古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

成都 孤高の人

2011-12-11 11:55:35 | 旅行

いわゆる歓喜仏(甘粛省博物館蘭州市)
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その134

2011年11月28日(月)
新田次郎の「孤高の人」を読む。
三十数年前に読んでいた本が四川省の成都の宿にあった。
加藤文太郎に憧れていた時代があったから懐かしかった。
彼のような山行が出来なかったから尚更、想い出された。

三十数年前の冬の剣岳や、八ヶ岳、富士山の山行の事が想い出される。
初めて行った剣岳の印象は今でも鮮明だ。
先輩のKさんとの初めての山行だったが、何の不安も無く付いて行った。
富山から室堂に入り、別山乗越の小屋に泊まり、剣岳を往復した。
立山に登り、黒四ダムに下り大町に抜けた。
美女平辺りまでは見事な紅葉だったが、室堂では吹雪いていた。
確か、11月の上旬だった気がする。

冬の八ヶ岳も素晴らしかった。
主峰の赤岳を南面のびっしり雪の張り付いた沢から登った。
東北の山を歩いていた我々は、岩場よりも、雪の張り付いている急な斜面の方が登り易すかった。
岩尾根は順番待ちで長い行列が出来ていた。
その脇の急な沢を詰めて何とかの頂に登り、帰りはグリセード(ピッケルを支えにして、斜面を滑り降りる方法)で一気に麓まで降りてしまった。
順番待ちなど考えられない事だった。
都会の人間はこうやって登るんかと改めて驚いたのを覚えている。
八ヶ岳からの富士山があまりにも綺麗だった事と、予定より早く八ヶ岳を縦走出来たので、その足で富士山にも登ろうと言う事になり転戦した。
五合目の佐藤小屋は、明日で冬篭りで閉鎖すると言うギリギリのとこだった。
次の日に富士山頂上まで往復し、その足で御殿場から汽車に乗って帰ってきた。
縦走中の赤岳の石室に泊まった前後は吹雪かれたが、全体に天候に恵まれた。
何とも慌ただしい山行だった。
元気だったんだねと思わずにはいられない。

絲綢之路18 J.フセインの陰謀

2011-12-02 15:15:25 | 旅行

カラクリ湖からのコングール山(7719m)(新疆ウイグル自治区カシュガル地区)
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その133

2011年11月X日
絲綢之路11カラクリ湖の空振りに書いた美人日本娘の「Mi」からメールが届いた。

父ちゃん!大変です
なにやらあの奴が勝手に婚姻届的なものを出したようで、その婚姻証明書をメールで添付してきました
signatureのところに私の名前も書いてあって・・
『何勝手にサインしとんねん?』ってメールかえしたら,
『サインしてない、名前書いただけ』とアホな返事が来たので更に頭にきました
どうしょうも無いアホな奴や、もうお手上げです
こうなったからには、ぶっ殺してやるしかない
PS 奴はカシオの時計をしてましたが、私に呉れたのは中国製の安物の時計です
(パキスタンギルギットの二頁の結婚証明書が添付されている)

何とも物騒なメールだが、見て笑ってしまった。
J.フセインはお父さんと呼んでくれたが、「Mi」は父ちゃんときた。
あのJ.フセインが斯くも遠大な陰謀を持って「Mi」に接していたのかを知って笑ってしまった。

「Mi」がJ.フセインにパスポートを見せてくれと言われたが、胡散臭いので見せなかったと言った事を思い出した。
家族の事や、日本の事を聞かれても面倒くさいので適当にあしらっていたとも言っていた。
最初に会ったときから、着々と諜報活動を始めていたようだ。
還暦背包族に対しても、仲を取り持ってくれるよう何度も依頼してきた。

11月17日付けの結婚証明書は立派なもので、贋物とは思えない。
「Mi」はパキスタンネームでSaira(外国名「Mi」)になっていたし、日本の住所も書いてあった。
J.フセインの諜報活動は素晴らしく立派だったが、小生の聞いた「Mi」の年齢と、証明書の年齢がチョッと違っていた。
「Mi」がサバを読んでいたとしか思えない。

モスリムのJ.フセインは数人の妻を持つ事が出来るのだが、これで、「Mi」は嫁に行けなくなってしまった。
又また、笑いがこみ上げて来た。

「Mi」は、南のほうに行くと言っていたので、今頃は中国を抜けてラオスかタイ辺りに居るのだろうか。
「Mi」は、煙草屋の娘と言っていたので、煙に撒くことはあっても、煙に撒かれる事はあるまい。
「Mi」の人生や、如何に、、、