![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/b6/e88703a02fad9d5da00ded8cc69943a7.jpg)
昔ミューラーさんという虫好きが、発見した擬態をミューラー型擬態という。
一枚目は、ドクチョウの一種
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/64/60741ee204ba0ba24f5c2f85d3aea838.jpg)
二枚目は、マダラチョウの一種
どちらも毒がありまずいし、どちらも良く似ている。普通、毒の無い物が、毒のあるものにまねをし身を守るのが一般的であろう。鳥などは学習能力があるので、上の写真のチョウのどちらかを食べるとこの姿のチョウはまずいと学習する。だからどちらかが食べらられば、両方の種類が食べられる事が無くなり、2倍の利益を得るわけである。これをミューラー型擬態という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/69/60c59f5054b71ece9d1a74a63cde0a33.jpg)
ただカマキリのように学習能力が無い生き物には通用しないし、その前に、これらのチョウを食べてもまずく感じないのかもしれない。写真の羽の残骸は、ドクチョウの一種
一枚目は、ドクチョウの一種
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/64/60741ee204ba0ba24f5c2f85d3aea838.jpg)
二枚目は、マダラチョウの一種
どちらも毒がありまずいし、どちらも良く似ている。普通、毒の無い物が、毒のあるものにまねをし身を守るのが一般的であろう。鳥などは学習能力があるので、上の写真のチョウのどちらかを食べるとこの姿のチョウはまずいと学習する。だからどちらかが食べらられば、両方の種類が食べられる事が無くなり、2倍の利益を得るわけである。これをミューラー型擬態という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/69/60c59f5054b71ece9d1a74a63cde0a33.jpg)
ただカマキリのように学習能力が無い生き物には通用しないし、その前に、これらのチョウを食べてもまずく感じないのかもしれない。写真の羽の残骸は、ドクチョウの一種
翅以外の部分をあの見返りカマキリが食べてしまったのですか?
まえがきに「擬態は情報の問題なので受信者があって意味をもつことだ」みたいなことが書かれていたので、ちょいと期待できそう・・・
人間もだまされる側なので擬態を冷静に分析するのは難しいのですが、騙した効果がどうして遺伝子にフィードバックされるのかが不思議ですね。
カマキリ君なんでも食べますね。ドクチョウまずいと思うのですが。
遊星人さん
>騙した効果がどうして遺伝子にフィードバックされるのかが不思議ですね。
よく自然淘汰などといわれますが、どうなんでしょう?僕もそれだけでは説明がつかないような気がします。
でも、確かにそれだけでは説明がつかない様に見える連中もたくさん居ますね、、
最近不思議に思うのですが、なんか自分の行動がが父に似てきたような気がするんです。
そこが昆虫を科学的に考察(妄想)する上での一番の面白みだと思います。
まず、行動の遺伝(本能)はやはり情報がゲノムに盛り込まれていると仮定します。それ以外の情報源は少なくとも現在は知られていないからです。
人間でさえ遺伝子の数は3万と言われていますよね(スプライシングや翻訳後修飾を考えるとタンパクの多様性は数百万といわれていますが、この辺はシュレーゲルさんの御専門ですね)。多分昆虫はもっと少ないでしょう。
遺伝子は肉体の形成と維持、そして行動(本能)に関係しています。人間の方がずっと大きいのですが、実は肉体の複雑さというのは実は人間も昆虫もあまり変わらない気がするのですよね。だとすると、本能への依存度が高い昆虫では、遺伝子に盛り込まなければならない情報はむしろ人間よりも多くてしかるべきと思うのです。でも実際にはそうではない。
例えば昆虫にも3万の遺伝子があったとしても、とてもあれだけ複雑で細やかな行動は説明できない。だからこそファーブルは進化論を真っ向から否定したわけで、ダーウィンも昆虫の本能は当時(そして現時点でも)の進化論では説明できないと言っているそうです。
では、どうなっているのか、いや、仮説すら思いつきません(笑)。ただ、私は本能行動の情報はゲノムにあり、自然淘汰を基本としたプロセス(それだけではないのかもしれませんが)で形成されたと考えています。
今こちらで昆虫の研究をされている方がいるのですが、彼もその点は多いに興味を持っているようで、複数の遺伝子がモジュールとして働くことで複雑さを増しているのではないかと言っていました。
ちょっと乱暴な言い方ですが、遺伝子をアルファベット(あるいは平仮名)に例えると、肉体形成や本能行動というのは、単語あるいは文章に相当するのかもしれません。アルファベットは数十個、平仮名も50個程度ですが、それらが表現する内容はほぼ無限です。どうもそのような考え方をしないといけないような気がしています。
こういう妄想は楽しいですね、