古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

古稀のエベレスト街道 Kathmandu雑感

2018-03-17 20:57:40 | 旅行

KALA BAIRAV(Kathmandu Durbar Square)

KUMARI BAHAL(クマリの館)(Durbar 広場)

JAGANNATH MANDIR(Durbar広場)

地震の補強櫓(Durbar広場)

2017年11月13日(月)
退散だ、撤退だ。
そんな気持ちのKathmandu帰還だ。
10月26日にLuklaに入り昨日まで18日間のEverest街道の旅は終了しました。

Everest街道の旅の効用は以下のとおり。
第一に体重が8~10kg減った。
70kg台が60kg台になった。
ズボンのベルト穴が二つ内側に移動した。
下手な減量エクササイズよりはるかに効果的だ。
食欲が無くて、カロリー不足なのに体力を使わなくてはならないのだから当然だ。
行動を支えてくれる程度の食事は何とか採るが、それ以上は身体が望まない。
朝はミルクティーに卵焼き、昼食、行動食はチョコレート、チーズ、飴、スナック、スポーツドリンク等で過ごす。
夕食には軽い一品を注文し、持参のインスタント味噌汁、チーズ、紅茶。
そんなのが毎日のメニューだ。

第二に体力、筋力が付いた。
完全なトレーニングだったことで、出発前よりも力強くなった。
今からなら、もっと快適なトレッキングが出来る。

第三は精神的な欲求不満、燃焼不足が増した。
勝手に想像していたイメージと余りにもかけ離れていた為に上記意識が生じた。

そんなことで、このままではネパールそのものを退散する気にはなれない。
新たなネパールの旅を探さねばならない。
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古稀のエベレスト街道 Kathmandu帰還

2018-03-12 22:22:37 | 旅行

TENZING HILLARY AIRPORT LUKLA

すれ違った多分Lukla行き飛行機

Kathmandu空港
2017年11月12日(日)
昨日、宿にチェックインすると同時に宿のオーナーに今日のフライトへの変更手続きをお願いした。
繁忙期の今は二三日ぐらい待機しなければと覚悟していたが、夕方宿に戻ると、オーナーがあっさりと、明朝8時に飛行場に行け、8時30分の便に変更できた、と言う。
小生の予約日はまだ三週間も後だが、一向にお構いなしだ。

30分前にチェックインで本当に大丈夫なんだろうか。
心配でオーナーに言われた時間よりも早くSITAのカウンターに行き、予約票を提示すると、後でと言われる。
8時30分になってやっとチェックインする。
ボーディングカードには日付も発時刻も何も印字してない。
便名だけがマジックで走り書きしてある。
何時の出発かと聞くと、多分9時だがまだカトマンズ空港を出発してないから、10時頃かなという返事だ。
ピストン輸送をしているのでそんなものかと諦めるが、荷物は預かってくれる。
待合室には百人以上の人間がいる。
昨日の抜きつ抜かれつした人が居たので、声をかけると同じ便名のボーデングカードを持っている。
Jiriまで歩くのは諦め、今日の便でKathmanduに戻るとのこと。
昨日購入できたという事は、どうも、SITAの増便のようだ。

何もする事が無いのでボーと駐機場を眺めていた。
SITA の飛行機が乗客を乗せている。
だが小生の乗る便はこの次かなと、ととと、小生のザックが手押し車に乗せられてその飛行機に積み込まれるではないか。
ええええ、俺の乗る便だ。
慌てて駐機場に駆け込むと小生が最後の乗客だった。
アナウンスも案内も何も無い。
自分で自分の便をチェックしなければならないようだ。
とにかく、最後に滑り込むとドアが閉められ直ぐに動き出した。
座席はコックピットのすぐ後ろの右側だ。
一番に並んで座りたかった場所だ。
右側はヒマラヤの山並みを眺められる。
エベレスト街道の旅の終わりだけはラッキーのようだ。
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古稀のエベレスト街道 再びLukla

2018-03-09 20:14:13 | 旅行

振り返ればエベレストの高峰は見えず、Gholaの集落のみ

桜に似た樹木

LuklaとJiriの分岐点、Luklaは近い

振り返ってLuklaのエベレスト街道入口、戻ってきました

宿からLuklaの街と裏山

Luklaの空港
2017年11月11日(土)
退散だ。
やっとこれで呪縛から逃れられる。
昔取った杵束では無いがひょんなことから今回のトレッキングになった訳ではあるが、

