古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

哈尓濱 古建築

2012-06-27 11:33:33 | 旅行
哈尓濱古建築

還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その163

6月20日(水)
哈尓濱には1920年代以降の建築が、市内の至る所に数多く残っている。
全て、当時の建築物の名と共に来歴が建物の入り口近くに表示してある。
戦前の20年代、30年代と華やかだった哈尓濱が偲ばれる。
中国東北地方では一大国際都市だったようだ。


フォトチャンネルと言うものを使ってみた。
三角印をクリックすると、スライドショーが見れる筈だ。

哈尓濱 金上京会寧府遺祉

2012-06-24 13:36:38 | 旅行

金上京歴史博物館(哈尓濱市阿城地区)

金太祖完顔阿骨打陵(哈尓濱市阿城地区)

金上京会寧府遺祉(哈尓濱市阿城地区)

還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その162
6月19日(火)
哈尓濱市阿城地区に行ってきた。
哈尓濱市の南東方向約35km、バスで約50分、7元也

金上京歴史博物館、金太祖完顔阿骨打陵、金上京会寧府遺祉等を見学してきた。
規模も小さく人気もまばらな歴史遺物だが、金太祖陵などはたった一人だった。
金上京会寧府遺祉は土塁らしき物が辛うじて残っているだけで、一面の畑だ。
全国重点文物保護単位の標石が無かったら絶対にそれと解からないだろう。
博物館も新しいだけで、展示品の数も少なかった。
しかし、是はと思わせる品も結構あった。

そして何よりも、金朝女真族(後の王朝の元朝蒙古族、清朝満族も同系統だそうだ)の故郷かと思うと歴史の悠久さを感じる。

哈尓濱 侵華日軍第731部隊遺祉

2012-06-23 15:53:58 | 旅行

侵華日軍第731部隊遺祉(哈尓濱市平房区)

還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その161
6月8日(金)
哈尓濱市平房区に在る侵華日軍第731部隊遺祉を見学に行った。

そう言えば、二年ほど前に寧波で哈尓濱市出身の藩と言う青年と知り合った。
二三日して、別れる時に、メールアドレスと住所を交換した。
その住所が哈尓濱市平房区731であった。
街や通りの名はと聞くとニヤリと笑った。
その意味が今日、解かった。
平房区731は日本軍のあの731部隊のことを意味していたのだ。
迂闊にもそんな事情が解からなかった。
哈尓濱から寧波まで職探しに来ているという彼の言葉を鵜呑みにして深く考えなかった。
それが、哈尓濱市民の日本人に対する感慨であり、感情なのだ。
案の定、彼が記したメールアドレスにメッセージを送付してみたが、見付からないというサーバーからの返事が来た。
名前も、住所も、メールアドレスも何もかも出鱈目なのだろう。
あの彼の笑顔は何だったのだろう。
彼の悪意さえ感じられる。
ただ、虚しさがこみ上げる。

午前中の入場時刻を15分程過ぎていたので、午後に来いと言われた。
仕方が無いので街のデパートで二時間程ブラブラする。
13時30分少し前に戻ると、三四十人の中国人が身分証明書を片手に窓口に並んでいた。
並ぶと更に二十人程が来た。
当然、日本人は一人も居ない。
二十人をパスして更に最後尾に並ぶ。
結局、五六十人の最後にパスポートを提示して入場券を貰う。
こういう所ではやはり、日本のパスポートは出しにくい。

制限時間の15時30分までじっくり見学する。
合掌!!

哈尓濱 東北三省の旅

2012-06-22 07:45:15 | 旅行


8輌編成が2輌連結のG25(北京站)

旧ユダヤ教シナゴーグの宿(哈尓濱市道里区)

還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その160
6月5日(火)
北京は想像以上に暑すぎる。
旧満州の東北三省黒竜江省都、哈尓濱へ移動する。

5時半に起きて用意をする。
5時45分には宿を出る。
地下鉄2号線の樴水譚(ジスイタン)6時着 6時10分発北京站着6時30分
火車站へ移動して6時45分、候車室に入ると、まさに、哈尓濱行きのの改札が始まるところだった。
反対側のホームには、モンゴルのウランバートル行きの国際列車が止まっていた。

車次D25北京発定刻7時13分、哈尓濱着定刻16時20分 
走行距離 1249km 所要時間9時間7分 2等軟座 267元

夕方の17時には市内中心部にある旅舎にチェックインする。
外観は重厚なヨーロパコロニアル風な感じ。
もと、ユダヤ教のシナゴーグを改造した宿だ。

北京 頤和園 天壇

2012-06-17 05:55:55 | 旅行

頤和園((北京)

天壇 天心石

天壇(北京)

還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その159
6月4日(月)
頤和園、天壇を見学する。
タップリ堪能する。
頤和園の昆明湖は自然の地形を利用したとはいえ、とても人造湖とは思えない。
掘った土を大寿山に盛ったとは、何とその財力、権力は計り知れない。
途中まで登ってみたが余りの暑さもあって途中で諦めてしまった。
只只、敬服するのみ。
開いた口が塞がらないとは正にこの事を言うに違いない。
久しぶりに、中国恐るべしに出会った。
帰りに、門票の須知を見たら、老人優待は70才からだった。
どさくさに紛れて、優待券で入場してしまったようだ。

天壇の規模も流石、中国恐るべし。
こんな所で祭祈を行ったら移動に時間がかかって数日掛かったに違いない。
それくらい広い。
まあ、天と意思の疎通を図るのだからそれ位は必要なのかもしれないが。