よっしぃの楽書き帳

 気まぐれよっしぃの落書き帳です!
日記代わり?に書いていますが、
コメントしていただけると嬉しいです。

9/29 観音崎ハイキング

2016-09-28 | 横須賀
10:00馬堀海岸駅に集合して、走水(走水神社)→観音崎(灯台)→鴨居(鴨鶴)→浦賀(東叶神社・西叶神社・資料館)と歩いてきました。
鴨鶴のアナゴ釜飯、おいしかったです。
東叶神社の脇のティールームでお茶し、渡船で西叶神社へ。
一緒に歩いた仲間は、22000歩だったと教えてくれました。

蒸し暑かったので汗びっしょり!
帰宅後すぐシャワーを浴び、ちょっと横になったらぐっすり寝てしまいました。
明後日ごろ、疲れが出るのでしょうか?

9/23~26 全国レク IN 岐阜

2016-09-23 | 
今年は、多治見であったウォークラリーにのみ、参加しました。

23日は、午前中パソコン教室があったので、それを済ませてから新幹線に乗り、土岐のホテルへ!
コンサートの後、疲れから風邪を引き声が出なくなり、やっと少し出るまで回復したところだったので、岐阜であった開会式も交流会もパスしましわた。それでも、少しかすれているので、マスクが外せませんでした。

24日はお目当てのウォークラリー大会。5キロコースで、「虎渓山永保寺」をまわってきました。
私たちは、閉会式後、懇親会までの時間を利用して「恵那峡遊覧」をしてきました。
雨を心配しましたが、閉会式の時とJR恵那駅にいる屋根の下の時に降っただけで、あとは曇り。
ウォークラリーも照り付けられることなく、遊覧船も満喫できました。
前日は雨で水かさが多く、遊覧船は運休していたそうです。
夜は、多治見の岡島さんがセッティングしてくれた懇親会。
色々あったみたいですが、お疲れ様でした。

25日は、郡上八幡で、山野内一豊の妻出身の郡上八幡城郡上八幡博覧館見学。
案内のお兄さん、「吉本興業に出れるね」っていうくらい、立て板に水でした。
街並みを歩き、ニッキ飴の専門店に入ったり、宋祇水の所から河原に出る。
川の水をさわると、冷たくて心地よかった。
「郡上八幡うどん」なる、丸い氷の入った冷やしうどんをみんなで食べました。
サンプル作りの名人が生まれた地でもあるそうで、お菓子やアユの塩焼きなど食品サンプル品のお店がありました。
それから、美山鍾乳洞。縦型鍾乳洞で、結構長くて階段が多かった!

お泊りは、下呂温泉「小川屋」。お風呂上りに、そぞろ歩き。
とちの実せんべい屋にはいったり、テレビで出た「柏屋酒店」をのぞいたり。
夕食は「飛騨牛と松茸会席」。堪能させて頂きました。

26日は、美濃和紙の里会館にいってから、うだつの街並みへ。
旧今井家を見学し、「日本音100選」に選ばれた水吟窟の音を聞いてきました。
30分少々の説明が1時間半ありましたが、こちらも吉本流で、「にわか」まで披露して頂きました。
昼食は軽く・・・と言いつつ、懐石風ランチをしっかり頂いて、大満足のグルメ旅でした。

名古屋から飛行機の人がいたので、高速で名古屋に行き、飛行機の人をおろしてから名古屋城を見てきました。
エレベーターかあり、少し階段を上がっただけで楽に展望できました。
春から本丸が公開されていて、そちらも見てきました。
名古屋駅で解散。レンタカーだったので、効率よく観光できました。
運転手さん、お疲れ様でした。
名古屋からは、私はジパングを使って新幹線「ひかり」で帰りました。

来年は、函館。新幹線が開通したので、乗る予定です。
皆さん、函館で会いましょう。



9/17 コールよこすか20周年記念コンサート

2016-09-17 | 横須賀
「コールよこすか」の20周年コンサートをしました。

「コールよこすか」は、平成7年に「姉妹都市交流」のため、横須賀市民に一般公募され結成されました。そのとき、舅がメンバーで姉妹都市で三浦按針の生誕地でもあるメドウェイ(ジリンガム)から、ロマッチック街道、ザルツブルクの「第15回ジャパンウィーク」で演奏会をしてきました。
7年の空白がありましたが、平成14年国際親善演奏旅行を目的に女声合唱団として再出発し、私も舅の勧めもあり入団しました。
「第4回ナポリ”第30回ジャパンウィーク”」「第5回友好都市会津若松」「第6回横須賀市市政100周年記念姉妹都市ブレスト市”ソルファネリ女声合唱団"招致演奏会」には、亡き娘とともに参加しました。

コンサートでは、演奏旅行の交流会などの写真を展示し、それぞれ各地で歌ってきた歌を、映像と共に披露しました。イベントの秋で、色々行事の重なる中、900人以上の方がお集まりくださいました。
横須賀市長も、あいさつに来てくれました。

来てくれた友だちの感想は、みな満足して頂けたようです。
ゲストが良かったものね!手話や、映像の演出も好評でした。
団員も、20年の年を経てきたわけですが、続けられる限り歌い続けたいと思っています。