はがきのおくりもの

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婆子焼庵が語るもの <85> H15.3.24

2010年09月18日 | じんたん 2002


 「じんたん通信」の最後は、「婆子焼庵」です。禅の公案が最後だなんて、奥井は何を考えていたのでしょうか。そういえば、昔、柴山全慶著「無門関講話」に夢中になっていたことがありましたっけ。


婆子焼庵が語るもの

 さて、この頃、森が書いたものに、

 「私は婆子焼庵(ばすしょうあん)の公案を通過する力は到底無かったのですが、天の計らいによって、何とか通していただけた」

という文章がある。見過ごしてしまいそうな一文だが、八十歳にもなる老人がなお性の問題をおろそかにせず、偏(かたよ)ってしまいがちな自分を正して、ついに乗り越えることができたという独白である。しかも森は「おれは勝利したぞ!」と高らかに宣言するのではなく、慎ましく「天の計らいによって、何とか通していただけた」と告白していることに、私は一層の感激を味わう。

 かつて京都大学の学生時代、倉田百三(ひゃくぞう)が西田幾太郎を訪ね、恋の苦しさを打ち明け、これはどう解決したらいいでしょうかと問うたとき、西田は的確な言葉が見つからず、
「哲学はそういう問題を考える学問ではないのです」

 と言って、質問をはぐらかしたことがあった。それを知った森は、哲学が愛とか性とか、人生の根本に深くかかわっている問題に目を向けないとは、何と机上の空論に過ぎないかと失望したという。愛と性の問題こそは人生の重大問題であり、禅僧にしろ、修道士にしろ、いやしくも精神の高みを目指す者は誰でも避けて通ることができない。だから臨済禅では婆子焼庵という公案によって、修行僧に愛と性の問題の本質を問うているのだ。

 では、婆子焼庵という公案とは何か。

 ある日、老婆が町で見所のある若い僧を見かけたので、家に連れて帰り、庵(いおり)を造ってその僧の修業を支えた。それから何年か経ち、だいぶ修業も進んだろうと思った老婆は、家の若い娘に、

「あの坊さんに抱きついて誘惑してみろ」

と言い含め、どんな反応を見せるか楽しみに待った。件(くだん)の娘は命じられた通り、その僧に抱きつき、「どんな気持ちがする?」と訊ねた。若い娘の持つ甘い香りはそれだけでも男の欲情をそそるものだが、その僧は涼しい顔をして、

「枯木寒巌(かんがん)に倚(よ)るが如し」

と答えた。つまり、

「お前が抱きついたとしても、わしは欲情をそそられないし、色香に迷うこともない。寒巌に枯木が立っているのと同じで、わしの心は少しも騒がない」

と言うのだ。それを娘から聞いた老婆は大いに怒って、

「何だ、その程度の悟りしか開いていないのか。こいつはものになるかと思い、長い間供養してきたが、間違っていた。けがらわしい、速く去れ!」

と言って僧を追い出し、庵も焼いてしまったという。

 これをどう解釈したらいいか。もとより禅の公案というものは頭で解釈しても何の意味もなく、身体に電流が流れたように全身にビビッと響いてこそ、体得されるものだ。そのことを踏まえた上で、この公案が何を言おうとしているのか、考えてみたい。

 僧が「枯木寒巌に倚るが如し」と言ったように、厳しい修行を通して、色香に迷わなくなったこと自体は素晴らしい。しかし、問題は娘の方だ。

「わしは色香なんぞに負けはしない」

と僧が自分の正しさを誇っていたとしたら、娘は一人取り残され、突っぱねられたと思い、ますます実存的孤独に陥ることになる。実存的孤独に陥った人間は、もうどうでもいいと開き直り、毒を食わば皿までと、自暴自棄に走りかねない。

 とすると、このとき、この僧は自分の正しさに満足するのではなく、娘の魂を心配し、実存的孤独を本質的に癒すことができるよう、魂の導き役に徹しなければいけなかった。老婆が見切りをつけたのは、未だに自分の欲情を乗り越える修業にかまけていて、衆生済度(しゅじょうさいど)までは心がいっていなかったからである。若い娘を自分の欲情の餌食にするのは下の下であるが、実存的孤独を魂の成長の方へ導けなかったことを問題としたのだ。

 そう解釈すると、この老婆は物事の核心をついていたことになる。

「人生二度なし森信三の世界」神渡良平著、佼成出版より


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