古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

東チベットの旅 甘孜再、、訪

2015-07-30 22:58:38 | 旅行

西外れの丘より甘孜市街、右側に雅龍江(四川省甘孜蔵族自冶州甘孜県)

甘孜市街中心部(四川省甘孜蔵族自冶州甘孜県)

農貿市場(四川省甘孜蔵族自冶州甘孜県)

甘孜温泉街(四川省甘孜蔵族自冶州甘孜県)

甘孜公交坫時刻表、運賃表(四川省甘孜蔵族自冶州甘孜県)

建築中の蔵族家屋、左側外壁工事のみ、中央左間取り工事中、中央右内装工事中、右側現在生活中

古稀背包客(gu xi bei bao ke)放浪記 その216
5月28日(木)
丁度一年ぶりの甘孜は何も変わっていない。
東チベットでも、馬尓康(マルカム)、炉霍(ルーホー、ジャンゴ)、康定(カンデン、ダルツェンド)などのその地方の中心都市は高層ビルが立ち並び、一寸昔の面影などは何にも無いのに、甘孜の中心部は五六年前と何も変わっては居ない。
変わっていないと言えば、甘孜には温泉がある。
温泉があるのだが、新しく温泉旅館のようなものが幾棟も建設中であり、間もなく一大温泉街が出来るに違いない。
個室の入浴料が15元と安い。
もっとも、日本のような大浴場の習慣がそもそも無いのだが、、
とにかく一番に温泉に行く。

東チベットの旅 高原散歩(玉樹から甘孜)

2015-07-26 23:36:28 | 旅行

嘉那瑪尼堆(ジャナマニ)(青海省玉樹蔵族自冶州結古鎮新賽村)

薬種山草を採りに出かける青年達(青海省玉樹蔵族自冶州渇武鎮(シェウ))

石渠の街(四川省甘孜蔵族自冶州石渠県)

竹慶鎮(四川省甘孜蔵族自冶州竹慶鎮)

竹慶寺遠望(四川省甘孜蔵族自冶州竹慶鎮)

玉樹から甘孜へのミニバンドライバー

玉樹から甘孜へのミニバン同乗客8人(竹慶寺が望める草原で)

車窓から

カマバッテロ(観音菩薩を祀っている水源)(四川省甘孜蔵族自冶州甘孜県)

古稀背包客(gu xi bei bao ke)放浪記 その215
5月27日(水)
午前5時5分頃に携帯電話が鳴った。
番号を見ると、昨日のドライバーの番号だ。
出てみると、「もう時間だ、起きて用意をしてくれ、迎えに行くときにまた電話する。」そんな内容だ。
要するに今日の甘孜行きのドライバーからのモーニングコールだ。
何と親切なことだろう。
目覚まし時計を5時にセットしていたので、まさに起きた直後だったが、、
そして5時45分頃に、「今から迎えに行くから表に出ててくれ」という電話が再度掛かってきた。
当然、喋っているのは中国語なのだが、チベット語も混じって、そんなのはお構いなしだ。
多分そんなことを云っているのだろう。
表に出てみると、反対車線にミニバンが停まっており、こっちだと声を掛けてくる。
実に親切だ。
瑪多からのドライバーと大違いだ。
だけど、これが本来のチベッタンの対応なのかもしれない。
瑪多からのドライバーは例外的なインチキドライバーだったのかもしれない。

しかし、何だかんだ云っても全員が揃って玉樹を出発したのは、6時30分過ぎだった。
一番遅れてきたのは二人連れの坊主だった。
出発して15分ほどで車が停まり、坊主を含めて4人ほど降りていった。
ドライバーの云う事には、コルラに行ったので暫く待っているとのことだ。
後で解った事だが、ここがあの世界最大のマニ塚と言われている嘉那瑪尼堆(ジャナマニ)だった。
表通りからチラッと見ただけだった。
渇武(シェウ)で唐蕃古道(国道214号線)から省道217号線に入る。
峠までの青海省側は舗装道路であったが四川省に入ってからは砂利道が続いた。
石渠(セルシュ、ザチュカ。漢字表記は中国普通語で地名、カタカナ表記はその中国語読みで、まるっきり表記と違う音はチベット語の地名です。チベットの地名をそのまま中国語表記にした場合もあり色々です。)の街は何にも無い田舎の街で、、、

