雨のひと時

2008-05-29 19:46:26 | Weblog




九州・四国では最早梅雨入り宣言。


関東地方も梅雨の前兆とも言えそうな雨が朝からしとしと降っている。

耐震・免震構造に関する会議のため目白に出かけた。

昼食後、深緑の庭園を散策。

雨に濡れた紫陽花に一際風情を感じた。


7月中旬までこの庭園では初夏の風物詩であるホタルが乱舞する。

幻想の世界に誘われてまた足が向くことは確実!




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銀座の街角

2008-05-23 21:11:37 | Weblog



銀座「天賞堂」のシンボル。天使のモニュメントが地上に下りて以来10年程になろうか?


道行く人に頭を撫でられブロンズ色がかなり金髪?へと色変わりしているが・・・人々に可愛がられている証だろう!


素敵な恋人を射止めようと覗いている仕草は男の私にもかわいげに映る。
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隅田川テラス

2008-05-20 22:34:11 | Weblog



昼休みに隅田川テラス(遊歩道)をブラリ。

滝廉太郎が作曲した「花」の最初の歌詞で知られる隅田川には、新神谷橋から勝鬨橋まで26の橋が架かっている。

佃大橋から勝鬨橋にかけてのテラスには色とりどりの草花が咲き乱れ実に綺麗だ。

水辺を散策する人、釣りを楽しむ人、読書をしている人、皆思い思いに楽しんでいる。

水上バス、屋形船など沢山の船が行き交っている。

音楽を聴きながらベンチに腰掛けていると川面を渡る涼風が気持ち良い。

春のうららの隅田川上り下りの・・・♪♪

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稽古の後で

2008-05-18 17:08:05 | Weblog




部屋の前で数人の関取と談笑。

稽古中の厳しい姿から一転しての穏やかな姿勢であった。

春日野部屋の各力士の今場所の活躍を願う。


稽古後「栃乃洋関」と談笑しながらカメラに向かう筆者。

撮影は「栃ノ心関」
彼は若く相撲感も良いので稽古に精進すれば、近い将来十分大関を狙える逸材と思う!

栃煌山関と共に角界期待の星だ

※栃乃洋関、勝ち越しおめでとうございます!
 
 千秋楽まで気を抜かずに。
 
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朝稽古

2008-05-18 15:58:31 | Weblog



両国からの櫓太鼓が自分を呼んでいると・・・

そんな錯覚すらする相撲熱は褪せることなく続いている。

九州、大阪へのオッカケは無理だが、せめて両国はと・・・常に情熱を降り注いでいる。

午後からの打合せの前、名門春日野部屋訪問と洒落込む。

早朝7時着。

静寂の中、緊張感漂う部屋。場所中は調整の為の稽古であるが各力士は真剣そのもの。

師匠・親方衆の迫力に満ちた檄にも、力士は素直に受け入れ見ていても清々しい気分だ。

縦社会の規律が重んじられる中で親方・兄弟子の心温かな気持ちが弟子や見学者に伝わって来る。

何処かの得体の知れない親方もこちらの門をたたいたらどうか?

そんな気持ちを持ちオフィスに向かう。


ほろ酔い気分で夜帰宅すると、相撲界の黒いニュースが報じられていた。

「暴力」?「しつけ」?線引きは難しい!

間垣親方(古参理事)が不祥事を謝罪後、今度は愛弟子の若ノ鵬が勝負に負けご乱行とは・・・

夏場所千秋楽結びの一番、勝負がついた後ダメ押し、これに怒り右肩で反撃、両者土俵上でにらみ合い・・・喧嘩が始まるのでは・・・そういう雰囲気だった。

一部の外国人力士また支度部屋で談笑する力士、一握りの協会幹部に品格などを求める方が土台無理な気がする。

若い貴乃花親方に真の改革を期待
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築地小劇場

2008-05-11 22:05:37 | Weblog



日曜の午後、築地界隈を散策していると築地小劇場跡を見つけた。

この地は現在(株)NTTデータビルが建っている。


近代の演劇

小山内 薫は明治45年モスクワ芸術座に学び、大正3年帰国、同13年土方与志と「築地小劇場」を創立した。 1924年ー1945年

ここでは、典型的な近代劇の他に第一次大戦後にヨーロッパに興った表現派、構成派の戯曲が上演された。

この頃プロレタリア文学の台頭とともに、階級意識を主唱する劇団も現れた。

小山内 薫の没後、昭和4年「築地小劇場」が分裂すると、久保 栄、土方与志らは、新築地小劇団を作った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

碑文・里美  作

大正末期から昭和にかけ、新劇の本拠として 大いにその発展に寄與した。
戦災で焼失。

風雪にさらされた文字からは、かつての栄光が偲ばれた。

その後、日本橋高島屋で開催されている「かな書展」を見に行く。
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かな書展

2008-05-08 00:35:00 | Weblog



第31回「かな書展」が日本橋高島屋8階ギャラリーで5月8日(木)から13日(火)まで開催。

※最終日は午後6時閉会  入場無料


主催:社団法人 日本かな書道会

後援:文化庁

時代に語りかける、かなの心。

ポスターの書は「宮本竹逕」 ふるさとの 山にむかいて 言ふことなし ふるさとの やまは ありがたき かな    ー石川啄木のよめるー  


・小高香峰(妻)の出品作

石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる 春に なりにけるかも 

ー志貴 皇子の歌ー(万葉集)



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舞鶴城公園

2008-05-06 00:18:09 | Weblog



所用で甲府に出かけた。

甲府盆地の中心街を歩いていると、5月早々というのに太陽は容赦なく照り付け、滴る汗に真夏を感じた。

甲府駅前の武田信玄公の銅像前で一息入れ、駅東側に位置する舞鶴城公園に向かった。

舞鶴城の歴史

江戸時代の初め、将軍家一門が城主となる特別な城であったが、宝永元年(1704)徳川綱豊が第5代将軍徳川綱吉の跡継ぎとなり江戸城へ移り住むと、柳沢吉保が城主となり、大名の城として最も整備され、城下町とともに大きく発展した。


柳沢氏が大和郡山城主として国替えされると、甲斐国は幕府の直轄地となり、舞鶴城は甲府勤番の支配下に置かれることになった。

享保年間の大火により本丸御殿や銅門などを焼失、荘厳な姿は失われていった。


明治時代になると廃城となり、明治10年頃には城内の主な建物は取り壊され、勧業試験場として利用が始まり、新たな歴史を歩みだした。


現在は県民の憩いの場として愛される舞鶴城公園となっている。

6町歩(約6ha)の広大な城跡は県指定史跡となり甲府城跡として400年前の姿を今に残している。


公園を後にし、車で中央高速道に入った途端、大渋滞。

音楽を聞きながら帰路に向かった。

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益子陶器祭り

2008-05-02 12:27:53 | Weblog



五月晴れの中、念願の益子陶器祭りに出かけた。

関東平野の北端に位置する益子町はなだらかな丘陵が広がる山間にあった。

この陶器祭りは1966年(昭和41年)の開催以来、多くの観光客が訪れているという。


益子焼は江戸時代末期、笠間で修行した大塚啓三郎が窯を築いたことに始まると言われている。

鉢、水かめ、土瓶など日用的な道具を作り発展をとげてきた。


現在窯元約380、陶器店50店あり、若手から熟練までの陶芸家がここで窯を構えており、作風は多種多様のようだ。

平日にもかかわらず陶器を求めて県内外からの人々で大賑わいだった。


好々爺から勧められた新福寺の鉢に、あれやこれやと盆栽の構想を練っている自分・・・満足・満足!
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