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バロックリュートでバッハ

バロックリュート、ギター合奏、旅行などの趣味の記録

「(続)音と演奏の良いCD」 交響曲編(3)

2022年05月28日 | CD


ブラームス交響曲

ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮) ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
 録音 第1番~第2番 2019年 ライプツィヒ、ゲヴァントハウス  デジタル/ライヴ
 録音 第3番~第4番 2021年 ライプツィヒ、ゲヴァントハウス  デジタル/セッション

 ブロムシュテット版のブラームス第2番を聴いていたら戸棚のガラス戸がビリビリ鳴った。スーパーウーファーの出す低音に共振したのだ。JBL4343のウーファーは38㎝なのだがそれでも60Hz以下は十分ではない。それを補完するためにスーパーウーファーを付けている。そのレベルはガラス戸等が共振しないレベルにセットしてあるがこのCDは珍しい。

 そこで簡易的なスペクトルアナライザで調べてみた。添付の画面がそれで上がこのブロムシュテット版で下がシャイー(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団)版。これらは第2番のトゥッティ部の代表的なパターンで、前者では低音(45~65Hz)辺りが強調されており、これはコントラバスの低域に当たる。後者では低音(65~95Hz)辺りが強調されており、これはチェロの低域に当たる。

 データではたったこれだけの違いだが聴覚的には大きな差になって聴こえるのが不思議だ。前者で試しにスーパーウーファーをOFFにしてみた。そうすると低音が弱くなるだけでなく音楽のスケール感が貧弱になり生き生き感も無くなる。例えればステレオをモノラルに切り替えた時の感覚に似ている。
 後者ではその落差が小さい。これはスーパーウーファーで補完する周波数が弱めにしか入ってないからだ。元々低音再生能力の低いシステムで聴く場合は前者と後者の差は分かりにくいだろうし、スーパーウーファーを追加する場合の効果も限定的かもしれない。(やってみないと分からない)

 もう一つの話題として録音する場所の影響について。両者ともライプツィヒ・ゲヴァントハウスで録音されている。後者は中、高音側にエネルギーがある録音で少しヴァイオリンパート等にキンキンした音の部分もある。前者は低域重視の録音で非常に聴きやすい。同じホールで同じオーケストラの録音だが録音によって全く違うものになるということだ。ライプツィヒ・ゲヴァントハウスは音の良いホールとして有名だがそれはそのホールで直接聴いた時の話で録音は全く別物ということも分かる。

 現在の録音・マスタリング技術からすると現地で聴く以上の解像度でCDを製作できる。ここ数年の最新録音ではこの点を追求する傾向もある様だ。マスタリング段階でソロ楽器やフィーチャーした楽器のレベルを上げるとか、ホールではほとんど聴こえないコントラバスの音を強調したりしてあるものもある。
 技術発達すればするほど家で興味深く聴くことが出来るが実際にコンサートホールで聴く状況を部屋で再現することは不可能だ。例は悪いが、バーチャルツアーで現地に行った気になれるか? TVで野球観戦して球場に行った雰囲気を味わえるのか?というのに似ていると思う。現地と家での視聴の違いは割り切って考えておく必要がありそうだ。

 余談ばかりで恐縮だが、「ブロムシュテットとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のブラームス交響曲は素晴らしい演奏を素晴らしい録音が支えた最高のCDだ。」
楽曲の詳しい解説や感想は、michaelさんのブログにお譲りしたいと思います。

「(続)音と演奏の良いCD」 交響曲編(2)

2022年05月06日 | CD

チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」

テオドール・クルレンツィス(指揮) ムジカエテルナ (1CD)
録音 2015年 場所:ベルリン、フンクハウス デジタル/セッション

 チャイコフスキーの交響曲は、第5番が好きで一番よく聴く。コンサートでもヴァイオリン協奏曲とともに何回も聴いたものだ。
 しかし悲愴は家ではあまり聴いていない。それは優れた録音に出会わなかったから。冒頭のファゴットのpp音はコンサートホールでは難なく聴きとれるが、S/Nの劣るLPやテープの時代はスクラッチノイズやヒスノイズに埋もれて良く聴こえない。CDの時代になって格段にS/Nが改善されたがまだ十分と言えない時期が続いていた。このクルレンツィスの録音はまさにコンサート会場以上の解像度でファゴットのテーマを聴かせてくれる。これを聴いて期待をもって最後まで聴こうと思ったわけだ。期待に違わず、悲愴で初めて聴く高S/N比、広いダイナミックレンジの録音に引きこまれてしまった。

 私がクルレンツィスの名前を知ったのはつい最近だが現在最も期待している指揮者だ。彼はギリシャ生まれで、ムジカエテルナを創設し、SWR交響楽団の首席指揮者でもある。

 彼のCDを最初に聴いたのはモーツァルトのフィガロの結婚。序曲を聴くと今まで聴いたことがない自由な表現とダイナミックな演奏に魅了された。
 ウィーン歌劇場で同曲を聴いた時(クルレンツィスの指揮ではない)の演奏には伝統を重んじる正当性を感じたものだが、どちらが良いとか比較することは意味がないだろう。開演直前のオーケストピットで何百回も弾いたであろう曲を一人練習する当時のコンサートマスターのキュッヒルさんの姿は目に焼き付いているが、あの真摯な取り組みがウィーンの伝統を守っているのだろう。
 最近は、クルレンツィスに限らず伝統にとらわれない自由な表現を行う演奏が注目を集めている面がある。単純にこれが良いとは思わないが興味ある事象ではある。