竹慶寺が谷を挟んで綺麗に見える場所で暫く休憩をした。
乗客のほとんどは手を合わせて遥拝している。
竹慶寺の背後に雪を抱いた岩山が聳えていて、とても気持の好い場所だ。
甘孜の少し手前のカマバッテロ(観音菩薩を祀っている水源)でもコルラの為、十分ほど停車した。
小生も降りてコルラしろと云われた。

絶好の天気と、素晴らしい眺めは最高のチベットカムの高原散歩だ。

甘孜には16時30分過ぎに着いた。

東チベットの旅 文成公主廟(玉樹)

2015-07-13 09:44:44 | 旅行

文成公主廟(青海省玉樹蔵族自冶州玉樹市貝納溝)

唐蕃古道(青海省玉樹蔵族自冶州玉樹市貝納溝)

文成公主廟(青海省玉樹蔵族自冶州玉樹市貝納溝)

文成公主廟門(青海省玉樹蔵族自冶州玉樹市貝納溝)
古稀背包客(gu xi bei bao ke)放浪記 その214
5月26日(火)その2
文成公主廟(大日如来仏堂)は結古鎮(ジュクンド、いわゆる玉樹)の南方に在り、仏堂には九尊の浮き彫りの仏像がある。中心の仏像は大日如来で、この仏像は拉薩の大昭寺に在る釈迦牟尼仏像と同等の加持威徳があると伝えられている。約1300年の歴史を持っている。
この九尊の浮き彫りの仏像は紀元641年に文成公主がチベットに嫁入する時に滞在し作らせたものと云われて、宏偉壮観かつ非常に珍しい歴史文化遺産である。
紀元710年に唐からチベットに嫁入することになった金城公主がこの地に立ち寄ったときに、殿堂を作らせ風雨を凌がせた。(西蔵 李チョン(羽偏に中)著 中信出版集団㈱ p448から意訳)

文成公主廟には親切な蔵族の青年に連れて行ってもらった。
彼は市内中心部の派出所に勤務する公安なのだ。

明日のバスの切符を確保するためジュクンドにある三つの主要公交坫を回ろうとしたが、甘孜行き若しくは石渠(セルシュ)行きはどの公交坫から出るのか解らない。
それに、小生の持っているガイドブックの街の地図と現地では余りにも違いすぎる。
地震の後に街の様子も変わってしまったのかもしれない。
道行く人に聞いても要領を得ない。
今朝、公安に飛び込んで宿のことを聞いたら一発で解ったので、今回もこの手で行くことにした。
市内中心部の派出所は、一寸した広場の一寸高いところに在った。
声を掛けると、若い公安が二人出てきた。
下手な中国語と下手な英語で聞くと、そのうちの一人がかなり解りやすい英語で答えてくれた。
質問の内容を理解すると、こっち来いと、そしてパトカーに乗せて連れて行ってくれると云う。
ええええ、、、
一寸尻込みするがこの際だから好意に甘えることにし、後ろの座席に座った。
中国二度目のパトカー乗車だ。

程なく、通りにミニバンが数台停車している所でパトカーは停まった。
此処だと云う。
これじゃいくら探しても無理だ。
通りにミニバンが数台止まっているだけの、ただの溜まり場的場所だ。
公安はその一台の運転手と思しき人物に質問している。
明日の朝、何時に出発するのか、石渠まで幾らなのか、甘孜までは幾らなのか、チベット語なのだが何となく解る。
公安は、小生のメモ帳に漢字で書いてくれる。
明朝6時出発、石渠までは4時間で60元、甘孜までは10時間で170元、ドライバーの携帯電話番号。
実に簡単明瞭。
これでは値段の交渉も何もしなくて良いではないか。
さすがに、公安に値段を吹っかけては居ないだろうから、全て一発で了解、終了する。
最後に小生の携帯電話の番号を教えて交渉は成立した。
今迄で一番簡単で尚且つ適正な値段でのバスの確保だ。

