(有)オールドマンの旅行代理店

旅の話がメインの予定でしたが、
関係のない話が多すぎて? 
下手な文書です。突っ込み処満載ですが・・・

片道おおよそ700㌔の旅-2・・・15

2024年01月28日 | 旅の話
さて、急ぎ足で尋ねた場所は・・・・・

ここを訪ねたかったのです。着いたのは昼過ぎです

ここで、特別展示と言われて期限限定と言われていますが・・
この機体が展示されているのを見たかったのです。

十八試局地戦闘機震電  (J7W)
プッシャー駆動方式の機体でエンテ型(カナード付き)の
機体です。非常に珍しい形をしている機体です。
しかし、このタイプの機体は今でも飛んでいます。
軍用機ではありませんが、小型のホームビルト機や
双発ならビジネス機として飛んでいます。店長も
イタリアで製造されたアバンティをRJNAで売り込みに来た
機体を撮影した事が有るのですが、写真を探しえませんでした。
機首に確か前進と日本語で書かれたいたように思います。
さて、この機体は、第二次世界大戦の終戦まじかに
初飛行した機体で実戦には、参戦していません。

この、展示されている機体は2023年公開の映画
『ゴジラ-1.0』の撮影のために制作された実物大の
レプリカが展示されている。これが見たかった!!!!!!!!!!

上から見下ろす感じで見学できます。

機首の車輪の取り付けの細い事~!! 本物の映像でも
細いです~。
 ノーズギア(機首の車輪)が 長い~これは
後ろに付いたポロペラの為に、操縦室に入り込むのには
長いはしごが必要。
(プロペラの直径が関係しています(直径3.40m))

この後ろ姿がいいですね!!! 量産になると、4枚ペラに
変更する事が決まっていたようですが・・・・??
それと本来なら尾翼の下に「白菊練習機」の車輪が左右に
付いていたのですが、この部分の機体は量産型のようで、
その車輪は付いていません。
ここには、零戦三二型も展示されています。
実寸どおしの機体を色々と比較すると、震電は、
かなりスマートな機体で見た目は零戦よりデカく感じます・・


三機作られた「十八試局地戦闘機震電 」ですが、
日本には残念ながら一機も残っていません。終戦直後は、残りの
二機は飛べる状態でなかったのですが、飛べる一機はアメリカ軍に
接収されて、今はスティーブン F. ユードバー=ハジー・センター
(国立航空宇宙博物館別館)に有るようです???ただ分解保管??
是非見て見たいですが、海外アメリカとなると店長には、
余りにもハードルが高い!!!!!!!!!
局地戦闘機として計画はされていたが、増槽や爆装まで
計画されていたようです・・750㌔以上のスピードの
要求にこたえるために、頭の切り替えで完成したが、
資材の不足、熟練工の不足、精密加工機の不足、
ハイオクタン価の燃料の不足.............色々な不足の積み
重ねでも完成させた事は努力のたまものか................
機体を見て思う素人考えですが・・・・・・
三菱 空冷複列星型18気筒エンジン この機体の
かたちから整備は大変ではなかったと思ったりしています。
何もかも不足する中で高回転化・高ブースト圧化によって
離昇出力2,130馬力は素晴らしい物です。メタノールを
使用していたようようです????????????
九州飛行機と言う会社で製造された。
もう少し早く開発されていれば、と考える店長ですが、
この九州の地で開発、飛行させた事は称賛に値されると
思っています。
さて、実機とは少々違うとは言え、このレプリカの制作には
色々、苦労されたようです。それらについては館内に展示物が
有りますので・・ここでは挿入していません。
ただ、面白い事が・・・映画用の配慮ですが・・

