よっしぃの楽書き帳

 気まぐれよっしぃの落書き帳です!
日記代わり?に書いていますが、
コメントしていただけると嬉しいです。

10/31 柿

2008-10-31 | 横須賀
 ご近所から、柿を頂いた。今年は、沢山実ったそうだ。その分、いくらか小粒とのこと。しかし、柿が大好きな私は大喜び。小粒だと、皮を剥いて種を出さなければならないのは少々めんどくさいだろうが、好きなものにとってはあまり苦にならない。一つずつ食べても、しばらくありそう!うれしいな!

10/25~27 台北観光旅行 ⑫カルチャーショック

2008-10-29 | 
 台北旅行でのカルチャーショックについて、少し残しておこうと思います。台湾は、四国が2つほどの大きさの島で現在2000万人ほど暮らしているそうですが、元からの島民は15%くらいで、日本が統治している間に台北には電線も地中化された先進的町が作られました。その後、南京などから蒋介石と移り住んだ人々が約35%余り、日本軍が引き揚げた後、大陸から入ってきた人々が40%くらいだそうです。
 明治の台湾は田舎で、300万人と人口の少ない島だったようです。そこに日本軍が入り、日本の一部として学校教育や町やダムを作り、建物もその後の建物は地震で崩れてしまったが、日本人が建てたものは今だに使われているものも多いとのことでした。
 北京語と台湾語とはイタリア語とフランス語くらい違うという国で、日本の義務教育が行われ日本語が共通語となり、日本が引き上げた後も公用語として使われていたそうです。それゆえ、親日家も多いとのことでした。
 日本に帰ってきて、田母神航空幕僚長が論文で「侵略は濡れ衣」と発表し、職を更迭され自動的に退職になりましたが、侵略か否かは立場や見方により異なり、難しいところだと思います。台湾の人を別人種とみなすと植民地化というでしょうし、日本人とみなすと同化となるでしょうし、中国の側からすると侵略となるのでしょう。近代史は学校では詳しく習わず、訪れるまで台湾はあくまで外国と思っていたので、日本が統治した時代を想像したことがありませんでしたが、特に台北や九份の日本人街を見、明治海軍の大将たちの功績を聞くと、日本人なのに日本の歴史を知らず、日本人の功績を知らないことに驚きました。韓国の戦争記念館に展示してあるように、戦争で日本軍が酷いこともしたと思います。戦争とは、ひどい事が沢山あり醜いものだと思っています。それは、日本軍が韓国だけで行ったとは限らないでしょう。しかし、事実を知らないことは恐ろしいことだと思います。 良いことも悪いことも、私は知りたいと思いました。つまり、日本の歴史である台湾統治を学校で習わず、自分から知ろうとも思わなかったことがとてもショックでした。

10/28 台北観光旅行 ⑪おみやげ

2008-10-28 | 

 いつものごとくたいしたお土産は買わずお土産話中心ですが、それでも買って来た数少ないお土産を紹介します。台湾産パイナップルで作ったケーキ。26日昼行ったお土産屋さんで作って売っていました。試食は、焼き立てでまだ温かいのを小さく切った一切れでした。出来立てだったこともあり、美味しかったので娘が休みを頂いた職場に購入。胡麻チョコレートも試食して、なかなかよかったので義理土産に。チョコレートは珍しくないですが、下に胡麻がびっしりつけてありチョコレートとなかなか良く合っていました。胡麻と言うのが、台湾っぽいかなと買ってきました。「からすみ」は、珍味だけあって1腹千元くらいと高かったですね。でも、親戚に胡麻擂り土産に・・・。
 他には、娘が九份の小さな店で「使わないかもしれないけれど…」と言いつつ、絹製の中国っぽい携帯入れを友だちに買っていました。
 台湾は、故宮博物館などの観光業と、電子部品などの工業製品の製造などが主な産業の国で、海産物や農産物は今回パイナップルくらいしか目に付きませんでした。しかし、台湾の人たちは、とても働き者に見えました。


