大倉草紙

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【京都】 南蛮寺跡

2010年01月14日 21時00分00秒 | 旅 - 京都府
12月26日(土)
当日の行程:(羽田空港→伊丹空港…大阪空港交通リムジンバス・大阪空港南ターミナル~京都駅八条口…京都市バス・京都駅前~京都市役所前) → 【本能寺】 → 【本能寺跡】【南蛮寺跡】【受け継いでいく祇園祭(京都府京都文化博物館)】


南蛮寺跡附近


「此附近南蛮寺跡
 織田信長の時代に、耶蘇(やそ)会(イエズス会)によって建てられ、京都におけるキリスト教と南蛮文化の中心となった『南蛮寺』は、この北側、姥柳町(うばやなぎちょう)の辺りにあったといわれている。
 戦国末期、京都でのキリスト教布教は、永禄二年(一五五九)から本格化し、永禄四年(一五六一)にこの付近に礼拝堂が設けられた。数々の迫害に遭いながらも、宣教師は布教に努め、信長の保護もあって信者は増加した。天正四年(一五七六)、数百人の信者の協力と所司代村井貞勝の援助により、古くなった礼拝堂が再建され、七月十六日に献堂式のミサが行われた。これが南蛮寺で、信者の間では珊太満利亜上人(さんたまりあしょうにん)の寺とも呼ばれた。
 しかし、天正十五年(一五八七)六月、九州征伐を終えた豊臣秀吉は宣教師追放令を発し、キリスト教の弾圧に転じた。南蛮寺もその時に破壊され、この地に復興されることはなかった。   京都市」(案内板より)


南蛮寺は、このように和洋折衷の3階建てだったそうだ。

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