射出座席がセットされています。
射出座席はやはり第二次大戦中のドイツで開発されています。
また、多くのパイロットを救ったようです。日本では、当時その
技術が無くて、この機体から脱出するのには、
プッシャー方式のペラを爆発させて、パイロットが飛び降りる
方式のようです。よってこの機体の座席は本来は無い物です。
余り、固い事言いません!!!! 
機体の下部には無線機のマストも取り付けられています。
映画とは言え非常に完成度の高いレプリカと思います。
聞くところによれば、この機体(レプリカ)は、
まことしやかにネットでささやかれている話ですので、
真偽は分かりませんが、大太刀洗平和記念館が、
2200万円で購入したと言う話も.......???
噂話ですので、何とも言えません。真偽のほどは不明です。
ここでの撮影は時間の経つのが早い・・
堪能するだけ撮影して、後の展示物も勿論すべて、
見て回りました。内部に保存されている
手紙、遺書は読むだけで、ただただ涙涙涙・・・・
また二十歳未満の方達の文字の綺麗な遺書には...........
店長のミミズの這った後の文字とは全く違う。
この手の記念館はあちらこちらに出向きますが、
本当に亡くなった彼らの文字の綺麗さには関心しています。
なお、この平和記念館は、飛行機本体の写真は撮影は
可能ですが、他の掲示物、陳列物は撮影禁止になっていますので、
見学される方はご注意ください。
長時間お邪魔して撮影完了です。

さて翌日は、福岡空港の新しいターミナルで撮影して、
数時間過ごした。。
コロナ禍前は、何度か外周で撮影しましたが、
国際線のターミナル付近は、様変わりをしていました。
ターミナルから見た感じですが・・・・・・
昼過ぎの便で帰宅・・・・
またもやSFJの便で帰ります。到着と同じスポットから
出発です。

雲が早い流れで、太陽を隠します。
時間が来ました。搭乗です。

この便は、ほぼ満席でした。

外に目をやると、二本目の滑走路の工事の影響でしょうか??
以前には撮影出来た場所にも二重フェンスのところや
盛土もあちらこちらに有ります。撮影に不向きか.............

何年先に完成するのかはわかりませんが・・・
それまでには、元気なら出向いて撮影したい空港です。
定刻に出発。フライト時間は60分の予定。

しかし、玄界灘に差し掛かった時から、機体の揺れが
始まり、シートベルト着用のランプが点いたままです。
多分、大陸方面から風に雪雲の流れが相当な力に
なっているのでしょう。
店長も何度か搭乗していますが、非常に揺れが大きく、
長い時間のフライトは何年ぶりでしようね~??航路の変更も
行ったようで、到着時間もし10分以上違ってきています。

何とかセントレアの近く伊勢湾に入った頃には、
揺れも収まって、無事到着。ヤレヤレです。
フライト時間は約90分でした。
一泊二日の旅の話は、これで終了。
天気は、初日は悪かったですが、帰る日は
それなりに青空もでて、番号集めには成果出ました。
久しぶりに、写真の整理に時間がかかりそうです。

   今回の旅のお話は、これでお終い......!

追伸
 映画用ですが、この震電のコックピットは別にも、
 作られていて、それは茨木県のどこかで展示と言う話も
 聞きました。どなたかご存じの方は、教えていただくと
 有り難いです。コメント欄で連絡をお待ちしています。

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2 コメント

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ここには・・・ (akikan)
2024-01-28 09:55:58
数年前に訪問(見学)したことがあります。
確か?海底から引き上げて修復した零戦が展示されており、操縦席に座ったと思います。
私が行った時と展示物も変わっていると思いますが、店長と初めて?同じ場所を訪問(見学)したとは・・・
返信する
何度か・・ (店長です。)
2024-01-28 16:02:59
数回訪ねています。忘れた頃に.........さて零戦三ニ型は世界に現存する物は、ここにしかありません。生産数も300数機です。この機体はマーシャル諸島から回収した物を復元展示です・・・・・あと一機は博多湾から引き揚げられた九七式戦闘機(陸軍)ですね。また三菱で制作したMHヘリも屋外展示されています。ここに行って展示物を何度見ても涙腺が緩みますね・・ここから、数時間???で 福田さんの埋葬???の地、田主丸(たぬしまる)に行けます。今回は訪れませんでした。
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