古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

笑える笑っちゃう話その3/3

2009-11-20 14:22:48 | 日記
その21 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ

2009年11月15日(日)

笑える笑っちゃう話二話は既に決着したが、笑えない笑っちゃう話はまだ決着していない。いや、結果が確認出来ないと言った方がいい。

実は、笑えない笑っちゃう話は、本当は深刻な話なのだが何故だか笑ってしまう話なのだ。その途中経過を書いておこう。
話は、数日前の深夜までさかのぼる。

宿のロビーでインターネットをしていた夜中の1時30 分頃に、一人の日本人学生が重そうなカートを引いて宿にやってきた。いかにも心細そうな風情だ。肩を落とし、疲れきった表情の彼はフロントで空き部屋の有無を聞いていた。還暦背包族には良く解かる英語だが、フロントの女性には良く通じていない。チャイニーズイングリシュとジャパニーズイングリシュの対決だ。同じ英語を話している筈なのだが少しずつ食い違っている。それに日本人学生は疲れ切っているようで元気がない。

初めての都市に着いて張り切るのが普通の旅行者だが、彼はダウン寸前だ。助け船を出してやることにする。日本語で声をかけると、安心したように笑顔がこぼれた。やっと日本語で意思疎通が出来る喜びにあふれていた。彼のこの数時間の緊張が何となく解かった。それはきっと彼にとって始めての経験だったに違いない。
宿の部屋を確保して、やっと安心したようだ。

H1氏によるとその事態は次のようであった。
H1氏とその友人のN1氏は日本からある都市を経由して先程成都の空港に到着したが、N1氏は入国を拒否されたとのことだ。なんでも検疫で37度の熱が有るという事だった、今流行の新型インフルエンザの疑いをかけられたのだ。賢明な読者なら何で、H1氏、N1氏なのかお解かり頂けたであろう。そうなんです。N1氏はまさに、そのインフルエンザではないかと疑われて足止めをくったのです。

その飛行機は22時30分頃に到着したが、色々と手間取り、片割れは経過観察のため強制留置。そして濃密な接触のあった当事者H1氏は平熱なのでやっと無事解放されたと。そんな訳で両替も出来ずに、こんな遅くに宿に着いたとのことだ。タクシーもお願いして人民元でなく日本円で受け取ってもらったとのこと。当然、宿への押金も無いとのことだ。
そんなこんなをフロントのおねーちゃんに説明すると理解してくれたようだ。

空港でのやり取りと、急に一人になった不安な気持ちで、深夜の街をタクシーでやっと宿にたどり着いたのだ。その心労、ストレス、不安は十分に解かる。それであんなに落ち込んでいたのだ。
少し落ち着いたようだ。今は如何することも出来ないのでゆっくり休みなさいという言葉が慰めだろう。

次の日の午後にはH1氏は元気になっていた。彼本来の姿のような明るさで「おはようございます。」と言ってくれた。少し安心した。
「で、N1氏の具合は」
「宿の人に頼んで連絡して貰っているんですが、確認できないんです。でもこの宿に行くことはN1氏に最初から話しているので、連絡できる状態であれば連絡することになってます。」
収容された病院の名前を聞いたがフロントの人間は聞いたことが無いと言う。

N1氏の消息がハッキリしたのは更に次の日だった。N1氏からH1氏に入った連絡は、「今日、何とか感染症病院へ転院するために救急車で護送された。元気だから大丈夫だ。電話は、、、。」
ああ、やっぱり、今流行のあの新型インフルエンザか、、
その感染症病院は市の南の方に有り地図にも載っている。ここなら隔離されても安全だ。とりあえず所在と元気なN1氏が確認できたようだ。

H1氏等は九賽溝や他の観光地へ行く予定を立てていたがこの入院騒ぎで既に三日を費やしていた。H1氏は遠くの観光地には行けないが、何とか成都近郊の観光をしているようだ。が、N1氏は強制隔離病院のベットの上で過ごしている。

そして数日が過ぎ、H1氏の帰国する日が来てしまった。如何するのかと聞くと、
「N1氏はまだ病院だし、彼は更にもう三日後の便なので置いて行く。まあ、今日差し入れに行って様子を見てきます。」と言う。
結果的に、当然、面会は出来なかったが、差し入れを受け取って貰えたし、そこに居るようだということが解かったと言う。まあそれくらいで安心するしかないのだろう。収容されたのが自分でなくN1氏だったという事でその幸運を素直に喜んでいる。

冷たいと言われようがH1氏の自由になる範疇を遥かに超えた次元の世界なので如何することも出来ない。
「先に帰るが、宿の皆が心配しているので、退院したらその宿に行くように、 H1」のメモを病院職員に託してきたとの事。

そして、そのN1氏の帰国予定日も過ぎてしまった。宿にも現れないし、宿に連絡も無い様だ。まだ入院しているのだろうか。それとも、強制送還されて日本に帰ったのだろうか。
中国の病院で隔離されて、強制送還で結局一歩も外に出れずに戻ったのだろうか。

そして更に数日が過ぎた。
宿のフロントのおねーちゃんに一度病院へ連絡してみてくれと、多少この件に関わった還暦背包族のおじさんは言うのだった。今も何の情報も無い。他人事で関係無いといえば無いが、気になる。

笑えない笑っちゃう話だ。