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チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」
テオドール・クルレンツィス(指揮) ムジカエテルナ (1CD)
録音 2015年 場所:ベルリン、フンクハウス デジタル/セッション
チャイコフスキーの交響曲は、第5番が好きで一番よく聴く。コンサートでもヴァイオリン協奏曲とともに何回も聴いたものだ。
しかし悲愴は家ではあまり聴いていない。それは優れた録音に出会わなかったから。冒頭のファゴットのpp音はコンサートホールでは難なく聴きとれるが、S/Nの劣るLPやテープの時代はスクラッチノイズやヒスノイズに埋もれて良く聴こえない。CDの時代になって格段にS/Nが改善されたがまだ十分と言えない時期が続いていた。このクルレンツィスの録音はまさにコンサート会場以上の解像度でファゴットのテーマを聴かせてくれる。これを聴いて期待をもって最後まで聴こうと思ったわけだ。期待に違わず、悲愴で初めて聴く高S/N比、広いダイナミックレンジの録音に引きこまれてしまった。
私がクルレンツィスの名前を知ったのはつい最近だが現在最も期待している指揮者だ。彼はギリシャ生まれで、ムジカエテルナを創設し、SWR交響楽団の首席指揮者でもある。
彼のCDを最初に聴いたのはモーツァルトのフィガロの結婚。序曲を聴くと今まで聴いたことがない自由な表現とダイナミックな演奏に魅了された。
ウィーン歌劇場で同曲を聴いた時(クルレンツィスの指揮ではない)の演奏には伝統を重んじる正当性を感じたものだが、どちらが良いとか比較することは意味がないだろう。開演直前のオーケストピットで何百回も弾いたであろう曲を一人練習する当時のコンサートマスターのキュッヒルさんの姿は目に焼き付いているが、あの真摯な取り組みがウィーンの伝統を守っているのだろう。
最近は、クルレンツィスに限らず伝統にとらわれない自由な表現を行う演奏が注目を集めている面がある。単純にこれが良いとは思わないが興味ある事象ではある。
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