今年の7月にカイラスに行く積りで準備をしていた。
メンバーも6人程集まり、日程や費用について現地の旅行社と最後の打ち合わせも済み、契約をするだけの状態になっていたが、6月の初旬のある日、主力メンバーのS氏からメールが来た。
都合が悪くなり、参加できません。
程なくして、S氏に誘われていた他の数人のメンバーも参加しませんと。
先乗りで成都に来て、色々交渉してたのに、、
結局、このパーテーのカイラス3週間の旅はあえなく空中分解してしまった。
そんな時に知人のT氏がエベレスト写真の旅に行くことを耳にし、連絡したら一人旅だし一緒に行きましょうと言う事で決まった。
当然、目的も方法もまるっきり違うので、行けるとこまでは一緒に行きましょうという事で、成都で落ち合い、エベレスト街道の入口Luklaまできたが、数日でお互い単独行動することにした。
T氏は同じ所に、一週間も二週間も滞在し、目的の写真を撮ろうとするのだから、到底付き合いきれない。
小生は物見遊山だから、ブラブラと歩き回りたい。
結局、何時ものような気儘な一人旅になった訳だ。

今日は途中からヨーロッパの五十代くらいの人と、追いつ、追われつの行程だった。
彼は後ろから来てさっさと追い越していくが、程なく行くと、どっかりと腰を下ろして休憩している。
小生はそれを横目に先に行く。
また暫くすると先ほどの人がまた追い越していく。
Luklaに着いたのは小生の方が大部早かった。
宿のチェックインを済ませ、街をブラブラ散歩しているときに彼は来た。
そこで初めて口をきいた。
今日は何処までですか、
明日の飛行機に乗るか、ジリまで歩こうか考えてるんです。
もう、くたびれて飛行機で帰りたい気もするし、やっぱりジリまで歩きたい気持ちもあるし、
今日のペースを見ていたら、どうもジリまでは無理なくらい疲労しているように見受けられたが、
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古稀のエベレスト街道 Toktok

2018-03-04 23:41:29 | 旅行

Everest覗きからのEverest

Namuche大吊橋、上段が現在使用中、下段は旧

Monjo(2835m)

ネパール国歌を斉唱する宿の娘
2017年11月10日(金)
昨夜は荷物を預けている、行くときに泊まった宿に行くがひどい待遇だった。
夕食時にレストランに行くと、めっきり今日の客は少ない。
友人の紹介で、預かった写真や頼まれたお土産等を持って行ったが何の反応も無かった。
日本のそれなりの人間が大部宿泊する処らしく、色んな著名人とオーナーが写った写真が飾ってあった。
夕食にレストランに行ったがストーブに火が入ってないのでとても寒い。
オーナーの娘に火を焚いてくれと言ったが、今日は客が少ないのでストーブは焚きません、それに明日は予約で部屋が一杯ですから出て行ってくれと宣う。
おいおい、一人、二人でも客は客だが、、何の反応もない。
Freind Shipという、宿の名が泣くよ。
何処にもFrind Shipなどという気持ちがない宿だ。
退散だ。
よって今日は9時過ぎにチェックアウトし、最近開店した日本レストランに行き、不要の寝袋、防寒着、スパッツ、未使用の靴下、手袋、ETCを寄付する。
何のことは無い今日からはポーター無しで荷物を背負って下山するので荷を減らしたかっただけなのだが。
それでも十数Kgはきつい。
10時半過ぎにヨタヨタとNamucheを出発する。
とにかく、終わったのだ。
退散だ。
何の未練もない。
退散だ。
下りとはいえ、時々チョットした登りが有ると格段にスピードが落ちる。
それでも、休まずゆっくりと、1,2,3,1,2,3、と機械的に歩く。
何となく空気が濃くなってくるのを感じる。
15時過ぎにToktokという集落で今日の泊りとする。
三十数部屋あるロッジだが、客はたった一人。
12才の宿の娘がネパール国歌を歌ってくれる。
ロキシー(ネパール焼酎)が美味い。
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