古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

中国の交通事情

2009-11-06 01:33:45 | 日記
その16 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ

2009年10月26日(月)

中国の交通事情について少し所見と注意事項を書いてみよう。

昆明や成都のような省都クラスの道路についても、先に書いたように、歩道には人間、猿、小猿、犬、牛、猫の類の排泄物がゴロゴロ転がっているので、細心の注意と神経を注いで歩るかなければならない。ただそれらに遭遇しても、医者や警察の世話にならなくても良いが、車やバイクの場合はそうはいかない。
中国は右側通行なので最初はちょっと戸惑うかもしれないが、直ぐに慣れるはずだ。それよりも日本と根本的に違うのは、人間優先という考えが無いことだ。人よりもバイク、バイクよりも車の方が強い。人と車では決して勝負をしてはいけない。躯体からして対抗できる造りにはなっていない。そして人間優先という考えは少しも無いので、強いもの勝ち、早いもの勝ちの原則で行動するからだ。
更に、中国では右折が常にOKだから、横断歩道の青信号でも歩行中の人間の列に車が突入してくる。当然、躯体の構造の違う人間は対抗出来ないので、端に追いやられる。横断歩道の人間を蹴散らせて車が通る。
人間はコソコソと車の間を横断するしかないのだ。

走行している車は1mの車間距離があれば割り込むのに必要十分な距離だ。右折左折の走路変更も瞬間の判断でサッと移行すればよい。後で申し訳程度に右折、左折のシグナルを出せばよい。決して譲り合いの心や相手を思いやってはいけない、1mも進めなくなってしまうこと請け合いだ。そしてそんな車が渋滞の原因になりかねない。流れに沿って自分を主張してガンガン突っ込んで行かなければならない。右折、左折する時に躊躇していてはいけない。度胸と決断で一気に突っ込まなければならない。
人間も同様にガンガン自己主張しなければ誰も認めてはくれない。もし、横断歩道で誰か止ってくれる車を待っていたら一日以上立っていなければならないのは確実だ。間違いない。
俺はこの道を渡るのだと硬く心に刻み、意を決して車に立ち向かわなければ絶対に横断歩道は渡れない。間違いない。
有力なもう一つの方法は、横断歩道を渡っている人を盾にしてその恩恵を受けることだ。要するに、赤信号だろうと人民が渡っている時にその中に包まれて、人民を盾にして渡るのだ。
やっと最近になって、一人でも横断歩道が渡れるようになった。より人民に近づけた証拠だ。やっと中国の道を普通に歩けるようになった。かなりの進歩だ。
中国には人間のぬいぐるみを着た猿と、猿が人間に化けた人間がいるのだから。

スピードに関しては更に言うに及ばない。そもそも、公共の交通機関であるバスのスピードメーターでさえもその殆んどは壊れて機能しない。ゆえに正確なスピードは解からない。
ただ、今までの感覚からは普通の道路でも混んでさえいなければ平気で100k/h位は出す。現実的には街中では渋滞でそんな機会はめったに無いが、郊外への路線では空中分解しそうなバスがぶっ飛ぶ。凸凹の道、そして急ブレーキに人民どもは一向に驚かない。

バスの運転手はサーキットの競争のごとく行動して振舞う。今日のチャンピオンは俺だと言わんばかりにスピードを競う。同じ会社の同じ路線のバス同士でも一刻を争ってその腕を競い合う。
確かに、F1クラスの実力はあると認定しなければならないだろう。
還暦背包族も大型車も運転できる国際運転免許証を持参したが到底かなわない。足元にも及ばない。完全脱帽だ。

たった一つ勝てそうなのが、長距離バスには必ず乗っているバス酔い客だ。ひとバスに必ず三四人はいる。完全に死んでいる乗客もいる。ゲロを吐き顔面蒼白でこの世の終わりを見ている乗客もいる。漢民族、チベッタン、その他の少数民族にかかわらずバスのような文明の利器に弱いようだ。乗車すると直ぐにビニール袋を配るくらいだから、日常茶飯事のことに違いない。これには勝てる。

あの元気すぎる民族に勝てるのだ。長距離バスは我々の天国だ。ザマ見ろと大声で叫びたい、歓喜の雄叫びを上げたくなる。ささやかな喜びに浸ることが出来る数少ない瞬間だ。
車酔いの経験のある人には申し訳ないが、そうでない我々文明人にとっては非常に気持ちの良いことである。あのうるさい漢民族がチベッタンが苦しさに紛れてうめき声を上げるのを見るのは快感なのだ。ザマ見ろと、、、

やっと、漢族にチベッタンに勝てたと、、ささやかな還暦背包族の喜びだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