も十人以上は居るようだ。

ブランド 恐るべし。

再び成都の空

2009-11-07 00:16:44 | 日記
その17 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ

2009年11月1日(日)

久しぶりの太陽に吼えた。八日ぶりに太陽を見た。
成都の確率として、大体こんなモノなのかも知れない。40日で5日目だから、一週間で一度太陽に会えれば良しとする他ない。
天気に駆り出されて、黄龍渓に行こうとして宿を10時に出る。しかしながらBut If!蜀の住民も同じ考えなのか今日の人出は尋常ではない。その黄龍渓行きのバス乗り場には何とウン百人が行列を作っている。あの中国人が行列をして待っている。15分に一台くらいの割合で30人乗りのミニバスが来る。直ぐに客を乗せて出発するが、待っている客の数は一向に減らない。
少なくとも一時間は待っていなければならないようだ。直ぐに諦める。予定変更だ。ここら辺の決断の速さと、諦めのよさはさすが年季が入っている。また来れば良いのであって、如何しても今日でなければならない理由は無い。
さて如何する。何の当ても、予定もない。黄龍渓にしてもやっと重い腰を上げて出て来たのだから急な予定変更に対応するような所は無い。
高級デパートの伊勢丹で食料の買い物をして宿で沈殿だ。しかしこの天気がもったいない。
何処も込んでいるのなら、何処にも行けない。やはり沈殿だ。

太陽が出たら出たで問題だし、出なければ出ないで更に問題だ。蜀の都の天気は本当に困ったものだ。盆地の底に有るのでこんな天気なのだろうか。何時も霧が立ちこめて、気分的にも滅入ってしまう。すっきりした青空を見たことが無い。大して遠くも無いビルが霞んで見える。
季節風か強力な台風でこの霧を追い払ってもらいたい。蜀の人民に空は青いのだと教えてあげたい。きっとビックリするに違いない。あの空の青さを知らない蜀の人民は今日の薄ぼんやりした日を最高の晴天と思っている。

世界の正義を教えてあげたい。世界の青空を教えてあげたい。


2009年11月2日(月)

二日続けて蜀の犬が吼えた。初めての経験だ。
太陽が出たといってもほんの少し雲間から顔を出したにだけに過ぎないのだが、蜀の犬は吼えないわけには行かない。それ程珍しい。

それで、再び黄龍渓に行く事にした。

やはり期待に違わずにというか、予想通りというか見事にこれまでの他の観光地と同じく、街全体を古鎮風に改造した一大テーマパークの代物だった。本来の古鎮の風情は無い。歴史が滲み出るような重厚さは無い。張りぼてのセットのようだ。
それでも中国人の観光客は満足しているようだ。遊園地で無邪気に遊ぶ子供の如くうきうきして騒いでいる。そして何処でも同じなのだが、レンタルの民族衣装や古代の衣装、ウエデングドレスを着て古鎮のセットを背景に写真を撮っている。
我々に薦められても、日本人には中国の少数民族風情に関する知識も無ければその服装にそれほどの興味も無い。色鮮やかで派手派手しているのは余りにも恥ずかしすぎる。
そんな訳でテーマパークの見世物には感動しない。

観光地の古鎮では無く本物を見たかったら、手間隙かけて山奥に行くしかない。今の中国経済の現状では、まだまだ本物の古鎮が山奥にゴロゴロ有るに違いない。
自分の足で探すしかない。

中国の交通事情

2009-11-06 01:33:45 | 日記
その16 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ

2009年10月26日(月)

中国の交通事情について少し所見と注意事項を書いてみよう。

昆明や成都のような省都クラスの道路についても、先に書いたように、歩道には人間、猿、小猿、犬、牛、猫の類の排泄物がゴロゴロ転がっているので、細心の注意と神経を注いで歩るかなければならない。ただそれらに遭遇しても、医者や警察の世話にならなくても良いが、車やバイクの場合はそうはいかない。
中国は右側通行なので最初はちょっと戸惑うかもしれないが、直ぐに慣れるはずだ。それよりも日本と根本的に違うのは、人間優先という考えが無いことだ。人よりもバイク、バイクよりも車の方が強い。人と車では決して勝負をしてはいけない。躯体からして対抗できる造りにはなっていない。そして人間優先という考えは少しも無いので、強いもの勝ち、早いもの勝ちの原則で行動するからだ。
更に、中国では右折が常にOKだから、横断歩道の青信号でも歩行中の人間の列に車が突入してくる。当然、躯体の構造の違う人間は対抗出来ないので、端に追いやられる。横断歩道の人間を蹴散らせて車が通る。
人間はコソコソと車の間を横断するしかないのだ。