10/27 台北観光旅行 ⑩お散歩

2008-10-27 | 

 昨日の疲れもあり、娘は初めてのマッサージの揉み返しもあるようで、朝は8時ころまでゆっくり寝ていました。本当は、朝市や公園での太極拳など見たり体験したかったのですが、とてもそこまでの元気はないようで、私も帰国後に予定が詰まっているので休養タイムとしました。
 ゆっくり食事を取って、少しホテルの回りを散歩してきました。台湾のパトカーが止まっていました。日本と同じ?都会の中のわずかな公園の木に、本場の「台湾リス」がいたり、車椅子のおじいさんがのんびり過ごしていたり、やはり公園は良いですね。公園に面したアパートは、窓に泥棒よけの鉄格子が入っているようですが、生活観が有りますね。
 10時にお迎えのガイドさんが来てくださり、帰りの空港に行くまでにお決まりの免税店に寄りました。免税店の品はどこも同じ様に思いますが、簡易式ベビーベッドの表示がコアラ?でした。公衆電話は、日本とかなり違うような気がしたので、写真に撮ってきました。
 チケットのシートを確認して、ガイドさんとお別れです。夫っとはもう元はいらないと思い、少ししか残っていなかったのですが、全部ガイドさんにチップであげてしまいました。出国ゲートを入り、昼食を・・・と思ったとき、「元がない!シマッタ!」と思ったそうですが、カードもあることだし・・・娘が自分の換金した残りの元でサブウェイやスタバをおごってくれました。娘が頼もしく見えたりして・・・。
 


10/26 台北観光旅行 ⑨ 台湾マッサージ

2008-10-26 | 
 お腹がいっぱいになると、免税店に行きました。我が家には、あまり縁のないところで、目の保養だけしてきました。そして、台湾マッサージのお店に行きました。
 ロビーには、どこだかの相撲部屋からの番付表が貼ってありました。此処も、日本びいきなのでしょうね。もっとも、日本人は良いお客さんです。3人とも同じ部屋で、90分全身マッサージコース1500元(5000円)を体験してきました。「顔のエステはいかが?」とか、「足のつめきりは?」など、何人も営業に来ます。全部断って、基本コースのみ。肩から腕、背中を揉んでくれ、うつ伏せになって足の裏やふくらはぎを踏んでもらいました。気持ちよかったけれど、私はストレッチ型のタイ古式マッサージの方が良いな!
 帰りはマッサージ屋さんの車で送ってもらいましたが、4歳くらいの男の子が助手席に乗っていて、家族で頑張っているのだろうなって感じ!夫っとは、チップを弾んでいました。このコース、帰りは免税店かマッサージ店の送迎サービスを利用となっているようで、さもなくばタクシーで帰ってくださいということらしい。ちなみにタクシーはすべて黄色い車で、湾メーター120元。チップは要求しないが、10元から1割くらいあげて欲しいとのことでした。
 一日半のコースを一日で回ったので、とても疲れました。ホテルに帰り、お風呂に入ってバタンキューでした。

10/26 台北観光旅行 ⑧ 龍山寺

2008-10-26 | 
 もう、外は真っ暗になっていましたが、龍山寺にお参りし、台湾式でおみくじを引いてもらいました。まず、半月形で表と裏(赤と黒)に塗り分けられている木を投げ、両方赤になると引けます。ただし3回でならなければ、出直すそうです。そして、番号のついた1mほどの棒を引きます。100番とのことで、良いんだか悪いんだかよく分かりませんでしたが、もともと良い事のみ信じるようにしているので、良いとしましたが…。
 龍山寺は、南方形式の寺で屋根に沢山の飾りがついています。北の様式は、屋根に雪が積もるため、あまり飾りをつけないそうです。
 地震のときに全壊したそうですが、本尊を守っていた人だけは助かったそうで、多くの人々の寄付で再建されたそうです。線香代や、おみくじ代はいらず、みな寄付やボランティアでまかなっているそうです。
 まず、7本の長い線香をいただき火をつけます。吹き消すのは良くないので、線香を振って炎を消します。そして、一本ずつ香炉に投げ入れて立てながら、お参りします。表門の脇から入り、正面の神様・後ろの神様皆に一本ずつ線香を投げ入れて行くのです。線香花火のように赤い木の棒の先に薬が付いているので、後で持っていた指に赤い粉が付いていましたが、「福の印なので、家(ホテル)まで落とさないで帰ってください」と言われました。最後は縁結びの神様とかで、ガイドさんが赤い糸を頂いてくださり、「身近な物に巻いて幸運を願うと良い」と、教えてくださいました。私は、後で携帯電話に着けて、持ち歩いています。一通りお参りすると、出口は横のほうにありました。
 夕食の台湾家庭料理を食べました。豚の角煮は美味しかったですが、「圧力釜を使えばもっと美味しく、柔らかくできるのに・・・」と思いました。しかし、台湾の家庭料理なのでそんなに煮込まないのでしょう。野菜の炒め物など薄味で美味しかったですが、一品はかなり塩辛かったです。お酒のつまみ用でしょうか?ここでも、ビールを頂きました。

10/26 台北観光旅行 ⑦ お茶博物館

2008-10-26 | 
 お茶博物館にも寄りました。ほぼ、観光客相手のお茶屋さんですが、象牙などを入れ子に細工した細工物があり、故宮博物館のものより繊細でした。今、本物かどうか鑑定しているそうです。
 此処では、九份とはまた違う壮健美茶などを飲ませてもらいました。日本でなじみの味とは、かなり違いました。我が家は皆お茶好きなので美味しかったですが、私はやはり日本の緑茶が一番好きです。お土産には、お茶ではなくお茶請けの「蓮の実のお菓子」と「からすみ」を買ってきました。

