常陸小田米の100%使用した米粉麺を商品名「金色姫」と名付け販売をスタートします
グルテンフリー麺で小麦アレルギーの方にも安心
筑波山縁むすび店舗にて、1,500円(4食入りスープ付)税別で販売筑波山観光のお土産に如何でしょうか
養蚕発祥の地として「金色姫(こんじきひめ)伝説」があります絹のように白く鮮やかな麺ともちもち感をお楽しみください
【金色姫伝説】
兵庫県養父郡の上垣守国が、奥州で買い求めた蚕種を研究し、養蚕を但馬、丹波、丹後地方にひろめた。彼が、享和2年(1802年)に「養蚕秘録」(全3巻)を著した中に、金色姫の伝説が紹介されている。
雄略天皇の時代(478年頃)に、天竺(インド)に旧仲国という国があり、帝はリンエ大王といい、金色姫がおりました。後添えの皇后が金色姫を憎み、大王の留守に、獣の多い山へ捨てたり、鷲や鷹のいる山へ捨てたり、海眼山という草木のない島へ流したが、ことごとく失敗して、4度目に庭に生き埋めにしました。ある日、庭から光がさして城を照らしているのに、大王が気づき、庭を掘ると、やつれた金色姫がいました。大王は継母の仕業と知り、姫の行く末を嘆き、泣く泣く桑の木で造ったうつぼ舟に乗せ、海上はるかに、舟を流し、逃がしました。
舟は荒波にもまれ、風に吹かれ、流れ流れて、茨城県つくば市の豊浦に漂着しました。権太夫という漁師に助けられ、その漁師夫婦により、大切に看護と世話をされていましたが、病を得て、亡くなってしまいました。
夫婦は不憫な姫をしのんで、清らかな唐びつを創り、姫のなきがらを納めました。ある夜、夢の中に姫が現れ、「私に食物をください。後で恩返しをします。」と告げました。唐びつを開けると、姫のなきがらは無く、たくさんの小さな虫になっていました。丸木舟が桑の木であったので、桑の葉を採って虫に与えると、虫は喜んで食べ、成長しました。ある時、この虫たちが桑を食べず、皆一せいに頭を上げ、ワナワナとしていました。
権太夫夫妻が心配していると、その夜、また夢に姫が現れ、「心配しないでください。天竺にいるとき、継母に4たび苦しめられたので、いま休んでいるのです。」と告げました。4度目の「庭の休み」のあと、マユを造りました。
マユが出来ると、筑波のほんどう仙人が現れ、マユから糸を取ることを教えてくれました。ここから、日本で養蚕が始まったといわれています。
権太夫は、この養蚕業を営んで栄え、豊浦の船つき河岸に、新しく御殿を建て、姫の御魂を中心に、左右に富士、筑波の神をまつって、蚕影山大権現と称号しました。これが蚕影山神社のはじめです。
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