この週末にDVDを2本見ました。釣りもできたし、ずいぶんと贅沢な時間の使い方をすることができました。
そのDVDの一つは"Lost in Translation"。巨匠フランシス・コッポラの娘ソフィア・コッポラが脚本と監督を担当した作品で、第75回アカデミー賞の脚本賞を受賞した作品です。多分ご存知の方は勿論、ご覧になった方も多いのではないかと思いますが、日本を舞台として、CM撮影のため来日した(落ち目の?)俳優とカメラマンである夫に同行し、多忙な夫に取り残される若い女性の2人の「異邦人」の交流を淡々と描いたものです。
ストーリー性はないのですが、風景や人物などの押さえ気味(藤井隆浮いとったなぁ)の描写が、私好みの作品でした。こういった映画では主役の演技力がないと台無しになるのですが、この男女を演じたビル・マーレイ(いつもビル・マーレイと言おうとしてニール・マーレイと言ってしまいそうになります、それはホワイトスネイク!)とスカーレット・ヨハンソンは上手く演じたのではないかと思います。
タイトルの"Lost in translation"の通り、ビル・マーレイ演じる役者さんは、CM撮影現場でディレクターの注文をその通り訳さない(細々とした訳をはしょってただ「横向いて下さい」とか)通訳のために大変な目に合います。
現実に起きている事としては、本当ではないと思いますが、通訳を介して行う仕事というのは、結構かみ合わないことが多く、本当は通訳が(言語としては)きちんと訳しているのですが、意志の疎通が出来ず、外国人にとっては、この役者と同じような心境に陥っていることが決して少なくないと思います。たとえ言語としての言葉が分かっていても、その言葉の背景や文化の違いからニュアンスみたいなものが微妙にずれたりすることが原因だと思います。今回の映画の構想は、監督・脚本であるソフィアの実体験に基づいているといいますから。
実は私、仕事で何度か通訳なるものを仰せつかったことがあります。勿論、本物の通訳としての語学力もありませんし、訓練を受けたわけでもなく、単に多少英語が話せ、専門用語が分かるという理由ですが、話しがこんがらがればこんがらがるほど、理解や納得が得られなくなります。議論が膠着したときの相手の心境はまさにCM撮影現場の役者の心境だったのだなぁと思ってしまいました(ただしあの映画の通訳よりはもちろん「いい仕事」していたと思ってます)。
もっともこの映画でかみ合わなかったのは日本人とこの俳優だけではなく、彼の奥さんとの電話での会話も全くかみ合っていませんでした。同じ言葉を話し、長い間一緒に暮らし、同じ文化・生活を共有したにも関わらず、です。さらに言えばこの映画に出演する全ての人物の会話はかみ合っていませんでした。もしかしたらこの映画の正確なタイトルは"Lack of communication"かもしれません。このちぐはぐさと東京のエキゾチックな風景(田舎暮らしの私にとっても全くエキゾチックです)のコンビネーションがよいのかもしれません。
もう1本については、また明日にしたいと思います。
そのDVDの一つは"Lost in Translation"。巨匠フランシス・コッポラの娘ソフィア・コッポラが脚本と監督を担当した作品で、第75回アカデミー賞の脚本賞を受賞した作品です。多分ご存知の方は勿論、ご覧になった方も多いのではないかと思いますが、日本を舞台として、CM撮影のため来日した(落ち目の?)俳優とカメラマンである夫に同行し、多忙な夫に取り残される若い女性の2人の「異邦人」の交流を淡々と描いたものです。
ストーリー性はないのですが、風景や人物などの押さえ気味(藤井隆浮いとったなぁ)の描写が、私好みの作品でした。こういった映画では主役の演技力がないと台無しになるのですが、この男女を演じたビル・マーレイ(いつもビル・マーレイと言おうとしてニール・マーレイと言ってしまいそうになります、それはホワイトスネイク!)とスカーレット・ヨハンソンは上手く演じたのではないかと思います。