10/26 台北観光旅行 ⑥ 中正紀念堂

2008-10-26 | 

 政権交代により名前も変わるそうで、先の政権交代で正面の大きな額が、「台湾民主紀念堂」から「中正紀念堂」に掛けかえられたそうです。
 この「中正紀念堂」は蒋介石の遺言で建てたそうで、「中正」は蒋介石の本名だそうです。日本総統府を上から見下すように高い台の上に椅子に座った大きな蒋介石の像があります。台座部分には、蒋介石の遺品や写真が展示してある常設展示場と、展示が変わる特別展示場に分かれていて、訪れたときは愛知万博で見たマンモスの展示をしていました。
 パンフレットには、概観や門の説明はありますが、あれだけ印象的な蒋介石の大きな像の写真や説明がなく、思想的操作と思うとかえって興味深いです。もっとも、全体を下したから写すとそうは移りませんし、朝夕層の前の大きな扉を開閉するそうです。像を見に行くには階段を登るか、中のほうにあるエレベーターを使わなければならないので、思想が変わり時代が流れても歴史に残したいとの願いの表れなのでしょうか?中正紀念堂の階段に出ると夕焼けが美しくアベックのデートスポットでした。階段を下りて公園を後にするころには外が真っ暗になり、ライトアップが綺麗でした。


10/26 台北観光旅行 ⑤ 九イ分

2008-10-26 | 

 思いつきの台北旅行で、胡弓博物館に行こうとしか思っていなかったので、予備知識はまったくなしでの旅行でしたが、九份は「千と千尋の神隠し」の舞台だったのですね。九份は金鉱の町で、日本が統治していたころ盛んに掘り出していたのでしょう「台湾の古い日本人街」だったところですが、金を掘りつくし、日本軍も日本人も撤退し空虚な雰囲気があり、日本人がいない日本人街なのに観光で賑わっていて、とても不思議な雰囲気の空間です。宮崎駿が、「千と千尋の神隠し」を製作する1年前くらいに訪れてこの作品を作ったそうですが、九份に着てみて妙に納得しました。
 両側にお店の並ぶ細い急坂を、人ごみに流されるように上まで上り、赤提燈の坂道を下って、お茶屋さんで休憩しました。はじめご主人が説明しながら、美味しくお茶を入れて下しました。小さな茶碗を温め、お茶を入れた急須に湯を入れてすぐこぼし、次に湯を入れて蓋をしたら急須の上からもかけて10秒。細い入れ物に入れ、小さな湯飲みに立てて抜くように取ると、その器を手のひらで転がし、香りを楽しみました。お茶の、ほんのり甘い良い香りがしました。1000m以上の高原で栽培しているので、美味しいお茶が取れるそうです。2回目は20秒、3回目は30秒と5回くらいは美味しく飲めるそうです。お茶請けには、お干菓子と生切りの合いの子の様な芋餡のお菓子や胡麻を固めたせんべい状のもの、白い粉を吹いた梅の砂糖漬けの干した物お茶の葉も2回分在り、10杯近く頂くと、茶腹で満腹になりました。娘は、梅の砂糖漬けが気に入り、お土産に買っていました。
 帰りの高速道路でガイドさんが、「台湾には上質の石炭が取れるところがあり、 戦艦三笠に積んだのでバルチック艦隊が三笠の性能を誤算し勝てた」と言うようなことを言っていました。横須賀に帰ったら、11/2・3と「よこすか産業祭り」で「記念艦三笠」の警備と案内のアルバイトをします。また、見る目が少し変わったような気がします。


10/26 台北観光旅行 ④ 小籠包

2008-10-26 | 
 昼食は小籠包。ご主人が、世界的に有名な「京県楼」で修業し、お店を出したという「京県小館」の二階でした。竹の蒸し器に入って、アツアツが出てきて、とても美味しかったです。小籠包に生姜の千切りと黒酢をかけるのは、初めてでした。小さいけれど、ひとつづつ食べていき、最後にチャーハンが出て、おなか一杯になりました。台湾のビールも頂きましたが、あまりにがみがなく、生ビールのようで飲みやすかったです。
 食事もそこそこに、高速道路に乗って九份へ向かいました。途中に見えたお墓が立派で、「沖縄のお墓に似ていますね。」と言うと、「琉球ですから」と言われました。なるほど地理的にはすぐ近くで、国と言う枠で無理やり切断される前はかなり密接に交流していたはずです。体形など外見も似ていて、文化も同じなのは、当然な訳ですね。