走行している車は1mの車間距離があれば割り込むのに必要十分な距離だ。右折左折の走路変更も瞬間の判断でサッと移行すればよい。後で申し訳程度に右折、左折のシグナルを出せばよい。決して譲り合いの心や相手を思いやってはいけない、1mも進めなくなってしまうこと請け合いだ。そしてそんな車が渋滞の原因になりかねない。流れに沿って自分を主張してガンガン突っ込んで行かなければならない。右折、左折する時に躊躇していてはいけない。度胸と決断で一気に突っ込まなければならない。
人間も同様にガンガン自己主張しなければ誰も認めてはくれない。もし、横断歩道で誰か止ってくれる車を待っていたら一日以上立っていなければならないのは確実だ。間違いない。
俺はこの道を渡るのだと硬く心に刻み、意を決して車に立ち向かわなければ絶対に横断歩道は渡れない。間違いない。
有力なもう一つの方法は、横断歩道を渡っている人を盾にしてその恩恵を受けることだ。要するに、赤信号だろうと人民が渡っている時にその中に包まれて、人民を盾にして渡るのだ。
やっと最近になって、一人でも横断歩道が渡れるようになった。より人民に近づけた証拠だ。やっと中国の道を普通に歩けるようになった。かなりの進歩だ。
中国には人間のぬいぐるみを着た猿と、猿が人間に化けた人間がいるのだから。

スピードに関しては更に言うに及ばない。そもそも、公共の交通機関であるバスのスピードメーターでさえもその殆んどは壊れて機能しない。ゆえに正確なスピードは解からない。
ただ、今までの感覚からは普通の道路でも混んでさえいなければ平気で100k/h位は出す。現実的には街中では渋滞でそんな機会はめったに無いが、郊外への路線では空中分解しそうなバスがぶっ飛ぶ。凸凹の道、そして急ブレーキに人民どもは一向に驚かない。

バスの運転手はサーキットの競争のごとく行動して振舞う。今日のチャンピオンは俺だと言わんばかりにスピードを競う。同じ会社の同じ路線のバス同士でも一刻を争ってその腕を競い合う。
確かに、F1クラスの実力はあると認定しなければならないだろう。
還暦背包族も大型車も運転できる国際運転免許証を持参したが到底かなわない。足元にも及ばない。完全脱帽だ。

たった一つ勝てそうなのが、長距離バスには必ず乗っているバス酔い客だ。ひとバスに必ず三四人はいる。完全に死んでいる乗客もいる。ゲロを吐き顔面蒼白でこの世の終わりを見ている乗客もいる。漢民族、チベッタン、その他の少数民族にかかわらずバスのような文明の利器に弱いようだ。乗車すると直ぐにビニール袋を配るくらいだから、日常茶飯事のことに違いない。これには勝てる。

あの元気すぎる民族に勝てるのだ。長距離バスは我々の天国だ。ザマ見ろと大声で叫びたい、歓喜の雄叫びを上げたくなる。ささやかな喜びに浸ることが出来る数少ない瞬間だ。
車酔いの経験のある人には申し訳ないが、そうでない我々文明人にとっては非常に気持ちの良いことである。あのうるさい漢民族がチベッタンが苦しさに紛れてうめき声を上げるのを見るのは快感なのだ。ザマ見ろと、、、

やっと、漢族にチベッタンに勝てたと、、ささやかな還暦背包族の喜びだ。

九賽溝の水と、、、

2009-11-01 19:51:17 | 日記
その15 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ

2009年10月24日(土)

朝から九塞溝に行く。8時30分には入場するがもうかなりの混雑だ。

門標220元、観光車料90元の合計310元の破格の値段だ。軍人、傷病者、学生、老人等には50元の割引があるがそれにしても高い。
11月16日から翌3月31日までの淡季期間(冬季期間)は料金が半額以下になる。門票が80元に成り、観光車料も同じく80元になる。しかも、門票は二日間有効でたっぷりと見学することが出来る。多少の寒さを我慢すれば、人も少なく、冬景色も素晴らしい冬季期間に訪れた方が良いみたいだ。

それにしても物凄い数の人間だ。それに、百台以上のバスが引っ切り無しに往復して景観点へ観光客を運んでいるのに長蛇の列だ。待っている人がかなりいる。大型バスとミニバスが区間を分けて運転している。
ポイントポイントは本当に鈴なりの人だかりだ。人間を見ているのか風景を見ているのか悩んでしまう。そして、全員が立派なカメラを持った即席のカメラマンスタイルで闊歩している。
N社の小さなデジカメ一台の一番みすぼらしいのが還暦背包族だ。

天皇陛下の遊歩道のように立派に木道が整備してある。幅2mの木道は崖の中腹を、小川の上を、湿原の端っこを曲がりくねり、階段になり続いている。何十キロあるのだろうか。
そして、その木道に散った落ち葉を掃除している叔母さんがいる。二十人以上は見掛けた。少数民族の失業対策的な仕事のように見える。

風景は確かに素晴らしいが、余りの人間の数、管理された設備の数々、観光客輸送用の大量のバス、市内の倍はする料金の食堂、同じく市内の倍の値段を取る売店、従業員の数等に圧倒される。

日本で言えば、ゴールデンウィークの観光地の混雑が1年間続いているような感じだ。数万人の観光客が入場し、数千人の従業員が働いている大企業が運営している一大イヴェントの感がする。

何事にも体制に烏合しない還暦背包族は気分が悪い。人の居ない裏道を廻る。探せば少しはある。しかし、長かったり、あるいはたいした景色でない所が多いのは止むを得ない。そんな所で一人のんびりする。こんな九賽溝も有るよと言いたい。
よって九賽溝の感想は他に譲ろうと思う。

写真だけでもアップしようと試みるが旨くいかない。