タイトルの"Lost in translation"の通り、ビル・マーレイ演じる役者さんは、CM撮影現場でディレクターの注文をその通り訳さない(細々とした訳をはしょってただ「横向いて下さい」とか)通訳のために大変な目に合います。
現実に起きている事としては、本当ではないと思いますが、通訳を介して行う仕事というのは、結構かみ合わないことが多く、本当は通訳が(言語としては)きちんと訳しているのですが、意志の疎通が出来ず、外国人にとっては、この役者と同じような心境に陥っていることが決して少なくないと思います。たとえ言語としての言葉が分かっていても、その言葉の背景や文化の違いからニュアンスみたいなものが微妙にずれたりすることが原因だと思います。今回の映画の構想は、監督・脚本であるソフィアの実体験に基づいているといいますから。
実は私、仕事で何度か通訳なるものを仰せつかったことがあります。勿論、本物の通訳としての語学力もありませんし、訓練を受けたわけでもなく、単に多少英語が話せ、専門用語が分かるという理由ですが、話しがこんがらがればこんがらがるほど、理解や納得が得られなくなります。議論が膠着したときの相手の心境はまさにCM撮影現場の役者の心境だったのだなぁと思ってしまいました(ただしあの映画の通訳よりはもちろん「いい仕事」していたと思ってます)。
もっともこの映画でかみ合わなかったのは日本人とこの俳優だけではなく、彼の奥さんとの電話での会話も全くかみ合っていませんでした。同じ言葉を話し、長い間一緒に暮らし、同じ文化・生活を共有したにも関わらず、です。さらに言えばこの映画に出演する全ての人物の会話はかみ合っていませんでした。もしかしたらこの映画の正確なタイトルは"Lack of communication"かもしれません。このちぐはぐさと東京のエキゾチックな風景(田舎暮らしの私にとっても全くエキゾチックです)のコンビネーションがよいのかもしれません。
もう1本については、また明日にしたいと思います。
とうとうご覧になりましたね!
通訳といえば、ワシントンDCで知り合った日本人同時通訳者の方が言ってたことなんですが、
たとえば講演会での通訳などの場合、audienceが日本人であれば日本人の通訳をつけるのがセオリーなのだとか。
つまり、通訳を必要としている人間と同じ母国語をもつ通訳者をつけるというのが、一番トラブルが少ないのだそうです。
ですから、きっとこの映画の主人公ボブには、日本語の分かるアメリカ人通訳をつけてあげるべきだったのかも知れません。
ちなみに、スカーレットヨハンソンの科白
「どうして、こっちの人はLとRをさかさまにするの?」
には、参りました。
「ロジャー・ムーア」という言葉が通じなくてやきもきするシーンがありましたが、我々日本人にはLとRの違いは本当に大きいと最近特に感じます。
たとえば、僕などは英語のディクテーション中に、聞き覚えのない単語が出てくると、とりあえず聞こえたままに書き取っておいて後で確認するのですが、これが本当に面白いぐらいにLとRが逆になってるんですよね(苦笑)。
人間35歳を過ぎると言語獲得能力はゼロになるという話を聞いたことがありますけど、ということになると僕は一生LとRを聞き分けることは出来ないのかもしれないな-と思ってしまいます。
やっと見ることができました。本当によい映画だと思います。
仰る通り通訳のナショナリティーは、説明を受ける側と同じ方がよいですね。私レベルの通訳は言葉の面はどうしようもありませんから、心情的に信頼してもらえるかどうかが鍵のようです。そういった信頼関係が築けると割と楽に進めることが出来ます。「語学の足りないところは愛嬌で補え」が私のモットーです。
LとRは私もお手上げですし、日本人が聞き取れないということは定評のあるところです。他にも"s"と"sh"、"d/t"と"th"、"g/j"と"z"などがありますね。私も苦手の音です。
しかし、他のnon-nativeでも母国語を引きずっているように思いますが、他は余り言われませんね。日本人は気にしすぎなのかもしれません。