その後昼飯を一緒に食べようと云う。
派出所に戻って、制服から私服に着替えて出てきた。
歩いて数分のかなり立派なレストランに入る。
5階に在って、その階段の上りに息が切れる。
そう、ここは標高3700mもあるんだ。

食事中に色々と話をしてくれる。
25歳の蔵族で、独身で、父は数年前に事故で死んで、兄が母と住んでいて、彼女は居るんだが、英語を独学で勉強して、外国の事ももっと知りたいし、日本の友達は一人も居ないので友達にナって欲しくて、等々。

ジュクンドで見たいところは何処かと尋ねられて、ジュクゴンパと文成公主廟だと答えると、食事が済んだら文成公主廟に行こうと誘われる。
勤務はと尋ねると、15時までに戻れば問題ないという。
彼の車(確か日産の車だったが車種までは解らない)でジュクンドの市街から約20km南にある文成公主廟まで連れて行ってもらった。

東チベットの旅 玉樹

2015-07-12 00:26:10 | 旅行

ケサル大王像(青海省玉樹蔵族自冶州玉樹県結吉鎮)

建設中の玉樹博物館(青海省玉樹蔵族自冶州玉樹県結吉鎮)

建設中の公共施設と結吉寺(青海省玉樹蔵族自冶州玉樹県結吉鎮)
古稀背包客(gu xi bei bao ke)放浪記 その213
5月26日(火)
思えば、六年前、西寧から玉樹行きの切符を手に西寧駅前の公交坫に並んだが、外国人は玉樹には入れないと、、「退票!」「退票!」ではじき出されてしまった。
どうして昨日は玉樹行きの切符を売ってくれたのにと、、、
そして昨年の7月四川省の甘孜から玉樹に入ろうと、甘孜の街を歩いていると公安がこっち来いと言う。
何事かとついて行けば、あっちこっちから外国人を捕まえては連れられてくる。
そして云うことには即刻この街を出ろ、成都に戻れと、、
えええ、、、えええ、、、
昨日着いたばかりだし、、、
何が、、どうして、、
理由も何も在ったもんでは無い。
そして、明日の夕方に再度見かけたら逮捕するという。
強制退去命令だ。
こうして二度目の玉樹行きも吹き飛んだ。

そして今回の三回目は四川省北部の阿バ(土偏に貝)から達日を通って、唐蕃古道(六年前の西
寧から玉樹行きのルート、西寧から玉樹、昌都を通って拉薩へ行く古道 現国道214線の一部)の花石峡にひょいと出て唐蕃古道を西下して玉樹に入った。
交通公安の検問は何度かあったが、個人個人の身分照会までの検問は無かった。
花石峡では交通公安にバスの時間や乗り場を聞きさえした。
途中の街での検問も無く、公安はそこそこ居るのだが、何のお咎めも無く玉樹まで来てしまった。

実は、昨夜遅くと云うよりは午前1時頃に玉樹に着いた訳だが、その後すったもんだの挙句、宿にチェックインしたのは今朝の10時前だった。
ろくに寝ていない。
瑪多からのミニバンの兄ちゃんと、その後に乗ったタクシーの兄ちゃんが曲者で、夜中の3時半頃に街外れの場所でタクシーから降ろされてしまったのだ。
その後一時間くらい目的の宿を探したが如何しても見つからなくて、とうとう公園で夜を明かしてしまった。
午前9時に公安(交番のような所)に行き、目的の宿の在り処を聞いた。
その交番から500mとは離れていないのだが、如何しても見つけることが出来なかった。
看板は揚げているのだが、まだ工事中のようなのだ。
玉樹国際青年旅舎がその名前だ。